23話 クリスの正体

「……いっそのこと、殺してくれ」


 泥だらけの、ムスっとした表情の美少女がそう呟く。

 俺とフィアは困っていた。


 ここは遺跡の中。

 森の中で狩りを続けていた俺達は、それを一度中断し、自分たちの拠点へと戻って来ていた。


 理由は言うまでもない。

 目の前の少女だ。


 幾匹かのウサギを狩り、その場で焼いて昼飯にしていたところ、謎の乱入者があった。

 その少女は宝剣を持っており、有無を言わせぬまま戦闘となった。


 ……いや、戦闘となるはずだった。

 その金髪の少女は俺の仕掛けたアリジゴクの罠に嵌まり、ずぶずぶと沈んでいってしまった。


 俺は何もしないまま勝利を得た。


 そして、そのアリジゴクからその少女を引っ張り上げ、蔦で全身をぐるぐる巻きに縛って、この拠点へと連れてきたのである。


「えーっと……」

「んー……そのぉ……」

「なんで僕がこんな目に……」


 重苦しい空気が流れている。

 それも仕方ない。


 目の前の少女は死んだ目で、どこか遠くを見つめていた。


「えっと……とりあえず自己紹介を。俺の名前は零一郎と言います。どうかよろしくお願いします」

「私、フィア。よろしく」

「……僕はクリス。どうしようもなく情けないクリスさ。笑ってくれよ」

「…………」

「…………」


 目の前の少女は自虐モードに入っていた。

 気まずい。

 こんな空気の中、次に何を話せばいいのかよく分からない。


 どうでもいいが、彼女は僕っ娘のようだった。


「……捕まっている身だけどね、僕から質問させて貰うよ。君たちは一体何なんだい? ここは一体なんて場所なんだい?」


 口ごもっていると、目の前の少女――クリスさんから質問があった。

 あっちから話を振ってくれるのはありがたい。


「こちらの状況を説明するのはやぶさかではないのですが……その前にそちらの詳しいプロフィールなんかを教えて頂けますか?」

「え? 僕からかい? うん、まぁ、捕まっている身だから、拒否はしないけどさ」


 今、クリスさんの体は蔦で縛っているが、蔦の強度なんてたかが知れている。

 彼女が思いっきり力を入れれば引き千切れるかもしれない。


 だが彼女はそれをしようという気配はない。

 それをしてしまえば、本格的な戦闘となる。どっちかが死ぬまで戦うこととなるだろう。それは俺も彼女も避けたいところだった。


「僕はレイオスフィード家の人間さ。名前はクリス。さっきも言ったけどね。その家の私有地から続いていた道に転移玉石があって、この層に飛んできたんだ」

「レイオスフィード家?」

「え……? 知らない? レイオスフィード家?」

「…………」

「…………」


 俺はフィアの方を見ると、フィアも首を横にふるふると振っていた。


 俺がこの世界の有名な人物を知らないのは当然だが、どうやらフィアもそういう常識に疎いようだった。


「え? 本当に知らない? レイオスフィード家を……?」

「申し訳ありませんが、知りません」

「そ、そう。自分で言うと自画自賛みたいになっちゃうけど、結構有名な家なんだけどな……。主にお父様が……」


 クリスさんが本気で目をぱちくりさせている。

 多分、自意識過剰とかそういうのじゃなくて、本当に有名な家なのだろう。


「……俺達がレイオスフィード家、というのを知らないのはこちら側に少し特殊な事情があります。俺、実は……」

「どうでもいいけど、レーイチロー、さっきから他人行儀になってるね。出会って初日みたい」

「うおっほん」


 フィアが茶々を入れてくる。

 どうでもいいならツッコミを入れないで欲しい。


「えぇっと、僕が言うのもなんだけど、楽な口調でいいよ? あまり固くならないでいいから……」

「…………」


 敵さんにも気を使われる。

 何だ、この状況。

 初対面の人とは敬語で話すのが普通だと思うんだが。


「ま、まぁ、いいって言うんなら素の口調で喋るが……俺は記憶喪失なんだ」

「え!? 記憶喪失……!?」

「あぁ、記憶喪失」


