第5話 闇夜に幕開く歓迎会

「ねぇ、君たち! まだ起きてる?!」


 その切迫した声の主が受付のお姉さんだと認識できたときには、すでにノラは扉横の壁に背中をつけていた。

 ……言うまでもなく、鉈もすでに鞘から抜き放たれている。


 僕も慌ててテーブルで遮蔽をとり、魔術行使の準備をしながら扉に問いかけた。


「……いったい、何事ですか?」


 当然、僕たちは彼女に用事なんて申し付けていない。

 そして、この手の宿で従業員が自発的に客室を訪れるなんて尋常ではない事態だ。

 ……まぁ、この手の宿を利用した経験なんてないんだけども。


「さっき、ローガンさんがピンチだって知らせが届いたの。それで、その直後に宿へ賊達が押し入ってきたのよ!」


 扉越しに告げられた思いも寄らぬ危急に、ノラが鉈を振り上げたまま『まさか』といった表情を浮かべる。


 裏社会の人間との交渉が不調に終わる可能性は頭に置いていたけど、だからといってローガンが危機に陥るとは予想外の展開。

 腕っ節への信頼はもちろんのこと、彼なら交渉前に退路くらい確保しているはずだ。


 それと、気になるのは……


「…………う〜ん」


 僕が腕組みしたまま腰を上げないのは、受付のお姉さんが『なぜローガンの名を知っているのか』という疑問から。


 ここには宿帳なんて上等なものはなかったし、受付前の会話でも彼の名は出していなかったはず。

 ローガンは一時期この街に滞在していたそうだから、元々顔見知りだった可能性も捨てきれないわけだけど……


「まずいわ、このままじゃ火を放たれちゃう! お姉さんが安全な場所まで連れて行ってあげるから、早く出て来てちょうだい!」


 何が起きているのかさっぱり分からないけれど、ひとまず避難するしかないようだ。


 僕たち二人は手早く荷物を纏め始めた。


     ◇


 かくして、僕たちはローガン曰く『マシ』な宿から逃亡することになった。


 用心棒のお兄さん方が切り拓いた血路を抜け、受付のお姉さんの先導の元、旧都の入り組んだ街路を奥へ奥へと進んでいく。


 闇に沈んだ路上には人影は少なく、その代わりに稀に見かける人間が纏う暴力の匂いは極めて濃厚。

 ……夜間に危険度が上がるという理は、この街でも当然適用されている。


 しかし、少し先行して走るお姉さんの経路選択は常に的確で、そんな輩に行く手を遮られる事態には未だなっていない。


 でも、やっぱりコレは……


「……ねぇ、気づいてる?」


 僕と並走するノラが、前方で揺れるドレスの裾から目を逸らさぬまま問いかける。


 その意味するところは……あのお姉さんの想像以上に機敏な身のこなし。

 ……おそらく、さっきの用心棒たちよりもさらに手練れだ。


「まぁ、たぶん何かの罠だよね……」


 さっき宿を抜け出す際、用心棒たちと賊たちの戦闘もチラリと見てきた。

 血が飛び交っていたので完全な芝居ではなかったんだろうけど……正直、少し時間をかければ用心棒たちが勝利していたはず。

 ……前を走るお姉さんが加勢していたならば、さらに呆気なく片がついていただろう。


「そうよね……で、どうする?」


 どうするとは聞きながらも、ノラの気持ちはすっかり固まっている様子。

 瞳と鉈とをギラつかせ、まるで牙を剥くかのように笑っている。


 さっきまで随分とショボくれていたくせに何とも勝手な話だけれど……まぁ事前に確認してくれるようになっただけ、以前よりマシか。


「仕方ないね……このまま流れに乗ってみようか」


 本当にピンチかどうかはさておき、ローガンの状況なり居場所なりが分からないと動きようがないのだ。

 

 僕たち二人は顔を見合わせ、互いに気を引き締めていることを確認しあった。


     ◇


 僕たちの逃走劇の終着点は、背の高い廃屋に囲まれた八角形の広場だった。

 廃屋同士の隙間には瓦礫が積み上げられ、出入り口は背後の街路の一本のみ。


 そして、それも……


「……!」


 最後尾の僕が広場に進入するや否や、複数の荷車で塞がれてしまい……そして、すぐさま火が放たれる。


 そうして退路を絶ったところで、広場の中心に立つお姉さんが振り返った。


「……あらあら、あんまり動揺していないのね。状況を理解していないわけではなさそうだけど」


 まるで踊るかのようにドレスの袖が振るわれると、廃屋の窓からチンピラどもが松明片手にワラワラと湧き始める。

 どいつもこいつも凶悪な面構えで、宿への襲撃メンバーよりも上級なチンピラの様子。


 現状では総勢三十名程度だけど、廃屋の中にまだどれだけ残っているのか分からない。

 ノラが堕落したおっさん達に囲まれたときとは比較にならない脅威度ではあるけど……


「……そっちこそ、状況を分かってるの?」


 僕たちが彼女の実力を察したように、彼女もノラの動物じみた身のこなしには気づいていないはずがない。

 また、身なりから僕が魔術師であることも明らかなんだし、炎上する荷車程度では足止めにならないことくらい分かりそうなもの。


 いまいち彼女の狙いが理解できず、僕が首を傾げていると……


「随分と小憎たらしいガキね……まぁ、いいわ」


 一瞬、眦を吊り上げかけたお姉さんは、ふぅっと息を吐いてニコリと微笑む。

 そして、両手を広げてクルリと一回転し、この状況の意味を高らかに謳い上げた。


「貴方たちは、商売手仕舞いの詫びとしてローガンに売られたの! どっちの身柄も結構な金になるそうだから、大人しく捕まってくれると嬉しいわね」

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