21話 第一の強敵『クリス』(1)

 ぼんやりとした陽光が降り注ぐ、静謐な朝のことだった。


 まだ空気は冷たく、草木は露で濡れている。

 小鳥が唄うように囀り、心地の良い風が吹き通る。


「お父様、クリスです。ただ今参りました」

「あぁ、入りなさい、クリス」


 そこはとある屋敷の中であった。

 大きく壮麗な建物であり、家の中には品の良い調度品が多数並べられている。豪華な屋敷であり、そこに住む者の富や地位の高さを容易に察することが出来る。


 その家の中で、クリスと呼ばれた子が父親の部屋の扉を開けた。


「失礼します」

「朝早くからご苦労だね、クリス。眠くはないかい?」

「いえ……あぁ、でも、緊張して眠りが浅かったように思えます」


 クリスが扉を閉め、父親に返事をする。


 金色の長い髪がふわりとなびく。

 クリスは目鼻立ちが整っており、楚々とした魅力のある子であった。身なりはきっちりしており、服には皺一つなく、所作も落ち着いている。


 年は18になったばかり。

 十人が十人、誰もが美少女だと認めるような美貌を持っていた。


「一昨日、予言通りに異界の勇士が現れたことが確認された。王家がそれを保護している。知っているね?」

「はい、存じております」

「宝剣祭は更に苛烈な戦いとなっていくだろう。そこで、あー……なんだ。なんていうのかな……」

「…………」


 クリスの父親はなにやら話辛そうに、くしゃくしゃと頭を掻いている。

 ただ、クリスには父親が何を話そうとしているのか既に分かっている。


 父親のテーブルの前には、一振りの宝剣が置かれているのだ。


「……まぁ、いいや。本題に入ろう」

「はい」

「これが、クリスの宝剣だ。心して受け取りなさい」


 テーブルの上にある宝剣を手に取り、クリスの父親が席を立つ。

 刃の大きな短剣。鍔元には金色に輝く美しい宝石が埋め込まれている。


 それをクリスへと差し出した。


「頂戴致します」


 クリスがそれを恭しく受け取る。

 頭を下げながら、両手を差し出して宝剣を拝領する。


 朝の陽光が窓から差し込み、厳かな雰囲気が醸し出されるその場は、まるで何かの儀式のようだった。


 宝剣祭。

 世界の王を決める偉大な戦い。


 この日、クリスはその参加資格を手に入れようとしていた。


「……クリス」

「はい」

「前から言っている通り、父さんは君がこの戦いに参加することに反対だ」

「……はい」


 クリスの父親――アデルという中年の男性が静かな口調で諭すように語る。


「宝剣同士の戦いが本格的に始まってから、およそ十年が経とうとしている。もう中盤戦から後半戦へと移りつつあるんだ。それなのに、今からこの戦いに参加しようというのは、あまりに不利だ」

「…………」

「クリス、君は確かに優秀だ。同年代の中では突出している。順当に成長していけば、出世も間違いないだろう。しかし、それでもこの戦いに参加するのは危険すぎる」

「…………」

「この戦いは宝剣を壊しただけで決着が付く。でも、命の危険は高い。宝剣を壊された後、とどめを刺されるケースもある。いや、それどころか、卑劣な手段を取る輩もいるだろう。世界の王を決める戦いだ。何でもやる奴は、とことん何でもやる」


 アデルが真剣な眼差しで、クリスを見据える。


「それでも君は、この戦いに参加するのかい?」


 その問いかけにクリスが顔を上げた。


「お父様。この戦いは有利か不利か、が大切なものではありません。この戦いは正義を示すためのものなのです」

「……うん」

「悪しき者が勝者となれば、世界は乱れます。闇人の脅威もあります。それなのに、自分の身だけを案じて、のうのうと隠れて生きることは出来ません。僕は人よりも良い家に生まれ、人より強く育ちました。だから戦いに参加します。させてください」

「…………」


 クリスは父親から目を背けない。

 正面から視線を受け止めている。


「……それに中盤戦と言っても、宝剣の数は全部で555本。全ての宝剣に担い手がいるわけじゃない。まだ新人の宝剣所持者は現れ続けている。そうですよね?」

「うん……。まぁ、クリスの言う通りだ」

「それならば何も問題ありません。同じ境遇の者と戦い、少しずつ強くなっていきます。『闇人対抗戦線委員会』を十分に利用していきますよ。そのための委員会ですから」

「…………」


 そう言って、クリスは微笑んだ。

 美しい金色の髪が揺れる。


「自分が勝者になりたい訳じゃありません。ただ、僕は正しく頑張る人のお手伝いがしたいだけなのです。正しい人が世界の王となるために、自分がサポート出来たらな、って思っています」

「…………」

「そのためには強さが必要不可欠。分かって下さい、お父様」


 クリスの言葉を聞き、父親のアデルが重々しく腕を組む。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……元々、18歳の誕生日でって約束だったしね。分かった、クリス。この宝剣の担い手となることを許可する」

