堕落者たちの楽園

第1話 南海に惑う一羽の蝶

 抜けるような青空と、頬を撫でる潮風。

 真上で眩く輝く太陽と、煌めきを散りばめた水面。

 そして……グラグラと揺れ続ける景色と、塩と脂で薄汚れた甲板。


 船縁にだらしなく身を預けた僕は、ただひたすらに滔々と自説を語る。


「……大体、みんな見過ごしているけどさ。それを構成する各要素に着目すれば、いくらでも新しい発見があるんだよ」


 カモメ相手の解説の合間に、僕は波間へとぶち撒けてしまった酒精をガブガブと補給する。

 ……本当はもっとマシな船に乗りたかったんだけど、目的地に向かうのはこんなボロ船しかなかったのだ。


「……要素と構造を解析し、無駄を削ぎ落として純化。そして、最大効率を発揮できるように構築し直せば、世界が変わる……はずだったんだ」


 僕が語っているのは自身の性癖などではなく、魔術に変革を齎す……はずだった理論。

 ……魔術師の資格を失った僕が打ち立てたところで、誰もが鼻で笑うだけだろうけど。


「オェ〜ッ!」


 汚いモノをぶち撒けるたびに何か大事なモノも失われていくような気もするけど、今は飲まずにはやっていられない。


 ……魔術師ギルドからは除名、冒険者ギルドからは門前払いおよび出入り禁止。

 おまけに、商人ギルドの預金も凍結。


 誰の仕打ちかは知らないけれど……ここまでされては、さすがに心が折れた。


「……はぁ」


 そんな僕がこれから向かうのは、南方の海にぽっかりと浮かぶ孤島。通称『堕落者たちの楽園』。

 北方の内陸に向かって版図を拡げるエステリア王国においては、ド田舎すら通り越した世界の果てだ。


「…………」


 気候は年間通して温暖。自生した果物は食べ放題、魚は掴み放題。

 しかし、人口の多い街からは遠く離れているため保養地としての価値はなく、どの産品も鮮度が落ちやすいため商売するにしても旨味が少ない。


 つまり……これから僕が向かうのは、何もせず食っちゃ寝したいだけの人間が吹き溜まる島なのだ。


「……ぺっ!」


 水術で作った真水で口を濯ぎ、迷いと一緒に海に吐き捨てる。


 僕がそんな島に向かうのは、もちろん手持ちのお金が心許なくなったから……というのが最大の理由。

 でも、敢えてそんな環境に身を置いてみることで、自身の決意が揺らがないか試す意味合いもある。


「…………」


 残っていた真水を操り、一匹の蝶を構築する。


 術理が解明されるまでは『精霊術』と呼ばれていた、極めて高い誘導性を有する自律制御魔術。

 ……リンジーさんが最も得意としていた系統の魔術だ。


「…………」


 何処までも優しいあの人は、一族の秘伝と言われる技までこっそりと見せてくれた。

 その秘密を僕が見破ってしまったときの事は、今でも鮮明に覚えている。


 驚き、悔しさ、感動。それから一度目を閉じて……穏やかに笑って、僕の頭を撫でようとしてくれた。

 僕は膨れて「子供扱いしないでください」と払い除けてしまったけど、その夜は歯軋りするほど後悔した。


「……飛べ!」


 青く透ける蝶に向かって、水平線の彼方まで飛べと命じる。

 発声する必要なんてなかったけれど……何となく、そうしたい気分だった。


     ◇


 半日ほどの航海を終え、ようやくボロ桟橋に到着したボロ船。

 渡り板がかけられるなり、僕たち新人堕落者一同は、勤勉な船員たちに尻を蹴られて追い出されてしまった。


 それと同時に、果物や干物を抱えた先輩堕落者たちもワラワラと桟橋に集まって来る。

 どうやら、文明の香りがする品々を物々交換で手に入れに来たらしい。

 ……干してもあまり日持ちはしないそうなので、きっと買い叩かれるんだろうけど。


 まばらな人の流れに逆らって小道を歩くことしばし、この島最大にして唯一らしい集落に辿り着いた僕は……その想像以上の堕落っぷりを見て絶句した。


「何もないとは聞いていたけど……」


 果たして宿はあるのだろうか?と心配していたけれど……そもそも民家すらなかった。


 ヤシ林の中の広大な空き地には所々に葉っぱの山が積み上げられ、その上に大量のおっさんたちが寝そべって果物を齧っている。

 何人かのおっさんは熱心に果物を搾っているけれど、あれは甕に溜めておくだけでそのうち酒に変わるからなのだろう。


 見栄を張る必要のない此処ではプライバシーも必要なく、年間通して温暖であるために壁も屋根も必要ないらしい。


 そして、さて何をどうしたものかと辺りを見回してみれば……


「……何だ、あれ?」


 空き地の中央辺りに聳え立つ、一際うず高く積まれた葉っぱの山。

 その傍に打ち捨てられた流木には、下手糞な筆遣いで『町役場 & 総合ギルド窓口』と書かれている。


「…………」


 村と名乗るのも烏滸がましいこのおっさん達の巣には、随分と先進的な施設があるらしい。


 僕は多大なる疑念を抱きつつも、その葉っぱの山に向かった。


     ◇


「……何だ、坊主。寝床を探しているなら、空いている場所に勝手に作れや」


 寝そべったまま薄目を開けて気怠そうに対応するのは、町長よりも族長と呼ぶのがしっくりきそうな上半身裸の大男。


 町役場への住民登録手続きは必要ないようだけど、あいにく僕が興味を持ったのはもう一つの窓口のほうだ。


「いえ、総合ギルド?への登録?をお願いしたいのですが……」


 そんなギルドは此処にしか存在していないので、どういった手続きが必要なのかなんて分かりっこない。

 僕は全力の笑顔で説明をねだってみる。


「……そいつは助かる。此処のやつらは呑んだくれてばっかりで、仕事なんてしやがらねえからな」


 この族長が腕っ節で島を支配して、他の者を無理矢理に従わせているわけではないようだ。

 ……何にせよ、仕事を回してもらえるのなら有り難い。


「仕事の説明は後でするとしてだ……坊主、何て名前だ?」


 すぐに自分の名前を答えようとしたところで、僕はふと思い止まる。


 ……ここにまで手配が回っている可能性もないとは言えないし、心機一転ここから新しい名前を名乗ってみるのも良いかもしれないな。


 少し考えたあと、僕は様々な思いを込めて自分の決意を口にする。


「パピヨンです!」

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