総集編

 ▪告白


 俺、成谷智人なるたにのりとは考える人間である。


 目付きが悪いだけの平凡な人間である俺は、猛勉強の末に私立難関高校の入学試験に合格した。


 ここまで頑張ってこれた理由は、ただひとつだけ。


 小一からずっと片思いをしていた幼なじみ、松宮実咲まつみやみさきを追いかけるためだ。


 カチューシャが特徴的な、金髪クォーターの美少女で、その何にも汚されなかった純朴な瞳はまっすぐ俺に突き刺さる。


 華奢な体格で、俺よりもずっと背が低い。守ってあげたくなるような、それでいて活発な性格。


 小中と、ただ少し仲がいいだけの関係だった俺たちだが、高校でステップアップしたい。


「クソぉぉぉぉぉぉ!! でも、勇気が出ねぇ!!」


 そう。10年間、何かと理由につけて告白しなかった俺が、今更腹をくくれるわけがなかった。


 俺は考えた。どうすれば、実咲に思いが届くだろう。ダメならダメだったでいい。とにかく、俺の全身全霊をぶつけたい。


 ──というわけで、ラブレターを入れてみた。


『10B25』番だったはず。しばらくウロウロしたが、周りに誰もいないことを確認した瞬間パパっと入れて逃げた。


 ……いや、決してチキったからとかそういうわけではなくてだな。


 文面だったら、うまく思いが伝えられるかもと思ったんだ。


『ずっと好きでした。屋上で待ってます 成谷智人』


 思い返すだけで悶絶する文章!! スマホが普及する世の中で実に古くさい少女漫画的な行動!


「あぁ……これで来てくれなかったらどうしよう」


「珍しく弱気だねぇ、ノリちゃん」


「その呼び方やめろ」


 机に突っ伏していた体を起こすと、そこには黒髪の好青年がいた。


「……あれ、青瀬ってそんなに背高かったっけ」


「やだなぁ、君の好きな人にはかなわないよ」


「いや圧勝だわ」


 絶対実咲のことを知らないこの男は、青瀬薫あおせかおる。サッカー部所属で、中一の時に日本選抜ナショナルトレセンでチームメイトになったことがある。


 優しくおっとりした性格だけど、試合の時になると相手を潰す《中盤の鬼》になることでも有名だ。


「ノリちゃんは、一年前よりずいぶんと弱気になったんだなぁ。前までは、DFに囲まれても強引に突破してシュートを打てる、日本期待のストライカーだったのに」


「……ま、俺は今の自分のほうが好きだけどな。表舞台には出ずに、裏方で汗を流すのは最高だぜ? 例えば脚本だったら、自分の書いた世界が舞台で煌めきだす。すばらしいことだと思わないか?」


「僕はこれから部活だから、明日告白の結果教えてね」


「無視すんな! ……って、知ってたのか」


「うん」


 もしかすれば、表情や様子でバレてしまっていたのか。さすが、青瀬。勘が鋭い。


「下駄箱でソワソワしてるノリちゃん、不審者みたいで最高だったよ」


「あああああああああ!!」


 ニヤニヤと笑いながら俺の顔を眺める青瀬。マジで、小悪魔だ。


 *


「ちょっと張り切って早めに来すぎたか? でも、実咲を待たすわけにもいかないし……」


 放課後、生暖かい風が吹き抜ける屋上に来ていた。ここは、転落防止用の柵が付いており、誰でも来ることができる。


 ちなみに、俺はまだ誰にも自分の好きな人が実咲であるということを言っていない。だが、その結果にかかわらず、明日には噂が学年中に広まることだろう。その覚悟はとうにできている。


 とにかくここは、落ち着かない。緊張で全身が震えるし、頭の中で何度も曖昧なシミュレーションを繰り返す。


 でもなんとなくこう、いける気がしていた。クラスも部活も違う実咲だが、たまに電車で一緒になることはあるし、なかなか楽しそうにしてくれている。


 彼女と話すときに、ほかの男との惚気話を聞かされるのはつらかった。だから、そんな日々は今日で終わりだ。


「スーッ……」


 深呼吸をし始めた途端、コツ、コツと誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。


 お、思い出せ、成谷智人! 今までの辛く甘酸っぱかった日々を。


 ここで、ここですべての思いをぶつけるんだ!


 「み、みさ…………」


 ん? 俺は違和感を抱いた。ちらっと見えた髪が、彼女のそれとは違う気がしたのだ。


 それに、やたらと階段を上るスピードが早い。


 いや、気のせいか……?


「ごめんごめん、遅れた」


 その時、俺の目の前に現れた人間は、


「え……?」


「い、いやなに驚いてんだよ。呼び出したのはそっちの方だろ」


 頭を照れくさそうにかきつつ、猫のような目で俺を睨む。焦げ茶の髪は、毛先を巻いたショート。背はそこそこ高く、何がとは言わないがアレも少しある。


 少しなで肩で、顔面はとても整っているが、それ以上に強烈な冷めた視線をこちらに送っていた。


 第一ボタンを閉めずにワイシャツを羽織り、靴下はあまりに短すぎてくるぶしが露わになっている。


「早く要件を言えよ。……こっちだって暇じゃねぇんだわ」


 そう言って髪をかいたのは、学年一のサバサバ系女子こと、鈴本紗月すずもとさつきであった。


 ▪こんなの絶対におかしい


 淡白な女。俗称『サバサバ系女子』。


 俺は戦慄した。すぐに状況がつかめなかった。


 愛くるしい小動物実咲がくるのかと思えば、歯に衣着せぬ狂犬鈴本がやってきた。


 ……嘘だろ。何故、学年一の淡白女子がここに?


「えっ。なんでお前が」


「は? お前が呼んだんだろうが。こちとら、スタバの新作ラテ心待ちにしてた連れの約束破ってまで来てんだよ。それ相応の覚悟があんだろうな。あ?」


 ……待て。どういう状況だ。


 何故、俺は今まで一度も喋ったことのない女と屋上で向かい合っているんだ。


 ていうか、サバサバ系女子であることに加えて、ヤンキーみたいな口調してんな、こいつ。


 そして、次の瞬間俺は信じられないことを口走る。


 覚悟して、聞いてくれ。


「あ、いや――好きです」


 時すでに遅し。この時、何故こんなことを言ってしまったのかは未だに分からない。


 相手は松宮実咲じゃない! 近寄り難い女代表の鈴本紗月だぞ!?


 動揺しすぎて、今世紀最大のやらかしをしてしまったッ……!!


「へぇ」


 落ち着かない俺を見て、鈴本紗月は邪悪な笑みを浮かべる。クソ、こいつ結構友達いるし。俺の人権がこの学校でなくなってしまう……!


 しばらくの静寂を経て、鈴本は口を開いた。


 もういい。さっさと断って、無様な俺を社会的に抹殺し尽くしてくれ。


「──────ど、どうも」


 それだけかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


 どういう感情なんだよそれ!!!!!!


