第35話 初めての看病③

 男の手料理、という言葉がある。

 

 男が料理をするだけなのにわざわざそんな言葉があるというのはつまり、この行為にはそれだけの価値があり意味があるということ。


 そして俺は只今、そんな高尚な行為の真っ最中。


「いって!」


 まるで宿敵に手首を斬りつけられたかのごどく、俺は悲痛な声を上げると右手で左手を強く握りしめた。その指先からはポタポタと滴り落ちる真っ赤な鮮血。

「くっ」と声を漏らす俺は、キッチンの上に置かれたセラミックナイフを睨みつける。人が一生懸命にリンゴの皮を剥いているというのに、使い手に牙を剥いてくるとはどういうつもりだこのヤロっ!


 なんて怒りをぶつけたところでセラミックナイフが反省するわけもないので、俺は仕方なく絆創膏を左手の指先に巻きつけると再び作業へと戻る。

 なお、すでに右手の人差し指にも絆創膏が巻き付けられているのだが、何のことはない。こちらに関してはセラミックナイフを引き出しから取り出そうとした時にバッサリと切っただけだ。


「俺ってほんと鈍臭いよな」と思わず心の声を漏らしつつ、俺は手術台に立つ医者のごとく慎重かつヘビースローモーションな動きでリンゴの皮を剥いていく。

 そしてやっとの思いでキレイに皮を剥き切った後、「さあ川波の為にリンゴでウサギでも作ろうじゃないか!」と気合いの入った言葉を放ったのだが、肝心の耳となる部分を綺麗さっぱり剥き切っていることに気付いてしまいあえなく絶望。

 けれどもやりたがりで形から入りたがりの俺は、ちょっとでも川波に喜んでもらいたい一心で再び新しいリンゴを手に取ると挑戦を始めた。


「……なーんか違うんだよなぁ」


 試行錯誤の末、やっとの思いでリンゴからウサギを作り出したのだが、残念なことにどんなアングルから見てもそれはウサギには見えなかった。どちらかといえば耳が異様に発達したキメラといったほうがしっくりとくるぐらい。

 

 リンゴからキメラを作り出せるのも一瞬の才能ではないかと無理やり自分を納得させようとしたのだが、こんな珍妙な形をしたリンゴを風邪で弱っている川波に差し出すわけにはいかないので俺はやっぱり泣く泣く耳を切り落とす。そしてシンプルイズベストな形になったリンゴをお皿の上に並べると、いつでも川波に差し出せるようにラップをして冷蔵庫へと入れておく。


「さて、ここからが本番だ」


 パンパンと埃を払うように手を叩いてそんなキザな言葉を口にした俺は、再びキッチンの前へと立つ。いくら男の手料理が特別な意味を持つとはいえ、ただ皮を剥いて切ったものを料理とは言わない。

 料理とは素材を活かしてさらなる変化をもたらし、そこに調味料や愛情といったものを注ぎ込むことによって心身共に満たすことができるいわば芸術の一種とも呼べる行いーーby 筒乃宮語録より。

 

 なんて名言ちっくなことを一人頭の中でぶつぶつと呟きながら、俺は今度こそ本格的な料理を作る為に作業を進める。今回自分が挑むのは、風邪の時にはうってつけの定番料理『雑炊』だ。

 これならおそらく作業工程も少ないし、初心者……いや、普段は料理の才能を抑えている自分にもきっと作りやすいだろう。だって俺はまだ本気出してないだけだからな!

 

 じゃあいつ本気出すの? 今でしょ! なんて一人漫才みたいなことを頭の中で繰り広げた後、俺はスマホを取り出すとさっそく下準備に取り掛かる。何事も始める前にまず大切なことは情報収集だ。

 というわけで雑炊の作り方について調べ始めたのだか……


「うーん……『その味まさに料亭レベル! 美味しい雑炊レシピ百選』はさすがに気合い入れすぎだよなぁ」


 開いたKindleアプリの画面を見つめながら俺はそんなことをボヤく。せっかく川波の為に手料理を振る舞うのであれば俺としては気合いを入れたいところだが、料亭クラスのものを作るとなると雑炊とはいえ完成するのが明け方になってしまう危険性がある。それにこの電子書籍、1980円ってなかなかぼったり感のある価格設定になってるし。


「ここはやっぱり安心安定のクックパッドでいくか」と作戦を切り替えて、ついでに有料から無料に切り替えた俺は、今度は意気揚々と料理サイトを開く。……って、なんだよオイ。人気レシピ見るには結局有料の会員登録しないといけないのかよ。

 

 何事も価値ある情報を手に入れる為にはお金が必要なのだと世の理を改めて痛感した俺はせっせと会員登録を済ませるや否や、川波に愛情たっぷりの手料理を振る舞うための最初の一歩を踏み出す。


「えーと……まずは具材の下準備と」

 

 俺はそんなことをぶつぶつと言いながらスーパーで買ってきた野菜をキッチンの上に並べていく。風邪の時には栄養たっぷりで効果的な白ネギに大根。それに俺を弱らせるには効果的な人参。

 そして今回は川波にしっかり栄養を補給してもらえるようにオリジナルアレンジとして玉ねぎ、しょうが、さらにはトマト、ブロッコリー、カリフラワー……


「……って、なんか違うよな」


 出店でも出すのかと思うほどに並べられた野菜を見て、俺は思わず突っ込みを入れてしまう。いくら栄養があるからといっても今の川波だと食欲にも限界があるだろうし、それになんか最後三つくらいの野菜は違う気がするぞ。

