第2話 グラスに映る星空は

『荷物を纏めたところで、運ぶ先が決まっていない』


 そんな身も蓋もない事実に気づいた僕は、いくつかの思い出の品だけをカバンに放り込んだ。

 そして、丸三年お世話になった部屋を盛大に散らかしたまま後にする。

 ……もちろん、こんな嫌がらせ程度では気が済まないけれど。


「…………」


 小高い丘の頂上に築かれた王宮の門前からは、王都の街明かりが星屑の海のように見える。

 背後の城門はまだ閉ざされておらず、思い出の場所を目にする最後の機会だけど……僕は振り返らずに足を踏み出した。


「……くそっ!」


 麓へと向かう石畳を歩くうちに込み上げてくるのは、悪態をつかずにはいられないほどの激しい怒りと……胸を掻き毟りたくなるような激しい後悔。


「……リンジーさん」


 怒りの矛先は、もう先輩とは呼べないあの人ではなく、あの人にあんな真似をさせた何らかの事情。

 そして、後悔しているのは、悪態をついてしまった自分の浅はかさに対してだ。


 ……あの人の優しさは、ずっとそれに守られていた僕こそが一番理解していたはずのに。


「…………」


 坂を下り終えて石畳が水平になったのを切っ掛けに、やっぱり僕は振り返ることにした。


 無数の篝火に照らされて、満天の星空に浮かび上がる荘厳な王宮。

 その威容とともに瞼の裏に焼き付けるのは、感傷ではなく……決意。


 彼処で何が起こっているのかは分からない。

 どうすれば彼処に戻れるのかも分からない。

 もしかしたら……僕が彼処に戻ることは、あの人の迷惑になるのかもしれない。


「それでも、僕は……」


 ……どんな手段を使ってでも、もう一度あの人の笑顔を見る。


     ◇


「笑顔もヤバいけど、うなじはもっともっとヤバい。それと、眼鏡をクイッと上げるときの仕草が……」


 勇ましい決意をしてみたところで、直ぐに出来ることなどあるはずもなく。

 今、僕の目の前で笑っているのは、さっき初めて会ったばかりの爺さんだ。


「お客様の趣味は、もう散々伺いましたよ。それより……これから、どうなさるのですか?」


 王都最後の夜を過ごすのに選んだのは、中の上といったランクの宿。

 その併設の酒場は接客の質も中々に高く、マスターは僕を子供扱いすることもなく自棄酒に付き合ってくれている。


 ……僕は少し前にちゃんと成人しているのに、低身長と童顔のせいで滅多に信じてもらえないのだ。


「とりあえず、明日には王都を離れるつもりだけど……そのあとは、何処かの田舎町で魔術師ギルドの仕事を請けてみるよ」


 宮廷魔術師の資格は失っても、魔術師としての資格は失っていない。

 これまでの蓄えもあるし、いきなり放り出されたところで食いっぱぐれる心配はないのだ。


「なるほど……ご自身の腕には随分と自信をお持ちのようですね?」


 そんなマスターの問いかけに、僕は手のひらを掲げることで答える。

 真ん中の三本の指先の上に浮遊するのは、小さな灯火、水球、石片。


「……ほう。三属性、いや四属性の同時行使ですか。さすがでございますな」


 小指の風塊にも気づくとは、この爺さん素人じゃないな。

 ……本当は『属性の制約を超えた魔術』こそが僕の目指すものだけど、そこまで説明する必要はないだろう。


「このとおり、当面の生活はどうにでもなると思うんだけどね……そのあと、何をどうするのかが問題なんだ」


 王宮に戻る手段として真っ先に思いつくのは、僕の研究を成就させて大々的に発表すること。

 ただ、宮廷魔術師の地位と環境があっても大変だった研究を、市井の一個人として進めるのは困難を極める。


 次に思いつくのは、僕の推薦者であるギリアン様に直訴すること。

 しかし、国境沿いを転戦し続けるあの方が現在どこにいるのかは分からないし、そもそも今の立場では陣に近づくことも手紙を届けることも難しいだろう。


「詳しい事情は存じませんが……『冒険者』になって腕を磨く、と言うのはいかがですかな? 場合によっては、荒事になる可能性もあるのでしょう?」


 ……具体的な事は何も話していないのに、随分と察しのいい爺さんだ。


 誰が何を企んでいるのかは全く分からないけれど、僕としても穏当な手段だけで解決できるなんて考えていない。


「……悪くないかもね」


 軍務を免除されていた僕は、実戦経験が乏しい……というか皆無だ。

 実戦経験を積みつつ少しずつ研究を進めて、ついでに一攫千金も狙うというのは中々いい考えだと思う。


 それに……魔物を追って野山を駆け回るのは、ちょっと楽しそうだし。


「それでは、若者の輝かしき前途を祝して、一杯ご馳走させていただきましょう」


 カウンターを滑る分厚いグラスの中では、窓越しに映る星空が揺れていた。


     ◇


 最高級の酒が注がれた豪奢なグラスの中では、窓越しに映った星空が揺れている。


 上役であるスタンレー特級魔術師の下を訪れると、話は飲みながら聞きたいと言われ、強引に酒場へと連れ出されたのだ。


「……報告は以上です」


 見えざる仮面をつけた私の前で、王宮でも屈指の美男子の顔が醜悪に歪んでいる。


 ……整った容姿の割に女性からの人気がないのは、こういうところが原因だ。


「ご苦労だったね。君が自分で引導を渡すと言い出した時には、また妙な庇い立てするのではないかと疑ったが……そこまでやってくれたのなら文句はないよ」


「……ありがとうございます」


 この男の地位はそれなりに高く、生家もそれなりの力を持っている。

 それでも、この一件を強引に押し通せるほど確固たるものではない。


 ゆえに、背後にもっと大きな力が存在するのは確実。

 しかし、末端として明確な指示を受けているのか。それとも、誘導されて操られているだけなのか……そこまでは分からない。


「褒美と言っては何だが、君を一級魔術師に昇格させよう。その代わり、あいつの研究は君が引き継いでくれたまえ」


「……喜んで、拝命いたします」


 彼はきちんと研究資料を残しておいてくれたし、元々私も研究に協力していたから、引き継ぐこと自体には何ら問題はない。


 ……しかし、あの研究に価値を見出していないわけでもなく、研究を頓挫させたかったわけでもない。

 黒幕の意図は、一体何なのだろうか?


「あぁ、そうだ。魔術師ギルドへの回状を忘れていたな。ついでだから、冒険者ギルドのほうにも回しておこうか」


「……っ!」


 思わず外れかけた仮面を被り直し、不慣れな愛想笑いを必死に維持する。


 その二つのギルドは、民間の中でも特に独立色が強い組織のはず。

 黒幕の権力が及ぶ範囲も、彼に対する執着も、そこまでのものとは想定していなかった……!


「いやはや、実に楽しい夜だね。……よかったら、これからも時々付き合ってくれないかな?」


 ほとぼりが冷めるまで彼を王宮から遠ざければ、いずれ時間が事態を解決してくれるのではと思っていた。


 たとえ彼が王宮に戻るという選択をしなくても、それならば何処かで幸せに暮らしてくれればいいと思っていた。


 そのとき、私は……彼との思い出を胸に、日々を過ごしていくのだと思っていた。


「おや……嫌なのかい?」


 思い出になんて浸っている場合ではない。


 もう二度と逢えないのだとしても関係ない。


 もはや過去となった関係性だとしても……後輩を守るのは、先輩の役目だ。


「……いえ、喜んで」


 ……どんな手段を使ってでも、私はあの笑顔を守る。

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