『これから振りまーす』みたいな困り眉やめろや! どうせならハッキリくっきり断ってほしい……!


「ま、私も好き、ってことで」


「!?!?!?!?!?!?」


 *


「というわけで……付き合うことになった」


「なんでそんなに悲しそうなんだよ」


 翌日。俺は机に突っ伏しながら青瀬に愚痴を垂れた。


 結局、俺と涼本は付き合うことになった。人違いを打ち明けられぬまま、かつて一度も話したことの無かったサバサバ女との男女の関係が始まってしまった。


 最初は学年中の人間から馬鹿にされると思っていたが、そんなことは無かった。案外、向こうも周りに言いふらしてはいないようだ。


「いやー、それにしてもノリちゃんの恋が実ってよかった! 今夜は乾杯だよ」


「あぁ……それが、人違いだったんだ」


 朗らかに笑みを浮かべていた青瀬の表情が、少しのタイムラグを経て豹変した。


「は?」


「いやまぁそうなるよな……」


 だって、自分でもよく分からないもの。


 本当、なんでほぼ初対面の塩対応ガールに「好き」とか言ったんだろう。


「なんでほぼ初対面の塩対応女に好きとか言ったの? バカなの?」


 わぁ、すごい。俺の心の声とほぼ同じセリフだ。


 しかも煽り付き。


「いやほんと、仰る通りです。ハイ」


 俺の黒歴史に、新たな一ページが刻まれた。


「と、とりあえずめでたいことにしておこうか。これから上手くいくかもしれないしね。……そういえば、松宮実咲さんだっけ? ノリちゃんが告ったこと知ってるの?」


「あー……知らんと思う。そもそも青瀬以外に告白の話はしてないからな。実咲も普段は駅でよく会うんだが、今日は見かけなくて」


 まだ気持ちの整理が着いていないから、はっきり言って彼女と鉢合わせなかったのは助かった。


「きっと、松宮さんも喜んでくれるよ。昔はサッカー、今は勉強と演劇のサポートに全力で打ち込むノリちゃんが、恋愛まで成功させるなんてね。少なくとも僕にとって、君は自慢の友達だ」


「青瀬……」


 人違いだったけどな──と再喝したくなるものの、素直に青瀬の言葉は嬉しかった。


 俺は思わず、体を起こした。予想外の言葉に動揺を隠せなかった。


「そそそ、そんなに褒めなくてもいいんだぞ!? 恋愛なんて個人の勝手だからな! そうだ、青瀬は好きな人とかいるのか?」


「死んだよ」


「……へ?」


「死んだよ」


 待て。どういうことだ。


 付き合っていたけど、事故で亡くなったとか──そういう事だろうか。


「長くなるけど、いい?」


「あぁ」


「わかった。……北海道からここに越してきた中二の夏に、学校の廊下で通り掛かった女の子に一目惚れしたんだ。そのままその子と付き合ったんだけど、どこか性格が合わなくてね。自分から告白したのだから、すぐ振るのもオカシイと思って……まぁ惰性だね。そして自分の気持ちがよく分からないまま、付き合って半年の記念日にその女の子は自殺した。僕が悩んでる間に、その女の子は更に深い悩みを抱えていたんだ。吹奏楽部で色々あったことは聞いていたけど、まさか自ら命を絶つまでに追い詰められていたとは……まったく。彼氏失格だよ」


 どこか寂しそうな顔をした青瀬は、やがて俺の肩に手を置いた。


「人生は、一期一会。態度はハッキリしてあげなきゃ、……あぁごめん。縁起の悪い話で。ノリちゃんは責任感があるし、人を幸せにできるはずだよ。頑張ってね」


 そうして、青瀬はどこかへと去っていった。


 追いかけようとも思ったが、足は動かない。結局、何もしてやれなかった。


 もしかすれば、俺は軽い気持ちで告白なんて大層なことをしてしまったのかもしれない。


「……そうだ。これも、何かの縁かもしれない」


 俺は一度、鈴本紗月という女にしっかり向き合おうと思った。


 友達の忠告は、ちゃんと聞いてやらないとな。


 とりあえず、何か彼女に連絡をしてみよう。まだお互いのことをまったくわかっていない。


「あっ」


 LINEを開き、友達の欄を確認していたところで、そもそも鈴本の連絡先を持っていないことに気がついた。


「クソ、青瀬に訊くのは申し訳ないし、かと言って実咲とは顔を合わせにくい……」


 仕方ないので、彼女がいる教室に突撃してみようと思った。


 まだ昼休みが終わるまで時間はあるし、特に用事もない。


 実咲と鈴本は同じ1-B組の生徒だから、少々行きにくいところはあるが……


 もう、いい。腹はとうに括っている。どうせいつかバレるし。


 俺は、アイツに真正面から付き合うことを決めたんだ!


