(2)正義担当6名

一門1名、葛山信貞。

譜代2名、甘利虎泰・馬場信春。

他国3名、小幡信貞・横田高松・山本勘助。


8の画数の天命能力である正義力は、正しいと信じたことを様々な障害をはね除け徹底的に貫く天命能力です。人生に立ちふさがる様々な困難に対し、果敢に挑むことのできる素晴らしいキャラです。

戦国武将にあっては、「猛将」と呼ばれるひとたちの多くに見られるキャラです。


ただ、その正しさへの信じ込みがいっさいの妥協を許さないという面となって現れることが多く、結果としてとかく独善に陥り人間関係に軋轢あつれきが生じることが多いように思います。

信玄が他国出身者を多く当てたのは、そういう軋轢を怖れたのでしょうか。


葛山信貞は、信玄の子で、勝頼の弟に当たります。今川方の駿東郡の葛山氏が離反したさいに、後継としてその家を継ぎました。

しかし、1582年に、織田信長に攻められ、自害しました。

正義力が現れての表立った行動が見られません。もしその能力を見出されていたのであれば、軋轢を生み一門が分裂することを怖れ、一門では封印されたのではないでしょうか。


甘利虎泰は、信虎追放・晴信擁立の中心人物で、宿老でした。

1548年の村上氏との上田原決戦で板垣信方が戦死し危機になったとき、晴信を守って戦死したことで有名です。

信虎追放事件については、信虎の天命能力がコミュ力の高い外交力であったことから、信玄からしてみれば非常に困難だったと思われます。それを上手く実現できたのは、まさにこの人物の正義力のなせる業であったと思います。

正義力の人は、信じたことはとことん貫徹するキャラです。信じたことのためには、死をも恐れません。その散りぎわも、そういうキャラもあってのことだったのでしょう。


馬場信春は、もとは信房と名乗り外交力の人でした。それが、1562年にこの信春という正義力のキャラの名前に替わりました。

駿河攻略、西上作戦に加わり、三方原で敗走する徳川家康を浜松城に追撃しています。

のち信玄の子の勝頼の重臣筆頭となっていましたが、長篠で戦死しました。

外交力に加え、正義力を兼ね備えることになった。

この改名後の1562年以降は、武田軍の、今川氏・織田氏に対する作戦が始まったころです。それまでの粘り強さから一転、勇猛な行動が見られます。今川や織田に対しては外交による調略作戦は効かないので、もし信玄の命令による改名であったら、時を得た改名でした。


小幡信貞は、上野国出身で信玄に仕え転戦しました。1582年、織田氏に降っています。

目立った動きがありません。ただ日々の戦闘で、能力を生かしていたことでしょう。


横田高松は、近江国出身で、信虎に仕え弓矢を得意とし、信濃国攻略では原虎胤と併称される猛将ぶりでした。1550年の砥石崩れで戦死しました。

「猛将」。まさに、その正義力を見出だされ活躍しました。


山本勘助は、三河国出身で、軍師という伝説がある。

ただその戦略は勘に頼っていたため、後にヤマカンと皮肉られることになります。

正義力の天命能力は、臨機応変の直感によって発揮される傾向があります。また、その寄って来るところはもちろん正義というあながち誤っておらず、当を得ている内容です。

ヤマカンというより、達観の域に達しているといっていいでしょう。軍師という伝説も、その的を射た行動から連想されたのでしょう。

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人の天命能力(姓名判断をもとにした歴史人物分析) よほら・うがや @yohora-ugaya

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