 異世界からやって来た、という事情は省いて記憶喪失ということだけ伝える。

 別に嘘ではない。


「気が付いたらあの遺跡の中にいて、そこで目覚めた。だから、この森の外の世界を知らないんだ」

「それはそれは……なんていうか、大変だね……」


 クリスの眉が垂れる。

 騙しているようだが、別に嘘はついていない。ただ色々な説明を省いているだけである。

 心は痛まない。


 彼女の視線がフィアの方に向いた。


「えっと……フィアさん、だっけ。フィアさんも記憶喪失なの?」

「ん。そう。私も記憶喪失」

「…………」


 フィアが軽く頷くが、それは嘘である。

 彼女は別に記憶喪失ではない。


 つまり、彼女は自分が宝剣の精霊であることを意図的に隠したということだ。

 この事情を打ち明けたのは俺だけであり、部外者のクリスには説明しようとしない様だ。


 便利だもんなぁ、記憶喪失。

 どんな状況もその言葉一つでまかり通ってしまう。


「そうか、二人とも記憶喪失でこの古城の中にいたってことだね……? どういうことだろう。どういう事情があるのかな……?」

「…………」

「…………」


 クリスが真剣な表情で現状を考察しようとする。

 しかし、それは無意味な行為だ。何故なら、俺達は自分の事情を隠しまくっているからである。


 この子はあれだ。

 ちょっとばかし純粋である。今日会ったばかりの人を疑おうとしない。


 ……ちょっとばかし心が痛くなった。


「お、俺達が記憶喪失なのは置いといて、クリスはどうやってここに来たんだ? 近くに人里があるのか?」

「人里っていうか、大きな街があるよ。僕のお父さんが領主をやってる大きな街が」

「おぉ……」


 クリスから話を聞く。


 自分の家の私有地に、見慣れぬ獣道ができていたこと。

 それを進むと、転移玉石を発見したこと。

 そしてこの場所へとやって来て、この古城を目指して進んだこと。


 その途中で、俺達に出会ったこと。


 彼女の話は俺達にとって、値千金の情報だった。

 転移玉石など、ちょっとよく分からない単語なども混ざっていたが、そんなことよりも今大切なのは『近くに街がある』ということである。


 生きるか死ぬかのサバイバル生活から脱出できるかもしれないのだ。


「でも、どうして急にこの場所を見つけることが出来たんだろう……。僕の家の訓練場に変な獣道が出来ていたこともおかしいのに、その先に記憶喪失の人間がいたなんて……」


 クリスがまた考えごとを始める。

 今悩んでも答えは出ない……と思っていたら、フィアがその疑問に対して返事をした。


「ん、それはきっと、この遺跡にあった宝剣が台座から抜けたからだと思う。レーイチローが宝剣を引き抜いて担い手になったから、遺跡の結界が解けたんだと思う、きっと」

「え、結界……?」


 クリスが目をぱちくりとさせた。


 流石、ここに住んでいた宝剣の精霊である。ちゃんと事情を把握していたようだ。

 宝剣が台座から抜けたから結界が解かれた。そして古城への道が開かれた。

 それらしい理由であった。


 しかし、俺はフィアに非難の視線を向ける。

 俺は宝剣の担い手になんかならないってずっと言っているし、それにあの台座からその剣を引き抜いたのは他ならぬこいつである。


 フィアはふてぶてしくも、しれっとしている。

 俺の視線を完全に無視していた。


「そっか、レイイチローが持ってる宝剣はこの遺跡の中にあったものだったんだね?」

「あ、あぁ……でも俺は『宝剣祭』なんかに参加するつもりはないんだ。面倒事に巻き込まれたくないって、ずっと言ってるんだが……」

「むぎー」


 フィアの頬を軽く引っ張る。

 彼女の頬は柔らかく、良く伸びた。


 俺の言葉を聞いて、クリスがきょとんとする。


「……レイイチローは宝剣の担い手になるつもりはないの?」

「ない。今は他の刃物が無いから使ってるだけだ」

「……宝剣の戦いはとっても誇り高き偉大な戦いなんだよ? 戦って、勝利して、世界に貢献しようと思わないの?」