『ガラッ』


「鈴本!! 話があr」


「シャラッッッッッッッッッップ!!!!!!!」


「ひでぶっ!!」


 俺はドアを開けた瞬間、何者かの殴打を頬に受け、背後の壁まで吹っ飛んだ。


「おい、なんだ今のは……!!」


 すると、目の前に鈴本が現れた。


 おそらく顔面を殴ったのは彼女だろう。いや、間違いなく、鈴本紗月だ。


 ところが、彼女は傷だらけの俺を憂うどころか、


「オラ立てや」


「えっっっっ!?」


 俺のワイシャツの袖をつかみ、強引に屋上に続く階段まで引っ張り出したのであった。


「いてて……おい、鈴本。どうしたんだよ」


「こっちのセリフだし。急に来るとかビックリぽんなんだけど」


 ワードチョイスがおっさんみたいだなと思いつつ、俺は携帯の画面を彼女に見せる。


「付き合ったのに、連絡先も持っていないことに気がついてな。だから、LINE交換しようぜ」


 すると、鈴本の表情が緩んだ。


「なーんだ、そんなことか」


「逆に何を想像してたんだ」


「今度から、さっきみたいに堂々と話しかけんの禁止な。成谷なるたにみてーな陽でも陰でもない反応に困る奴と付き合ってんの、バレたら結構大変なんだよ」


 あ、そうなのか。ありのまま過ぎて(サバサバすぎ)、あんまり秘密とか無さそうだけど、意外とこういうの気にするのな。


「まぁわかったけど、かと言って殴り飛ばす必要も無いだろ!」


「あ、きたきた。追加完了」


「話聞けや」


 なんだこいつ。会話のキャッチボールが、成立しない。


「てかこれ、『さぬき』って──」


「プロフの話? あー。誤字ったけど直すのだりーからそうしてるだけ。特に意味は無い」


「そう」


 自分の名前くらい正しく書けや。


 そう強く思った俺だが、もうこいつに何言っても無駄なので黙っておいた。


「んじゃ、用済み? 今度から連絡はLINEか電話で」


 そう言って、鈴本は足早に去っていった。


「はぁ……」


 まったく性格合わねー。


 階段に座り込みながら、俺はため息をつく。まだ付き合って二日目だが、既に暗雲がたちこめていた。


 ▪かつての想い人


「智人、やっほー!」


「あ……おはよう」


 鈴本による顔面殴打事件の、翌朝。


 吊革を掴んでぼーっとしていると、目の前に実咲が座っていることに気がついた。


「久しぶりだね」


 少なくとも今週中に会ったことがあるので、ダウト。


 しかし、他意の無い笑顔で語りかけているあたり、ただ覚えていないだけなのだろう。


 彼女は、松宮実咲まつみやみさき。金髪とカチューシャがお似合いの同級生。その瞳は真っ直ぐにこちらを見つめている。


 華奢な体つきで、俺よりもずっと背が低い。守ってあげたくなるような、それでいて活発な性格。


 俺はこいつと同じ高校に通うために、受験勉強をマジでやってきた。そして、無事合格することが出来た。


 今までは微妙な関係だったけど、高校ではステップアップしたい。……つい最近までそう思っていた、幼なじみである。


「最近、部活はどう?」


「最初は不安だったが、楽しくやれてるぞ。そっちは?」


「順調だよ。だんだんスマッシュも上手くなってきたし、バドミントンって結構楽しい」


 そう言って、彼女ははにかむ。


 やっぱり、実咲はかわいい……あぁ、もちろん。鈴本の次にな。


「高校から始めて、速攻で高体連のメンバー入ったんだろ? すげぇよ、実咲」


「ノリっちこそ。サッカーから脚本家に転身って、事実は小説よりも得なりって言うもんだね」


「奇なりだよ。なんだえなりって」


「……別にいいじゃないかー」※モノマネ


「古いしその方は最近出てねーだろうが!」


 テヘッと舌を出す実咲。見え見えのボケはご愛嬌である。どんなに面白くなかろうと、異次元レベルに可愛いからな。


 ……あぁ、もちろん。鈴本の次にね。


「そういえば、この前紗月と帰ってたよね。仲良いの?」


 ギクッ。


 朝からどぎつい話題を振ってきやがった。


「いや、何も無い。ただの友達、トモダチ」


「怪しすぎるでしょ。……ねね、もしかして付き合ったの?」


 ったく、この女は勘が鋭い。


 俺が片思いしていた件についてはまったく気づいてくれないのによ。


「……ええと、」


「幼なじみに隠し事なんて、智人もたくましくなったねぇ。ぶっ殺すよ?」


「怖い!? わかった、わかったから続きは電車降りた後な!」


 俺をからかって楽しそうな実咲。ほんと、青瀬といいこいつといい、俺の周りには(小)悪魔が多くないだろうか。


 *


「実咲。頼むから電車の中で恋バナは慎んでくれ」


 駅から、学校に向かう道中。


 ようやく人混みから逃れられ、少々肩の荷が下りる。


「ごめんごめん。……ってかひとつ疑問なんだけど。智人と紗月って性格合うの?」


「全く合わないが??」


 もうここまで来たら付き合っていることもバレていそうなので、素直に吐き出すことにした。


「あっはは。だよね、だって二人の共通点なんて高校生なことくらいしかないじゃん」


「実咲はアイツと仲良いのか?」


「うん、結構話すよ。というかあの子は、誰とでも仲良いんじゃないかな。裏表のない、とっても素敵な子だよ」


 お前もな、と呟いておく。


 あと、俺には鈴本が裏表のない素敵な子には全く見えないのだが……実咲が言うならそうなのかもしれない。


 世の中の大多数のJKが何かしらの闇を抱えている中で、実咲のような天使もいるものだ。


 どんな子育てしたら、こんな素晴らしい子が出来上がるのだろう。ご近所ながら、そう思う。


「智人はね、きっと考えすぎなんだよ。紗月って感覚派だからさ、とにかく考えるよりも先に行動するタイプなの。良くも悪くもアクティブだね」


「なるほど……俺の理解できない人種だな」


「確かに、智人とは正反対。でも、今は性格合わないなー、って思ってても大丈夫だよ。案外違う者同士って惹かれ合うから」


 笑顔でそう話す実咲。優しい声色で、俺にアドバイスをくれる。


「ありがとう、すごく参考になる。……ところで、それは経験談か?」


「いや、少女漫画で読んだの」


「信ぴょう性急に薄くなったが!?」


「んー、まぁ大丈夫じゃない?」


「不安ばかりが増していく……!」


 確かに、俺は考えすぎだったのかもしれない。


 正反対どうしは惹かれ合う、ねぇ……


「わかった。ありがとう」


 そして、歩いているうちに校舎が見えてきた。


 住宅街の中にある、ひときわ大きな建物。


『私立花川高校』。都内でも指折りのマンモス校だ。


「いやーそれにしても暑くなってきたねぇ」


 実咲は話が一段落すると、手で首元を仰いだ。


「それな。もう五月も終わり頃だし、そうこうしてる間に梅雨が来るな」


「やめて〜!!」


「俺に言うな」


 そういう話題を出すのをってこと、と言って実咲は頬を膨らませる。


 ここらはあまり栄えてないとはいえ、腐っても首都圏だ。青瀬の住んでいた北海道とは違って、何かと蒸し暑い。


