武田信玄(晴信)

本人のキャラ

信玄といえば、有名な言葉があります。

「人は城、人は石垣」

信長や秀吉のように壮大な城郭建築を作らなかった理由として挙げられていますが、私は、この信玄の軍団組織力には驚嘆しています。他サイトに発表した武田軍団の解説著作でも書いていますが、10のキャラ全てを組織に採用し、しかも的確に配置し仕事と役割を与え、もののみごとに組織を運営し発展させています。

組織を100%状態にするには、この10のキャラ全てを集め、適材適所で配置し、さらにそれぞれの特性を十二分に発揮可能な状態に置くことが必要です。しかし、日本史上このような完ぺきな組織の例は、ほとんどありません。武田軍団は、まさにそのまれな例の1つです。


もちろん、現実のありとあらゆる組織は、人材不足を、運営する者や個々のメンバーのたぐいまれな努力で補っていることが多いでしょう。しかしキャラを発揮困難な状況では、その努力はキャラと異なる分野の克服になるので、相当な時間を必要とします。天命として持っているキャラを発現させられる状態なら、努力は少なくて済みます。


武田信玄。信玄という名は、号です。正式の名前として、晴信というのもあります。

信玄は、14画。4の指導力の人。

晴信は、21画。1の知略力の人。

信玄は、この2つのキャラを持ち合わせていました。じつは、指導力も知略力もあまり派手さがありません、どちらかというと地味なキャラです。しかし組織にとっては、この2つのキャラは最高の人材です。


武田氏は甲斐国の守護大名だったので、組織としては初めから成立していました。ゆえに、すべての人材がそろっていたはずです。

なお他の組織においても、10のキャラ全員が組織内に存在するはずです。ただそれらを見出し、重要ポストに登用するには、人のキャラを見抜く力や組織の運営能力が必要です。武田軍団は、この信玄の代にこの人材をキャラに応じて適材適所に配置し、なおかつ組織として運営することに成功しました。


さて、4の組織指導力というキャラには、もちろん短所もあります。

それは、視点が内向きになりがちだという点です。内向きの組織は素晴らしく固めるが、外、つまり周りに存在する他の組織との交渉が上手くいかない傾向があります。

武田信玄が、まさにその例です。他の組織との交渉に適したキャラが、7の外交力ですね。

もちろん武田軍団の場合は、家臣団の中に外交力のキャラを持つ人材が存在したので、その家臣たちに他国との交渉を任せ、主君のキャラ不足を補っていました。

ただ主君自らが外交力のキャラを備えている場合でないため、やはり交渉の進みがあまり良くありませんでした。隣国である信濃国の攻略に、実に十数年以上もかかってしまっています。織田信長がその外交力のキャラを生かして短期間のうちに数か国を制していくのとは、対照的ですね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る