家臣(1)外交担当9名

参考資料は『甲陽軍鑑』としました。客観的な資料が他にないので、やむをえません。家臣は、計41名です。


外交力の家臣、9名。


内訳は、

一門1名、河窪信実。

譜代7名、馬場信春・内藤昌豊・原昌胤・三枝昌貞・小山田信茂・駒井政武・駒井昌直。

他国1名、原虎胤。


外交力は、内には対立緩和と統合を、外には周辺諸国大名との交渉をするべき天命能力です。


武田氏においては、先代当主である信玄の父の信虎が外交力を持っていましたが、晴信・勝頼は持っていません。

その代わり、譜代7名が持っていました。

前にも書いたとおり、戦国時代といっても、リアルの戦いの大部分は外交交渉であり、それが決裂して初めて戦いとなります。命のやり取りを安易にしたくないのは、いつの時代でも同じということでしょう。命は1度失われると、取り返しがつかないからです。

武田氏は、譜代家臣が諸国との外交に当たる体制でした。この日常的な地道な積み重ねで、信濃へ進出していったのです。

ただ、当主自ら外交力を持つ、織田信長のような派手さはなく、他国進出にもかなりの時間を費やしました。


では、個々の人物についてその事績と併せ、詳しく見てみましょう。


河窪信実は、信玄の末の弟です。

その事績は、200騎を有し、1575年、長篠の戦いの前哨戦である鳶巣砦で奮戦したのですが、戦死しました。

この事績だけを見ると、外交担当の能力を生かしたことがなかったようです。

信玄は、身内に巨大な才能が眠っていたことを知らなかったか、それともあえて無視したかでしょう。


馬場信春は、初め外交力、のち正義力の天命能力を有することになりました。このように、その時々の名乗り方によりキャラが変貌したり併せ持つことは、名前を自由に変えることのできる時代ではよくあることです。

信春は、先代当主の信虎の追放と子の晴信の擁立を主導して行い、その後、信濃の攻略で戦功をあげ、侍大将・譜代家老になりました。

その外交力は、晴信擁立時の内部混乱を統合するさいに発揮されたことでしょう。また、信濃を攻略したその戦功の大部分は、巧みな外交交渉つまり調略による、戦わず服属させるものだったと思います。


後に内藤昌豊(昌秀)と改名する工藤祐長は、父が武田氏に討たれたため諸国を流浪しましたが、信玄に招かれて帰参し、上野国箕輪を攻略した戦功により、300騎付属の侍大将・譜代城代になりました。

流浪したということは、行った先々で知人を得て人脈を培ったということです。他のキャラのひとでもそうです、ましてや外交力のある人が流浪するととんでもない大量の人脈ができます。

上野箕輪攻略にも、おそらくその人脈が生かされたと思います。

のち対北条外交の担当を命じられましたが、まさにこの人の天命能力を看破した最高の人事でした。


原昌胤は、120騎奉行で、側近譜代でした。

その事績は、上野国の取次(外交のこと)、富士郡の支配、寺社訴訟など、おもに行政業務でした。長篠の戦いで戦死しました。

この事績は、内に統合、外に交渉のその天命能力をいかんなく発揮したであろう内容です。信玄の、彼の能力を見抜いた組織指導力が本当に素晴らしいと思います。


三枝昌貞は、側近奉行で、弓足軽大将です。

山県一族として重用されましたが、義信事件(嫡男が廃嫡されました)に関わってしまいました。駿河攻略においては戦功第一といわれました。長篠の前哨戦で戦死しました。

外交力のあるひとは、人間関係の調整が上手いため実務を任されることが多いです。奉行業務は、まさにその内部統合の職です。

戦国時代、諸国攻略の前面に立ったのも多くはこういう外交力のある人でした。


小山田信茂は、婚姻関係により信玄の従弟にあたる人物です。

駿河攻略や西上作戦では、先陣を務めています。

信玄の没後に武田氏が越後の上杉氏の内紛に介入したとき、交渉役を務めました。のち武田勝頼から離れ織田信長に降伏したのですが、処刑されてしまいました。

天命能力である外交力を十分に生かす業務についていたといえます。

しかし最後、織田にすりよってしまいます。これこそ、外交力のある人にありがちな面が出てしまったことを示しています。

外交力のある人は、対人関係においてコミュ力が高いため他人の話をいちいち聞き、親身になることが多いです。その結果として、他人に必要以上に合わせてしまい流されてしまう傾向があります。また本来の場所と他人との間で板挟みになり、悩むことも多いです。

こういった面が、小山田に出てしまったのでしょう。

外交力のあるひとは、そのキャラの負の面をよく肝に銘じ、自らを律しなければならないと思います。


駒井政武は、信濃攻略に戦功あり、信濃国の取次役(外交役)を務めました。また今川氏や北条氏との交渉にも参加し、行政も担当しました。

その天命能力を十二分に生かされたようです。まさに、適材適所の人事でした。


駒井政直は、譜代家老・侍大将です。諏訪方面の取次役(外交役)を務めました。

駿河国の深沢城代をのちに務めます。ただ、その後、徳川家康に降伏しました。

外交力は、対立する人間関係の接着剤というべき役割を持っていて、攻略後の現地行政にうってつけの天命能力です。これも、適材適所の人事です。

あと、外交力ある者はそのコミュ力を生かし、即座に変わり身をすることができるキャラです。戦国時代においては、生き残ることが多いと思います。もちろん降った先の情勢分析を見誤ると小山田のような運命となってしまいますが、それは運でしょう。


原虎胤は、下総出身で流浪していたところを武田信虎に拾われ仕えたという、譜代以外から抜擢された家臣です。法華宗(日蓮が創始)信者のため一時追放されたこともありました。城代を務め、譜代待遇になりました。

外交力のあるひとは、採用登用されやすい傾向があります。就職難など、どこ吹く風ですね。また、追放されてもすぐに復帰する傾向があります。

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