 故郷がここなだけにもう慣れたが、新参者にはかなりしんどい気候なのではなかろうか。


「夏になったら、祭り終わったあとに水鉄砲でピストルごっこしようね!」


「何歳なんだよ……」


 他愛のない話をして、俺たちは別れた。


 会話内容は小学生の時から変わらない。語彙力が増しただけの、ゆるゆるトーク。


 昔から、実咲は自分の恋バナをしない。俺が訊いても、『乙女には秘密があるの』などと言って一切教えてくれない。


 別に乙女じゃなくても、秘密の一つや二つぐらいあるっつーの。


 そんなことを思いながら、俺は教室に入っていった。


「おはよう……ッ!?」


「なぁ、成谷!! お前付き合ったんだって!?」


「くっそ、いいなあああああああ!!」


「羨ましいぜ、くぅー!!」


「しかも相手はあの鈴本紗月だろ!? どうやって付き合ったんだよ!」


「鈴本……結構可愛いよなぁ!!」


 なんだこの地獄は。


 教室に一歩踏み入るなり、芋臭い男子高校生共がいっせいに俺に群がる。


 そして、『鈴本』『付き合う』『可愛い』『リア充爆散しろ』という言葉が辺りを飛び交う。


「ちょっっと黙れッ!! お前ら、なんなんだよ急に!」


「何、って……お前が鈴本と付き合ったっていう噂を聞き付けたから、野球部全員で祝いに来たってだけだが」


「だから全員坊主だったのかよ! 練習しろ練習!」


 なんなら、中には俺の知らないヤツもいた。


 とまぁ、こんな地獄があれから毎日のように開催されている、という報告だ。


 さすがに今回のようなケースはレアだが、知らない人間が祝いに来ることも多々ある。


 進学校だから話題に飢えているのだろう。小テストから少しでも目をそらす為に、俺と鈴本を利用しているとしか思えない。


「まぁ、いいか」


 坊主共にもみくちゃにされながら、俺はそんなことを呟いたのであった。


 ▪一方通行


「────ってことがあってさ。アイツ、はっきり言って慎重すぎるんだよ」


「はぁ……」


 私は教室の真ん中で、松宮実咲を捕まえて話を聞かせていた。


 成谷の幼なじみであるらしい彼女、以下ミサはいつも表情が崩れない、ちょっと変わったやつだ。


 出席番号がちょうど七つ違いで、席が近かったためいちばん最初に仲良くなった。


「正直、アイツがなんで私に告白してきたのかも疑問だし、関係隠すのもバカバカしくなってきたわ」


「ものすごく広まってるからね……わたしも友達から聞いたよ」


「だよな……もしかしたら私が有名人過ぎるのかもしれない。──ハッ。もしかして私って人気者?」


「なんだろう。すごく鼻につくよ……」


 正直言って、成谷はなんだか理屈っぽい。考えすぎだし、人生損してると思う。


 さすがにそこまでミサに言うつもりは無いけど。


「しかもさー、今度デートすることになったんだ」


「……おぉー、いいね! どこで?」


「近所のイオン」


「等身大だぁ……」


 しばらく愚痴った後で、ふわーっと、ミサに対してある疑問が浮かんだ。


「つーか、ミサって好きな人とかいたりするの?」


 その瞬間、彼女の動きが止まった。わりかし楽しそうにしていたのに、突然黙り込んだ。


「おーい、ミサ。おーい」


「──アディオス、世界!!」


「死ぬってことか? ……おい、早まるなよ! 恋は実るって」


「まだフラれたわけじゃありません〜〜」


 窓を突き破ろうとする彼女を抱えながら、思考を加速させる。


 こいつ、もしかして成谷のこと好きなのか?


 いや、でも幼なじみと恋に落ちるなんて幻想だ。私にも何人か男の幼なじみはいるけど、『興味無い』『こいつを好きになる奴の気が知れない』『彼氏はきっとドM』とか言ってくるしな。


 ま、私含めて全員モテないんだけど。滑稽だぜ。


「あ、今の紗月すごく悪い顔してた」


「えっ。してねーよ」


 私はわざとらしく咳払いをしてから、


「と、とりあえず。成谷の魅力を知るためにも、今度のデートはそこそこ気合い出して行ってやろうと思う」


 そんなことを口走った。


 何故だろう。アイツなんかのために、そこまで言うだなんて。自分でも驚きだ。


「お、良いんじゃない! 私の分まで頑張って!」


「なぁ、ミサってやっぱり……」


「違うよ! 幼なじみだからってこと!」


 そうには見えないけどな。けど、そこまで言うなら信じてやろう。


 話が一段落し、しばらくの沈黙があったあと。


「おーい、鈴本!!」


「!?」


 そんな声がしたので、私は猛然とダッシュし、反射的に拳を振り上げてしまったのであった。


「あの……サーセンした」


「連絡はLINEか電話ってこの前言ったばっかだよね!? なんで同じ過ちを繰り返すんだよテメーは」


 私がそう啖呵を切る中、鋭いながらも、穏やかな目で成谷は笑っていた。


 茶髪は寝癖でぴょんと跳ねているが、まぁよく見たら……


 ん? よく見てみたら、


「成谷って、結構いい顔してんのな」


「なんだ!? ドSなのか!?」


 そういうことじゃねぇよアホ。


 勝手に焦って噛み付いてくるが、無視無視。


「ってか、今度はなんの用だ」


「あ、はい。えっと」


 成谷はそう言うやいなや、ポケットから何やら本のようなものを取り出した。


 そして、それを私に手渡した。


「……これ、何?」


「劇の脚本をどうするか必死に考えてた時期があってさ。そりゃあ寝不足で大変だったんだが、ボツになったやつを小説風に書いてみたんよ。そしたら、角川の短編集に乗る事になった」


 は? そ、それって……


「めっちゃすげーことじゃんか!!」


「そんなに食いついてくれるなんて意外だな。……だから、鈴本に渡しておこうと思って」


 私は、手渡された本の表紙を見た。


『角川短編小説集 五分で笑える、泣ける読書』


 文学少女の凛々しい横顔とともに、そうデカデカとタイトルが載っていた。


 実は、私の彼氏って結構すげーやつなんじゃねーのか……?


「あの、やっぱ成谷って実はすごかったりするの?」


「まぁな。……ただ、重大なミスを一点してしまった。それは帰ってから探して欲しい」


 なんだ、それは。どうせ大したことじゃないだろ。


 そう思いつつも、私は急いで帰宅した。


 店の手伝いはあとにして、自室の椅子に座り、アイツから貰った本を広げた。


 ペンネームを聞くのを忘れていたが、あのアホのことだから本名で掲載しているだろう。いや、本名の人を馬鹿にしているわけじゃないからな。


 何も考えないでフルネームにしてるんだろうな、と私が思っただけだ。


「ん──っと、あったあった」


 やはり本名。割と最初の方に、アイツの作品はあった。どれどれ、『あの子のために出来ること』……ほう。結構いいタイトルじゃん。私、あんま本とか読まねーけど。


 そういえば、アイツの下の名前ってなんて言うんだろ。まぁいいや。目の前に書いてあるだろうし『著者 成谷海苔と』……うん?