 

 俺はそんなことを思うと必要最低限の野菜だけをピックアップして再び下準備に取りかかる。まずは川波が食べやすいように野菜をカットしていく必要があるので、まな板の上に白ネギを寝かしつけると、俺はその胴体めがけて包丁を構える。


「ふぅ……」


 セラミックナイフとは違うずしりとした重みに、俺は無意識に呼吸を整える。さっきは指先に傷を負ったとはいえ絆創膏を貼る程度で済んだが、今回はそうはいかない。一歩間違えれば美味しい雑炊の代償に、俺の指が二、三本消えてしまう恐れだってある。


「それだけは避けなければ」と心のふんどしを締め直した俺は、まるで魔力を込めるかのように全神経と意識を右手に集めていく。そして……


「ハァァァッーー!」


 俺は気合いを込めた声と共に己の必殺技、『こっぱみじん切り』を放った。この技は通常のみじん切りよりもさらに細かく対象を刻むことによって弱った胃の中で消化不良が起こらないようにするための奥義の一つ。

 

 ザク……ザク……と気合いを込めた割には相変わらずヘビースローモーションな動きにもどかしさと苛立ちを感じながらも、俺は川波が食べやすいように細かく細かく野菜たちを刻んでいく。おそらく彼女であればほんの十分ほどで終わる作業を、俺はその三倍以上の時間をかけてようやく切り終える。


「よし……」


 最初の関門を乗り越えた俺は、再び気合いを入れ直すと今度はコンロに鍋をセットする。これから取りかかるのは、雑炊の『命』といっても過言ではない出汁作りだ。

 いくら栄養満点とはいっても味がクソ不味かったら元も子もない。この出汁作りによって川波の俺への好感度は大きく変わってくるだろう。

 

 そんなことを思い「よしっ」と声を漏らした俺はコンロにセットしたティファールの小鍋に水を注いでいく。そしてスイッチを回して、セットファイア!


「うーん……なんか隠し味がほしいところだな」


 塩、醤油、だしの素などを順に入れていきクックパッドの指示通りに料理を進めていた俺は、せっかくならば隠し味の一つや二つ忍ばせて川波に喜んでほしいと考える。

 が、もちろん料理初心者……いや、普段調理スキルを封印している俺がいきなりそんな高等なテクニックを発揮できるわけがない。個人的には名前のカッコ良さだけで選ぶのであればバルサミコ酢とかバジルソースとか入れてみたいところだけどな。


「まあ間違いなく不味くなるわな」と結果を一瞬にして予見した俺は、ここはイレギュラーな道は選ばずに素直に王道の味付けで進めていくことに決めて、お湯が沸騰し始めたタイミングで今度は冷蔵庫から卵を取り出す。そして小さなボウルをキッチンの上に置くと、その角めがけて右手に握っている卵を……


「……」

 

 まるでメデューサに睨まれて石化してしまったかのように卵を構えたままフリーズしてしまう俺。あれ? 卵割るときってどれくらい力を込めたら良かったんだっけ?

 

 中学の家庭科の授業以来久しく卵を握ってこなかった俺はそんなことを考えてゴクリと唾を飲み込む。しかしまるでそんな自分を急かすかのようにグツグツとナベのお湯が音を立ててプレッシャーをかけてくるではないか。


「ええい、男は度胸だ!」

 

 そんな言葉を口にして覚悟を決めた俺は勢いよく腕を振り下ろす。……が、しかし。

 

 カンッ!

 

 軽快な音を奏でたボウルだったが、俺の込めた力が弱すぎたのかそれとも卵のほうが固すぎたのかはわからないが、その白い殻にはヒビ一つ入っていなかった。

「嘘だろ」と俺は驚きのあまり声を漏らしてしまうも、まさか卵ごとき割れないほど自分の力が非力だとは認めたくはないので再び腕を振り下ろす。


 カンカンッ、カカンカーンッ! カンカンッ!


 まるで卵を使って音ゲーでもしているんじゃないかと思うほどリズムカルにテンポを刻む俺。ってかどれだけ固いんだよこの卵! なんだよコイツ、フルアーマーエッグか何かなの!?


「早く割れろよ!」と渾身の力で叩きつけた瞬間、さすがのフルアーマー装甲も耐えられなかったようで、卵は見事に中身を炸裂させて砕け散る。


「……」


 見るも無残になった卵とキッチンに俺はげんなりとした表情を浮かべるも、ここで立ち止まっている場合ではないと慌てて掃除を始めた後、再び卵を握りしめる。先ほどカンカンカンカンと音を鳴らしまくったおかげでだいたいの力加減はわかったので、二度目はスムーズに割ることができた。


「よしっ、これでもうすぐ完成だな」


 彩りと栄養をさらに付け加える為に溶き卵を鍋の中に流し込んだ俺は、グツグツと音を立てながら美味しそうな匂いを漂わせているだし汁を見て満足げに頷く。

 本当はできる男をアピールするためにやはり隠し味が欲しかったのだが、ここは物理的な隠し味ではなく、俺の愛情という精神的な隠し味でカバーしておこう。

 

 そんな妄想に取り憑かれながら「ふふん」と上機嫌に鼻歌を歌ってだし汁をお玉でかき混ぜていた時、俺は愛情という隠し味を注ぐことよりもさらに大切なことを思い出した。


「……あ、ご飯炊いてねーわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なぜか幼馴染みの美少女が俺の家政婦になっている。 もちお @isshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