8話 敬語

 フィアさんのお腹が『ぐー』と鳴った。


「…………」

「…………」


 彼女の頬が赤く染まり、小さく俯く。

 恥ずかしそうにしているが、仕方がないっちゃ仕方がない。今日一日だけで色々あったため、お腹がめちゃくちゃ空くのも当然であった。


 腹が減るのは生き物として当然のこと。山菜の量はそんなに多くなく、お腹いっぱいになるには少し心許無い。

 俺は無言でヘビの串焼きを差し出した。


「…………」

「…………」


 フィアさんは逡巡している。

 ヘビを食べるか、どうか。


 俺は言う。


「もちろん無理強いするわけではありませんが、食べられるなら食べといた方が良いです。明日の行動に影響します」

「…………」


 フィアさんが口を尖らせている。

 俺の言っていることは分かる。食べることは大事なこと。


 でも、ヘビはちょっとなぁ……という感情がだだ漏れていた。


「そもそも、フィアさんって餓死するのですか?」

「んー、餓死はしない。でも、動いていると体力も魔力も消費するから、ちゃんと食べてちゃんと寝た方が絶対にいいの」

「へぇ」


 フィアさんは剣の精霊だ。

 普通の人間と同じとは思っていなかったが、餓死はしない。それは便利だ。


 でも普通に健康的な生活を送った方が良いんだな。


「じゃ、じゃあ……い、いただきます……」

「はいどうぞ」


 フィアさんが俺からヘビの串焼きを受け取った。

 ちゃんと食べてちゃんと寝た方がいい、と自分で言った手前、逃げられなくなったのだろう。


 彼女の顔が強張る。


「い、いただきます……」

「はいどうぞ」


 彼女が同じことを二度言う。まだ踏ん切りがついていないようだ。

 ヘビの肉を目の前にして、眉間に皺を寄らせている。口を開き、やっぱり閉じ、お肉の前でまごついていた。


「い、いただきます……」

「はいどうぞ」


 三度目の挨拶。

 そしてやっと彼女は意を決した。


 ぎゅっと目を閉じながら、勢いよくヘビの肉に齧り付いた。


「……んっ!?」


 そして彼女が目を見開く。


「い、意外とおいしいっ……!?」

「…………」


 フィアさんが驚きの声を発した。


 彼女にとって、ヘビのお肉が美味しかったことは予想外だったのだろう。

 目を丸くしながら、二口目、三口目を頬張る。少し口角を上げながら、せっせとヘビをもぐもぐしている。


 どうやらご満足いただけたようだ。


「美味しいですか?」

「ん……え、えっと、まぁまぁ……」


 彼女が頬を赤くしながら、俺から視線を逸らす。

 最初まごついていただけに、少し気まずいのだろう。

 ちょっとの照れ臭さがありながらも、でも空腹には何物にも代えられず、彼女はヘビのお肉を一生懸命頬張っていた。


「…………」


 俺もヘビの肉を食べる。


 ……さっきも思ったことだが、このヘビのお肉はそこまで美味しいわけではない。

 新鮮ではあるが、味付けがされていないのだ。塩も香草も何もない。だから、素材の味をそのまま堪能するしかない。


 だけど、フィアさんはそのお肉を美味しそうに食べている。

 彼女はあれだ、純粋だ。

 碌な調理のされていないこのヘビのお肉で充実感を覚えている。


 もぐもぐと口を動かすその姿はどこか満足気であり、少し目をキラキラとさせている。

 そんな彼女の姿を見ていると、ヘビのお肉を狩れて良かったなぁと心から思うものだった。


「お代わりはたくさんありますから。いくらでも食べて下さい」

「…………」

「……フィアさん?」


 彼女が視線だけを上げ、俺のことをじっと見ていた。


「……さっきから思ってたんだけど、レーイチロー?」

「なんですか?」

「今、敬語で喋ってるけど、さっきの戦闘の時は敬語じゃなかったよね?」

「…………」


 今度は俺の顔が強張る番だった。


「……初対面の人と敬語なのは普通だと思いますが」

「ん、でもさっきは敬語じゃなかったよね? 素はあっちの口調な感じ?」

「…………」


 少しバツの悪さを感じ、ぽりぽりと頭を掻く。

 さっきは戦いで熱くなっていたので、丁寧な口調が崩れてしまっていた。別に隠している訳ではないが、少し気まずい。


 別に何も間違いなんて犯していないが、なんだか俺という人間が見透かされたみたいで気恥ずかしかった。


 くすりと笑って、フィアさんが言う。


「素のままでいいよ、レーイチロー。敬語なんて要らない」

「そうです……そうか、フィアさん」

「『さん』も要らないってば」

「……フィア」


 少し照れる。

 フィアさん……フィアがにこりと笑った。


「普段はどうしてたの?」