 私は二度見した。いや、四度見くらいはした。


「うん。何回読んでも『海苔と』じゃん」


 こいつ……やっぱり、馬鹿だなぁ。


 普通、出版社に送る前に気づくでしょ。おっちょこちょいなヤツ……


「待てよ」


 ここで、私は一つの仮説を立ててみる。


 もしかして、アイツ。


 いや、そんなまさかな〜。どんなに成谷がアホでも、それは無いか。


 ま、一応、私の妄言だと思って聞いて欲しい。


「ラブレターの送り相手、間違えたんじゃね?」


 だってさ、ズボラな私に告白するような自信家がさ。


 いちいち手紙なんか使って奥手なことをしてくるか? 文章の中身もあまりにもチープすぎたし。


 それに、屋上に行ってからのアイツの反応はおかしかった。


 わざと大きな足音を立ててやったのに、姿を現した途端表情が豹変したし。


「まー、考えてもしゃあないか。合わないなら別れればいいだけ」


 成谷から貰った小説は明後日のデートの後にでも取っておくとして、私は急いで着替えて、店の手伝いに向かった。


『鈴本喫茶店』


 私の、大好きな場所だ。


 ▪初デート


「アイツ……間に合うのか?」


 腕時計をチラ見しつつ、俺は一向に現れない彼女に向かって舌打ちをした。


 ────午前十時、正面入口前にて。


 そう言われていたはず。街中にあるイオンなのだが、建物は大きく、店も多数揃っている。


 んで、あと一分で待ち合わせの時間となる。


 最初のデートぐらい早めに来るもんだろ……


 俺は壁にもたれてスマホをいじりながら、何度も歩道の方をチラ見した。


 いくら性格が正反対だとは言え、さすがに時間と金銭感覚の共有は外せない。


 もっとも、鈴本が時間をきっちり守るタイプのようには到底思えないのだが。


「あーいたいた、おはよ」


 そんな感じでソワソワしていると、目の前に彼女が現れた。


「…………」


「え、なに。あんまジロジロ見ないでよ」


「……あぁ、すまん」


 休日の鈴本は、思ったよりも清楚な格好をしていて、俺は度肝を抜かれた。


 青いブラウスと、白いロングスカートは長い足がより強調される。髪はいつも通りの黒ショートなのだが、黄緑色の髪飾りを付けていて、とても愛らしく仕上がっている。


 俺……こんな鈴本なんて知らなかった。


「かわいい。うん、似合ってる」


「ほ、ほんとか! やっと私の良さを分かってもらえたな」


 いつもなら、俺の言葉なんてそっちのけで、すぐに自分のしたい話に持っていくくせに。


 今日は珍しく行動を促すこともなく、ただ俺に上目遣いをしている。


「スーッ……よし。行くぞオラ」


「今の深呼吸で豹変しすぎだろ!?」


「つーか、成谷。その私服はなんだ」


 ビシッ。と、俺に指をさしてそう言う。


「えーっと、黒いジャケットにWEGOで買った紫のTシャツ、そして全く履き慣れないジーパンですが何か?」


「見りゃわかるわ。……思ったよりはキマってるけど、もう少し背伸びしたっていいんじゃねーの。ホラ、お前って元は悪くないんだからさ、なんつーか一歩でも踏み出してみたら?」