「ない。誇りなんかより、今日の飯の方が大事だ」


 クリスががくっと項垂れた。


「こんな適当な男に、僕の宝剣が壊されるなんて……」

「すまんな」


 口では謝るけれど、別に悪いなんて思ってはいない。

 クリスが低いトーンでぶつぶつと喋り始める。


「あぁ、そうだ、僕は負けたんだ……。宝剣を手に入れた初日に、宝剣を失うなんて……。恥だ、大恥だ。末代までの大恥だ……。お父様とお母様にどんな顔して会えばいいんだ……」

「大変だな」

「というよりあなた、宝剣を手に入れたの今日なんだ」


 この子、名家の出のようだし、きっとそういう外聞とかがめちゃくちゃ大事なのだろう。

 すまんな。

 命があっただけ儲けもんだと思ってくれ。


「あー、えっと、クリス? ここから交渉なんだが、君の命を見逃す代わりに俺達を君の街まで案内してくれって言ったら、素直に従うか?」

「ま、まぁ、僕は敗者だしね。君達に従うさ。むしろ、街案内だけで済むならありがた過ぎる……」


 あっさりと交渉は終わる。

 まぁ、それもそうか。この程度のこと、交渉にするまでも無い。


「ついでに私たちの住む場所と多少のお金も都合して?」

「……君たちは欲が無いね」


 フィアがちゃっかり要求を釣り上げるが、それも簡単に受け入れられる。

 名家の子の命に比べたら安いもんだろう。


「さて、じゃあ早速街に案内して貰おう……って言いたいところだけど、クリスは取り敢えず体を洗いたいだろう?」

「……さっきからずっと、口の中の泥が気持ち悪くて仕方ないよ」


 今、彼女の体は泥だらけだ。

 アリジゴクの穴の中から引っ張り上げて、そのままここに連れてきたのだ。服も髪も何もかもに泥がへばりついている。


 しかし、それでも尚、彼女は女性として美しかった。

 容姿端麗、目はぱっちりと大きく、鼻の形も整っている。今は泥に塗れているが、着ている服も上質でセンスがいいのが分かる。


 穴に落ちる前の彼女の金色の髪はとても美しく、まるできらきらと輝いているかのようだった。

 ちゃんと身なりを整えたら、きっととんでもない美少女なのだろう。


「じゃあ、フィア。クリスを水場まで案内してやってくれ。女性の沐浴に男の俺が付いて行くわけにはいかないだろう」

「ん、分かった」

「あ……」


 着替えや沐浴は女性同士で。

 そんなの当然だと思っていたのだが……、


「あっ! ちょ、ちょっと待って……?」

「ん?」


 俺の案に、制止を掛けたのはクリスだった。


「そっか、そうだよね、そう思うよね……最近説明する機会が無かったから、忘れてたよ……」

「ん? なに?」


 クリスが大きなため息をつきながら、ぼそぼそと呟く。

 ……なんだろう?

 水場での沐浴に、何か問題でもあるのだろうか?


 そして、どうしてだろう。

 俺の第六感が、何やら嫌な予感を感じ取っていた。


「いいかい、よく聞いてね……」

「…………」

「…………」


 クリスが大きく深呼吸して、タメを作る。

 俺達は小さく息を呑んだ。


 そして、彼女は叫んだ。


「……僕は『男』だあああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 遺跡中に響き渡るかのような轟音。

 森の小鳥たちが驚き、ばさばさと飛び去って行く気配が伝わってきた。


「……は?」

「ん……?」


 俺とフィアはぽかんとする。

 目の前の美少女が、男……?


「はあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!?」

「ええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ……!?」


 俺とフィアの声も木霊する。


 クリスが、男。

 この異世界に来てからの一番の驚きが、今日ここにあった。

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