「ありがとうございます、お父様」


 クリスが一歩下がる。


「ただし、無茶はしないでくれよ? 何かあったらすぐ僕や母さんたちを頼りなさい。プライドなんかより、命の方がずっと大切なんだからね」

「分かりました」


 そう言って、話は終わった。


 クリス18歳。

 誇り高い貴族の家の生まれ。


 今日、新たな宝剣の担い手が誕生したのだった。




 アデルの家の訓練場。


「やぁっ……! はぁっ……!」


 そこでクリスは宝剣の素振りをしていた。

 新しく手に入れた宝剣の感触を確かめているのである。


 その訓練場は街外れの森の中にあった。

 森の木々を切り拓いて広い場所を作った、自然の中にある訓練場である。街の外壁の外側にある土地であり、モンスターも出現する場所だ。


 街の中のように安全な場所、というわけではない。


 しかし現れるモンスターのレベルは低く、脅威は高くない。

 むしろ、そのちょっとの危険が気を引き締めるスパイスになっていた。


 アデルの家の私有地であり、クリスは幼い頃からこの訓練場をよく利用していた。


「はぁっ……! たぁっ……!」


 そこで、クリスは宝剣を振るう。

 鍛え上げたスキルを手に入れたばかりの宝剣で放ち、感覚の齟齬を確かめる。剣の重み、間合い、感触などを全身を使って味わう。


 技を放つたびに、クリスの美しい金色の髪が激しく揺れる。

 スカートが舞い、踊るように技を放ち続けた。


「はぁっ、ふぅっ……!」


 汗をタオルで拭う。


 いける。悪くない。

 クリスは確かな手ごたえを感じていた。


「ん……?」


 そこで、クリスはあることに気付いた。

 いつものように利用していた訓練場に、違和感を覚えたのである。


「……なんだろう?」


 違和感のする場所をじっと観察する。

 ここは木々に囲まれた自然の中の訓練場だ。円形の広場の外は森が広がっており、草木がぼうぼうと生え、茂みになっている。


 その茂みの中に、見慣れぬ一本の道が出来ていた。


「えぇっと……?」


 クリスが首を傾げる。

 こんなところに道なんてあっただろうか?


 茂みが左右に分かれており、細い一本の獣道となっている。

 明らかに自然に出来たものではなく、人の手が加わって出来たような道であった。


「…………」


 こんな道、今まであっただろうか?

 クリスは訝しがる。


 疑問に思いながらも、クリスはその道を進んでみることにした。

 整備された訓練場の外。見慣れぬ獣道を慎重に歩き始めた。


 この道は今までずっと存在していて、自分が今まで気付かなかっただけだろうか?

 いや、そんなことはない。

 クリスは考える。


 物心ついた時から利用している馴染みの訓練場だ。こんな道があったら気付かないわけがない。

 だからこれは最近できた道のはず。


 家族からこんな道を作ったなんて話は聞いていない。

 誰かのイタズラだろうか。


 葉や草が体を擦りながら、クリスは細い道を前へと歩いた。


「……え?」


 そしてクリスはその獣道の最奥へと辿り着いた。

 そこで、目を見開く。


 その場所には、ダンジョンの入り口があった。


「転移玉石……!? なんでこんなところにっ!?」


 転移玉石。

 それは、ダンジョンの次の層へと進むための進路のようなものであった。


 ダンジョンの1層へ。1層から2層へ。2層から3層へ。3層から4層へ……。

 ダンジョンの次の層へと進む道が、この転移玉石なのである。この玉石に触れ、次の層へと転移するのが一般的なダンジョンの進み方であった。


 転移玉石のある場所がその層のゴールであり、この玉石のある場所に辿り着ければ次の層へと進めるのである。


 ダンジョンを進むためにも、ダンジョンの中に入るためにも、この転移玉石が必要なのだった。


「こんな場所に転移玉石があるなんて、聞いたこと無い……」


 クリスは顎に手を当て、困惑する。

 転移玉石があるということは、この先にダンジョンの奥へと進む道があるということである。


 突然出来ていた獣道。

 そして、新たに発見した転移玉石。


 この道は自分の家の私有地から続いている。

 つまり、一般の人間はこの場所に入ることができなかった。


「この先に、未発見のダンジョンが存在する……?」


 震える手で、クリスは目の前の転移玉石に触れる。


 自分が新たなダンジョンの開拓者になるのかもしれない。

 ドキドキで胸を震わせながら、クリスはダンジョンの次の道へと転移した。




 ――クリスはまだ知らない。

 その道の先には、零一郎とフィアが拠点とする古城が存在することに。


 宝剣の所有者同士が導かれるように引き合い、そして長い因縁を紡いでいくことを、まだ誰も知らなかった。

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