 街中で、ロングスカート履くような清楚な女の子が、急にこんな強キャラ感丸出しの発言したら俺ならチビる。


 立ちすくむ俺を差し置いて、鈴本は店の中に入っていった。


「ま、待ってくれ!」


 ったく……こいつとは、まるで性格が合わない。


 さっき恥じらっていた、あの健気さはどこに行ったんだ。


 不思議な女である。


 *


 しばらく俺は、彼女のキーホルダー巡りに付き合っていた。すぐにスタスタと歩いていくもんだから、何回も置いてかれそうになったよ。


 その癖、楽しいのかそうじゃないのか分からないくらい、無表情で辺りを物色してた。怖い。


「成谷。力比べでもしようぜー」


 そして、ゲーセンの前で鈴本は足を止めた。


 どうやら、パンチングマシンで勝負をしよう、と言いたいらしい。


「いいけど……」


「よし。負けた方が昼ごはんおごりな」


 自信満々な顔で、そう吹っ掛けてくる。


 いや、俺が勝つに決まってんだろ。


 男子高校生舐めんなよ。


「私、こう見えて運動神経いいから」


 拳を合わせて、彼女はそう言って笑った。


「いや良さそうではあるけどな。そりゃあ、俺だってサッカーで…………」


 ……まずい。俺は余計なことを口にしたあと、一旦黙った。


 自然なところで切ったつもりだったが、鈴本は不思議な顔をして、近づいてくる。


「え、成谷ってサッカーやってたの?」


 もう、誤魔化せそうにもない。俺は大人しく自身の経歴を語ることにした。


「えっとまぁ、…………そういうことなんだ」


「ちょ、日本代表とかすごすぎでしょ! なんでサッカーやめたのよ」


 鈴本の反応は、想像以上に良かった。


 過去の栄光にすがるつもりはないが、微反応だと泣けてくるからな。


「ま、怪我が多くて。三回目の大怪我をした時に、きっぱりサッカーは辞めることにした」


 確か、中三の春だっけ。


 元々膝に爆弾を抱えていたんだが、やがて日常生活にも支障をきたすようにもなっていた。


「あのままサッカーを続けていたら、一生車椅子生活になっていたかもしれないから。辞めたことに、後悔はないよ」


「ふーん。……そ、そんな話をされたって、昼ごはん代は払ってあげないからな」


「勝ったら奢ってくれるんだろ? ほら、早く行くぞ」


 初めて、三次元のツンデレが可愛いと思えた。


 自信満々な顔が崩れて、か弱い表情を晒す瞬間は見ものだ。


「な、なんだよその顔。ツンデレとかじゃねーからな。調子乗んなよ」


 そう言って、鈴本は俺の頬を引っ張った。


 痛った! 前言撤回。やっぱり、俺の彼女は引くぐらい怖かった。


 *


「へへーん、私の馬鹿力を舐めんじゃねーぞ」


 そう言って、鈴本はパンチングマシンにお金を投入した。そして、右手にグローブを装着。


 消毒などはしていなかったので、特にそういうのを気にしないタイプのよう。


 まぁ、手つきは妙に慣れている。


「おい、成谷。私がどうして最初にコインを投入したのか、わかるか?」


 いきなりこちらを振り向いて、鈴本はそんなことを訊いてきた。


 服装が清楚なことを差し引いても、強者の香りがプンプンしていた。


「何故って……自信があるからだろ」


「その通り。成谷のお財布に100円入れてやったよーなもんだからな。感謝しろよ」


 恩着せがましい鈴本をスルーして、俺は目の前のパンチングマシンを観察した。


 どうやらこの機器は、ミットが天井から吊るされているタイプではなく、自動で起き上がる仕組みになっている。


 つまり、ミットが倒れる速度がパンチの威力に換算される。上から下に、叩きつけるように殴るのが得策のようだな。


 ……しかし、そんなことを彼女が考えているわけもない。ただ、ゴリラ並みの腕力に身を任せているだけだ。


「おりゃああ!!」


 そうして予想よりも可愛い掛け声で、鈴本は拳を振り下ろす。


 ズバーン! といい音がしたと同時に、スクリーンに結果が表示された。


『198kg』


「いや、えっぐ」


「ここに来て自己ベスト更新! やったぜ!!」


 飛び跳ねて喜ぶ鈴本は可愛いが、それ以上に俺はこの記録に衝撃を受けていた。


 言っておくが、この数字はヤバい。


 自分の体重の二倍程度出れば良い方なので、仮に鈴本の体重が45kgだとして、なんと四倍以上の数字である。


「ま、それぐらいなら勝てるぜ!」


「は? その貧相な体でなに口走ってんだよ」


 そこまで痩せてはねーよ。割とガッチリしてる方だと思うぞ。腕も硬いし。


「……いくら、彼女がゴリラだとして痛い! じょ、冗談だっての!」


 頬をつねられてから、コホン、と一呼吸おいて俺は高らかに宣言する。


「勝負に勝つために、それに必要なことをやるのは当然だぜ」


 今、俺がやるべきこととは。


 パンチングマシンの構造を概ね理解し、どうすれば記録が伸びるのか。それを突き詰めていくことだ。


「早く、振り下ろす」


 念仏のように唱え、俺は鈴本から受け取ったグローブを装着。入念に動作を確かめて、


「────ッ!!」


 何も言わずに、夢中で拳を振り下ろした。


 良い感触を受け取った右手は、ミットを叩きつけるまで真っ直ぐにブチ抜いた。


「…………やるねぇ」


 記録が出る前に、鈴本は静かな笑みを浮かべてそう呟いた。


 ムキになるのかと思ったら、そんな謙虚な言葉が出てくるとは。


 しかし、数字が出るその瞬間まで、勝負は分からない。


「…………ふぅ」


 サッカーをしていた時にも、何度かあった。


『あと数秒で、試合が終わる』──って時に、同点弾を決められたり。


『キーパーを抜いて、無人のゴールにシュートをぶち込むだけ』──そんな時に、思いっきり滑って転び、ゴールを逃したり。


『あと数センチで、得点になっていた』──ボールを、相手にギリギリ掻き出されたり。


 サッカーだけに言えることではないと思う。全てのスポーツ、いや、人生も同じ──そこまで諦観する必要は無いとは思うがな。


 勝負ってのは、紙一重なんだ。


 ぶっちゃけ、『昼ご飯の勝負とかどうでもいいだろ』なんて思う人がいるかもしれないが……


 目の前の勝負に本気マジになることは、本当に大切なことだと思う。それは、ゲーセンでのパンチ対決だって同じなんだよ。


 全力で挑まなきゃ、相手に失礼だ。


『238kg』


「よっしゃあ!!」


 俺は、いや、俺の持つ男としてのプライドは勝った。


 死ぬほど悔しそうな顔をしながら俺の背中を叩くアイツは、なんだか子供らしく見えた。


 *


 そうして戦いを終えた俺たちは、クレーンゲームの方へと移動していた。


 先程の勝利でノリに乗っていた俺は、ついでに鈴本にぬいぐるみでも取ってあげようと思っていた。


 力だけじゃないってとこを見せてやるぜ!


 そう息巻いていたのだが、英世を三枚投入しても一つも取ることが出来なかった。


「…………だっせ」


 全く慰めてくれない鈴本と揉めたりもしたが、ちょうどお腹が空いてきたので、ここで昼飯の時間にすることにした。


 行先は、学生の味方『サイゼリヤ』──ではなく。


『おい、成谷。お前日本人だろ? じゃあ、寿司食おうぜ』


 という、訳の分からない理屈で言いくるめられ、回転寿司に来ていた。


 イオンモール地下一階まで降りて、一番端の広いお店。家族連れが多くいる中、俺たちの初カップル飲食は日本人の魂の権化ソウルフードとなった。


 ま、特筆すべきことはこのくらいで。


 あとは、二人で仲良く──とは行かなかった。


「うわ!! 私、ワサビ苦手なんだよ! 成谷〜。悪いけど貰ってくれ」


「なー。隣のクラスの橋本って、三股してるらしいぜ」


「待って! 醤油が跳ねたらスカートが終了しちゃう!! 助けて、成谷!」


 などと、クソどうでもいいことで心をすり減らした。橋本の話はちょっと気になるけど。


「あー食べた食べた、ごちそーさま」


 満足気な顔で、鈴本は手を合わせる。


 結局、そこまでの量を食べることは無かった。二人合わせて15皿くらいか?