「……どうだっただろう。職場では敬語だったような気がする。よく覚えてないんだけどな」

「覚えてないの?」


 俺は頷く。

 彼女が少し驚いていた。


「実は、ここに来る以前のことがほとんど思い出せない。色々な知識は忘れていない様だが、過去の記憶は思い出せない。記憶喪失かもしれない」

「なんと……」

「まぁ、実害はないのだけれど」


 遺跡の中で目覚めた時から何も思い出せていなかった。

 あの時は寝起きということもあって深くは考えていなかったが、時間が経った今も以前のことは何も思い出せない。


 本格的に記憶喪失かもしれない。


「それは……大変だね。どうしようか……」

「まぁ、実害無いから別にいいんだが」

「そういうもん?」


 ヘビの肉をぱくつく。

 記憶があっても腹が膨れるわけではないのだから、別にどうだっていいことだ。


「職場では敬語で、普段はその口調だったってこと?」

「多分な。まぁ、普通だろう。職場で敬語なんて。……どんな職場にいたかも覚えてないけれど」

「レーイチロー、お堅い感じだから、きっとお堅い職場だよ」

「…………」


 なんだろう。今日初対面の彼女に、大分俺という人間を理解されていた。

 俺という人間はかなり単純なんだなぁ、と思い知らされた。


 ――その時だった。


『Blade Ability《ホワイト・コネクト》発動

 HP 18/29(+4) MP 4/6(+2) 攻撃力8(+1) 速度6(+1)

 Skill《深呼吸》を獲得しました』


「ん?」


 突然のことである。

 ちょくちょく出てくる青白い半透明のウインドウが出現し、俺に何かを伝えていた。


 今は別にモンスターが出現した時でも、モンスターを倒した時でもない。

 ウインドウが出てくる理由がよく分からなかった。


 なんだろう?

 《ホワイト・コネクト》……?

 知らない単語が出てきた。よく分からず、顎に手を当てて首を捻る。


「フィア、これなんだか分かるか?」

「ふっふっふ……」

「……?」


 俺にとっては軽い質問だったのだが、何故だろう、フィアはくつくつと笑っていた。

 体全体を小さく揺らし、不敵な笑みを浮かべている。


「……聞いて驚くがいい、レーイチロー」

「なんだ?」

「それこそが私の『宝剣』の能力! 私の剣《ホワイト・コネクト》の能力なんだよっ!」


 大きな声を上げながら、フィアが大仰に立ち上がった。

 急に、今日一番テンションが高くなる。俺はちょっと呆気に取られていた。


「今こそ話す時が来たみたい! 私の『宝剣』の秘密と、その偉大な戦いについて……!」


 フィアが胸を張る。

 こんなにも活力が漲っている彼女の姿は初めて見るから、俺は面を喰らう。


「さぁ、しかと聞くが良い! この宝剣の戦い! 『宝剣祭』の崇高なる目的と、偉大なる戦いについて……!」

「……その話、長くなるか?」

「もちろん!」

「あ、じゃあ……」


 俺は手を上げて、彼女の話を制した。


「だとすると、ちょっと待ってくれ。今日はまだやることがあるんだ」

「なんでっ……!?」


 彼女のお喋りを止める。

 フィアは本当に驚いていた。


「いや、今日もう何もすることないでしょっ……!? もう後は夜が更けるだけでしょ!? 私の話聞いてくれたっていいじゃん!?」

「いや、本当にやることがあるんだ」

「なーんーでーっ……!?」


 彼女が俺をぽこすか叩く。痛くはない。

 確かにフィアが不満を表すのも分かる。俺は昼からずっと彼女の話を無視してきたのだ。話ぐらいちゃんと聞くべきだろうとも思う。


 だけど、本当にやるべきことがあるのだ。


「フィア、あそこにヘビの肉の塊がたくさんあるだろう?」

「え……? う、うん、あるけど……」


 俺達の傍らにはヘビの肉が大量に積まれている。

 あの大蛇は8mほどの大きさだったのだ。当然、今回一食分で消費しきれる量じゃない。


「でも、あそこに置いたままだと、遠くない内に当然腐る。それはあまりにも勿体ない」

「ま、まぁ、それは分かるけど……」


 サバイバル生活に重要なタンパク源。

 みすみすと腐らす手はない。


 俺達に必要なのは、あのヘビの肉を一日でも長く保存することだ。


 つまり……、


「俺は今から、あのヘビの燻製を作る!」

「今からぁっ……!?」


 サバイバル生活初日の、最後の大仕事。

 ――ヘビの燻製作りが始まった。


「『宝剣』の戦いの話を聞いてってばーーーっ!」


 フィアの叫び声が夕暮れの空に響き渡る。


 その話については、あまり興味が無かった。

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