 食いすぎて動くのが苦しくなるのは嫌だし、眠くなっちまうからな。


「ご馳走様。お代は俺が払うからいいよ」


「えっ、いいのか?」


 有り得ないものに出会ったような顔でこちらを見る鈴本に、俺は頷く。


「そりゃそうだろ。彼女に食費払わせるとか屈辱でしかないわ」


「へー。そういうとこもあんのね」


「なんだよ」


「なんでも。あ、奢りあざっす」


 鈴本はプイッと顔を逸らした。悪い、俺にはこいつの思考が読めそうにもない……


 そして、彼女は「調子狂う」と小声で漏らした。


 *


 そうして、しばらくアイツの服屋散策に付き合ったあと。


 俺たちはお買い物デートを早々に切り上げ、彼女の実家である『鈴本珈琲店』に向かうはずだったが。


 鈴本は帰ろうとする俺の袖を、グイッと引っ張った。


「……プ」


「はあ?」


「プリクラ撮ろう──撮るぞ!!」


「え、ちょ、えぇ!?」


 先程までのごろっとした目付きとは打って代わり、一気に楽しそうな表情になって鈴本は歩き始めた。


「おい、言っちゃ悪いがこんなのに何の意味があるのか? 小説だったら地の文の一言で済まされる展開だぞ?」


「何言ってるのか全くわかんねーけど、カップルと言ったらプリクラなんだよ!」


 鈴本はそう息巻く。いや、性格が残念なだけで、お前は十分可愛いだろ。それ以上どうやって加工するんだ──と口に出して言えないあたり、俺はチキンのようだ。


「わかった。お手柔らかに頼むよ」


「任せろ。可愛くデコってやっから」


「そういうことじゃねーよ!」


 結局、俺はテンション上昇中の鈴本とツーショットを撮った。加工後の写真を見たけど、俺の方が可愛くなってた。


 鈴本は嫉妬してた。うむ。その時の顔は、パンチ力対決で負けた時より悔しそうだったぜ。


「今日はありがとな、鈴本」


 帰り際、恥ずかしながら駅まで送ってもらった俺は、彼女と向かい合っていた。


 もうすぐ日が沈みそうだ。大きい建物を背にして笑う俺は、彼女の目にどう映っただろう。


「うん。正直不安だったけど、杞憂だったわ」


 相変わらず鈴本は素っ気ない。


「やっぱり……」


「ん、何?」


 俺が聞き返すと、彼女は顔を逸らしていた。


「あ、別に……コホン」


 咳払いをして誤魔化されたものの、別れの時間というのは刻一刻と迫ってくるものだ。


 外で彼女を長時間立たせるのも悪いしな。


「それじゃ、気をつ……」


「成谷」


「ありがとう。また誘ってよ」


 笑った彼女の顔は、とても可愛かった。


「……あぁ!」


 鈴本の、知らないところが知れていく。


 どこへ向かっているのかわからない俺たちの、たった一つの、大きな希望である。


 ▪喫茶店と幼なじみ


 8月6日。夏休み真っ只中の午後に、俺は鈴本喫茶店にお邪魔していた。


「それでさ〜、ウチの彼氏がね〜」


「うん。……あの、ツッコミどころは多々あるんだけども」


 例えば、どうして彼女の実家で恋バナをしなくちゃならないのかだとか、そもそも鈴本本人が不在だろうがとか、言いたいことは山ほどあるのだけれど。


「俺たち、男だよな?」


「え、そりゃそうだけど」


「じゃあなんでちょっとJK味だしてんだよ! つーかお前は180cm越えのスーパールーキー、『東の怪物』と称えられるサッカー部の青瀬じゃねーか!」


 どういうキャラなんだよ。


 舌出して誤魔化してんじゃねーぞ。


「ご丁寧な解説どうも。それで何の話だっけ?」


「架空の彼氏の愚痴はもう良いわ。それよりも、今日は祭りがあるんだろ?」


「あぁ、そうだった。ここの近所だよね、確か」


 隣町に住んでいる俺はよく分からんのだが、近くの公園で祭りをやるらしい。


 そのため、部活終わりに詳細を聞くべく鈴本実家直営の喫茶店にやってきた、というわけだ。本人の代わりに青瀬ともう一人のサッカー部がいたけども。


 そいつは帰った。ちなみに、俺も青瀬も学校指定の紺のジャージを着ている。少々ダサい。


「んじゃ、あともう少しで6時になっちゃうし、早速行こうか」


「んだねぇ」


「楽しみだね」


「んだねぇ」


「あ、ノリちゃん。会計しといて」


「んだ……いや、お前しか飲んでないだろ」


 机上には、空のコーヒーカップが置いてある。俺が来る前に、口をつけていたようだ。


「さ、行こうか。──みんなが待ってる」


「そうだな……もう突っ込まないからな」


 よくわからないボケはスルーして、俺たちはバカ騒ぎしつつ女子共の浴衣姿を見るという欲望に駆られて公園へと繰り出すのであった。


 *


『そういうわけで、成谷。私が迷子になったら助けてくれよ』


 そう言われてからというもの、未だに彼女の姿を見かけていない。


 ……おかしい。そもそもあいつはイオンからチャリで帰ってくるはずで、おまけに近所だし迷う要素なんてひとつも無いはずだが?


「来ねぇ」


 俺は一人でりんご飴を舐めながら体育座りをするという、果てしない辛さを味わっていた。


 ちなみに、青瀬はサッカー部の奴らと祭りを回るらしい。じゃあなんで俺と来たんだよ。


「あーあ、ぼっちに成り下がってしまった」


「どうしたの?」


 すると、目の前に金髪の美少女が現れた。


「……なんだ、実咲か」


「えへへ、ビックリした?」


 そんな彼女は、ピンクを基調とした浴衣姿で来ていた。うむ、素晴らしい。最高に目の保養になる。


「そりゃあな。ってか、今日は誰かと来たのか?」


「んーん。あ、智人が来てたらいいなって」


「冗談キツいっての」


 俺は美少女の優しさを手で押しのけ、わざとらしくりんご飴にかじりついた。鈴本とは連絡もつかねーし、しばらくは実咲と過ごすか……


「本当は、花火の時に会いたかったんだけどね」


 寂しそうに、実咲は笑う。どういった意味なのか、俺には図りかねる。


 やがて、彼女は俺の隣に座った。人混みから少し外れて、かつ周りも見渡しやすい特等席だ。


「……あの、さ」


 急に声色を変えて、彼女は俺に問いかけた。


「もし、私が好きって言ったら……好きになってくれる?」


 正に、爆弾発言だった。


 しばらく、時が止まった。


「…………」


 即答できない自分が情けなかった。だってそうだろう。もう俺には付き合っている人がいるというのに、この質問に答えられずにいるのだから。


「ごめん。やっぱり、俺は鈴本が好きだから」


 結局、少しばかり回答を渋りながらも、そう言いのけた。


 俺は、自分のセリフに驚いた。数ヶ月前の自分なら、こんな言葉は想像もできないはずだ。


 やがて察したのか、実咲は乾いた笑いをした。


「……はいはい。私、運が無かったと思うんだよね。あーあ。バカみたい」


 どうやら、その言葉は自分に言っているようだった。かける言葉もなくて、俺は俯いた。


 ……もし、あの時ラブレターを入れ間違えて無ければ、俺たちはどうなっていたんだろう。


 まぁ、それは考えても仕方の無いことだと思う。だって、過去ですらないifに、意味なんてないのだから。


 今あるのは、鈴本と付き合っている、という事実だけだ。


「ね、智人」


 そして、振ってもなお実咲はいつも通りの笑顔で俺の名前を呼んだ。


「……なんだよ」


「もうキスってしたの?」


「こりゃまた突然だな……」


 実咲の笑みに不信感を覚えながらも、俺は胸を張って答えた。


「してないぜ!」


「やっぱり……ってええ!? 本当に!?」


 なんだこいつ。過去一番驚いてやがる。


「心外だ……ま、まだ付き合って数ヶ月だし、普通だろ」


「いやいや! 普通はエキサイトでハイテンションなボディランゲージするでしょ!」


「妙な言い回しだな」


 彼女はひとしきり騒いだ後、全く喋らなくなった。


 ただひたすらに、前を見つめていた。喜怒哀楽の全てを詰め込んだような表情で、一言呟いた。


「じゃあ、やーめた」


 驚いて、俺は彼女の顔を覗いた。すると、小さな頬に涙が伝っているのが見えた。


 どうしていいかわからなかった。幼なじみの女の子を泣かせるなんて、俺は今世界で一番最低な男なのでは?


「ど、どうしたんだよ。よく分かんねぇこと言いやがって」


「ふん! 智人なんて嫌い」


 そう言うと、彼女はどこかへ走り去ってしまった。


 よく分からないが、怒らせてしまったことだけは確かだろう。


「後で謝らないとな……ん?」


 鈴本を探そうと立ち上がった時、リュックがないことに気がついた。


 そういやさっき、実咲が俺の背中をジロジロ見ていたような……


「あー。これ盗まれたやつだ」


 タイミング的にもあいつで間違いない。


 泣かれて焦っている間に、着替えと定期券が入ったリュックが取られてしまったようだ。


 もうよく分からない。ただの窃盗犯だが、後で親御さんに電話しておこう。幸い、俺は実咲の親御さんと仲がいい。


 それより、気になるのは鈴本だ。


 花火が始まるまでもう少し。本当に、あいつと再会できるのだろうか……


 待っていても仕方ないが、なんとなくここから離れることができなかった。今はもういない、彼女の残像を沈めることに精一杯だった。


 ▪N極とS極


『助けて 駐輪場』


 そのメッセージが入ったのは、花火開始のわずか五分前のことだ。


 実咲の呪縛から解き放たれた俺は、歩き疲れて、ベンチの背もたれに寄りかかっていた。だが、そんな文字列が目に映った瞬間、思わず飛び上がった。


 駐輪場ってことは、公園の入口付近にあるアレのことか? もしかしたら、あいつが地元のヤンキーに絡まれてたりして……


「それはヤバい!!」


 俺は財布と携帯を慌ただしくポケットに入れると、広い公園内を爆速で駆け抜けた。


 おそらくサッカーをやっていた時よりも、速く走れていたと思う。だって、愛する女性のためだ。


 怪我とか、そんなことはどうだっていい。とにかく、俺は急いでいた。


 場所がわからず右往左往しながらも、なんとか駐輪場らしき場所に着くことが出来た。もう、最初の花火まで秒読みという時間だ。


 しかし、肝心の鈴本が見当たらなかった。もしかすれば、悪意のある人間に攫われてしまっていたり……!!


「やっほー、成谷」


 気の抜けたセリフと同時に、大きな花火が上空に打ち上げられた。


 いや、実際には音だけしか聞こえなかった。横からひょこっと現れた鈴本を、ひたすらに見つめた。


 どうして彼女が健康そうに立っているのか、それが疑問だった。


「ん? あぁ、綺麗だね。花火」


「いやいや!! そうじゃなくてお前、なんでそんなに元気そうなの?」


 浴衣姿ではなくジージャンを羽織った鈴本に、俺は至極当然の疑問をなげかける。


「え、何が?」


「いやだから、助けてとか言ってたじゃん」


 あーあれはね、と鈴本は自慢の八重歯を見せながらこう言った。


「『成谷と花火見れなくなるのは嫌だから早く来いカス』ってこと」


「てめぇぶっ殺すぞ!!」


 俺の心配を返しやがれ!


 つーか言葉足りなさすぎるんだよ。老夫婦じゃないんだから!


「でも、来てくれたってことは」


「うるせぇ。早く移動するぞ」


「どこに」


「木の下」


「花火見えなくない?」


「見えるわ。ってか早くしろよ」


 今にして思えば初めて鈴本をリードした気がするが、その時の俺は何かに取りつかれており、全く気にしていなかった。


「…………うん?」


 鈴本は、かつてなく動揺していた。思い通りにいかないことも学びやがれ、ワガママな彼女よ。


「はい、着いた」


「ここか。よくこんな絶景スポット見つけたな」


 いい感じに人混みから離れていてかつ、周りが見やすい環境。先程、実咲が乱入してきた場所だ。


「つーか……鈴本。お前さ、結構花火楽しみにしてなかったか? 見なくていいの?」


「やっぱ成谷はアホだなぁ」


「なんだよ急に」


 焦げ茶の髪は、花火が上がる度に鮮明に映った。


 だが、彼女は夏の風物詩には目もくれない。


「花火より、成谷見てる方が楽しいわ」


「……そりゃどーも」


 そう言いつつも、彼女の目はたまーに花火を追っていた。無愛想だが、まるで子供のように輝いた目を隠しきれていなかった。


「可愛いぞ、今の紗月」


 さりげなくそう言うと、鈴本は顔を真っ赤にしてキレる。


「な、なによ急に!? ってか突然の名前呼びやめて! ビックリした!」


 至近距離で罵声を浴びせながらも、鈴本はやがて落ち着いてこちらを向いた。


「の、智人も……カッコイイ、よ」


 うう、嬉しい。学校指定のジャージ姿だけど。


「なに顔真っ赤にしてんだよ、成谷!」


「うるせーな、お前の方が真っ赤だよ!」


 今もこうして花火が上がっていると言うのに、それも忘れるほどに俺たちは言い争いをしていた。


 本当にくだらない会話だったが、何故だか充実感があった。


 きっと、鈴本に会えたからなんだろうな。


「あの、成谷」


「うん?」


「私さ、正直に言ってあの告白おっけーしたのはノリなんだよね」


「だろうな」


 ほんと。面白がってやってただろ、あれ。


「でも、今はなんて言うかな。言葉に言い表せないけど、安心するし『これが一番いい』って感じ」


 俺はその言葉の意味をしばらく図ってから、小さく呟いた。


「それ、『好き』ってことじゃねーの?」


「ば、バカ! うっせぇわブス!」


「さっきカッコイイとか抜かしてただろうが! 不安定だなオイ!」


 よく分からんが、それが鈴本紗月って女の正体なんだろうな。


 全く自分を曲げる気は無いが、無自覚に相手に寄り添っちゃう……みたいな。いや、よくわからんしたまに顔面殴ってくる狂犬ではあるけど。


「俺も、さ。実はあの時……」


 ふと、俺はラブレターを実咲の下駄箱に入れようとしたら、鈴本のものに間違えて入れたことをカミングアウトしそうになった。


 不自然に黙ったが、鈴本はわかっている表情で見てきていた。ここでしらばっくれる道理などない。


「あの時、俺は実咲の下駄箱とラブレターを入れ間違えたんだ。そりゃあどうしようもねぇし、しかも大して思ってもねぇのに好きとか抜かしたしな……」


「それは私も。半分ノリ」


「半分?」


「うん。てかさ、そんなこと元から薄々気づいてたし、今更言われて冷めるわけないでしょ。なんでそんな不安そうな顔してんの」


 鈴本はそういう突っ込まれたら嫌な部分を的確に突いてくる。俺は急いで表情を戻すと、無言で彼女を見つめた。


 鈴本もまた、俺を見つめる。無愛想、猫目とサバサバした態度。お世辞にも、モテる女の容貌とは言えないが。


 それで十分だ。それで、隣にいてくれるのなら。


「智人。好きだよ」


 その時、俺は不意打ちされた。


 てっきり、そんなセリフは彼女からは未来永劫出ないとでも思っていたのだ。


 あまりにも柔らかく優しいその言葉に、俺はクラっとしながらも意識を確かにもつ。


 唇をぎゅっと噛みながらこちらを見る彼女に、お返しをした。


「俺も、紗月のこと大好きだ」


 そして、最後と思わしき大車輪の花火が打ち上がった。光に少し遅れて、先程まで聞こえなかった心臓への直接便が辺りに響く。


 なるほど。幸せって、こういうことを言うのか。


 間違って、失敗して。何度も何度も考えて、やがて辿り着く。


 ……もちろん、これから成功する保証なんてどこにもない。けれど、なんとか上手くやって行ける気がする。


 俺たちは正反対だった。けれど、それが良かった。


 例えるなら、…………いや、これ以上は柄でもない。やめておこう。


「どうせ、『俺はイニシャルN.Nだし、紗月はS.Sだからみたいだなー』とかだっせぇポエムでも考えてるんでしょ?」


「うるせーよ!! 悪かったな!」


 にひひー、と俺をからかって彼女は笑う。


 良さげだった雰囲気がぶち壊しだ。……でも、不思議と心地がいい。


 花火の夜は、続いていく。


《完》







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