第33話 初めての看病①

「……って、何でだよ!」


 スマホの通話を切るや否や、俺はリビングで一人思わず声を上げた。電話の内容はもちろん川波が体調不良のため欠席になることと、その看病を目的とする俺の仮病を学校側に伝えるためのものだ。

 

 とは言っても川波の件は俺から直接伝えるとマズイので川波の両親を通して学校側に連絡してもらったのだが、優秀かつ無遅刻無欠席の川波が体調不良になってしまったということで担任だけでなく先生達の間でもかなりの騒ぎとなり、「川波さんは大丈夫でしょうか?」という折り返しの連絡が何度もあったらしい。

 

 これは同じく無遅刻無欠席の俺まで体調不良になったと連絡してしまうとさらに大ごとになるに違いない、と不安になりながらも覚悟を決めて電話をしたのだが、何故か担任から返ってきた言葉はまさかの「はいはーい」という軽快かつ適当な一言だけ。

 ちなみに「お大事に」の言葉さえも頂くことはできなかった。……って、何これ? 何の人種差別なの?


「何でだよ」と再び不満を漏らすも俺の方は完全に仮病なので文句など言える立場ではない。それにとりあえずこれで今日一日は川波の看病に専念することができるのでまあ良しとしようではないか。


「まずは必要なものを買い揃えないといけないな」

 

 気合を込めた声でそんなことを呟くと、再び自分の部屋まで向かいそーっと扉を開ける。そして慎重な動きで部屋の中へ足を踏み入れると、先ほど見た時と同じく川波はベッドの上で静かに寝息を立てていた。


「……」

 

 あまりにも無防備なその寝顔と服装を見て、俺は無意識にゴクリと唾を飲み込む。これほどまでに女の子らしく、そして気を許した格好をしている川波の姿など一緒に住み始めてからどころか幼い頃でさえ一度も見たことがない。


 そんな彼女が自分のベッドに寝ているのだから男として様々な妄想が頭の中で勝手に飛び交ってしまうのだが、俺はそれらを首を振って無理やり払い落とす。そして鞄の中から財布を取り出すと、再び慎重な動きでそーっと部屋から出た。


「えーと……風邪の時に必要なものは……」


 エレベーターに乗り込むと同時にスマホを取り出した俺は、川波の看病をするにあたり必要なものをネットで調べる。最低限の準備は家に揃っていたとはいえ、ここは念のために予備まで準備しておく必要があるだろう。

それに川波がちゃんと栄養をとれるように食べやすくて栄養価の高い食材も揃える必要がある。


 そんなことを考えながらマンションを出た俺は、一応自分も病欠という設定になっているので周りに同じ学校の生徒がいないか注意しながら近くのスーパーまで向かう。

 なお今回は仮病で学校を休んでいるが、こう見えても俺の身体はけっこう丈夫に出来ているようで中学の時は皆勤賞だったほどだ。

  これは俺が心身ともに規則正しく清らかである賜物だと思っているのだが、大森いわく「まあバカは風邪ひかないって言うしな!」となんともまあ心外な言葉でまとめられてしまったので、俺以上にバカなアイツは死ぬまで風邪をひかないと思う。

 

 そんなどうでもいい思考は信号機の灯色とうしょくと同じくすぐに切り替えて、俺は横断歩道を一気に突き抜けて目の前にあるスーパーへと駆け込む。


「さすがに目立つな……」

 

 本来であれば学校で授業を受けているはずの時間。当たり前だがスーパーに訪れているのは主婦の方たちばかりで俺のような学生はいない。そのせいか、「え? あの子もしかしてズル休み?」みたいな痛い視線をチクチクと感じてしまうではないか。


 これは早いとこ買い物を終わらせて帰ったほうがいいなと判断した俺は、とりあえず風邪に効きそうなものは片っ端にカゴに入れていくことにした。……が、しかし。


「そういや川波って、食べられないものとかあるのかな?」


 スポーツドリンクやら熱冷ましのシートやらを一通りカゴに詰め込んで野菜コーナーまでやってきた俺は、ふと手にとった人参を見つめながらそんな言葉を呟く。栄養がある食材を買ったとしても川波が食べられないのなら意味がないし、どうせなら彼女が喜んでくれる食材を揃えたいところ。

 

 だが残念なことに、俺は川波がどんな食べ物が苦手なのかを知らないし、普段何を好んで食べているのかもわからない。こうして改めて考えてみると、俺は好きな人と一緒に暮らしているくせに、ほんの些細なことでも彼女のことを理解できていないということに気づかされてしまう。

 そのくせ表面だけはリードできる男を演じようといつも空回りしているので、これはもう鬼畜を通り越してもはや滑稽の極みだろう。


 たった一本の人参を握りしめながら、己の浅はかさと愚かさに気付かされてしまい自分の人生に絶望する俺。

 けれどもそんな自分の絵面も周りから見ると相当奇妙かつ滑稽に見えてしまうようで、再びチクチクとした視線を全身に感じてしまい俺は慌ててその場から離れた。


「だったらこれを機に心を入れ替えればいいだけじゃないか」


 今は愛する人を看病する為にこんなところ(野菜コーナー)で立ち止まっている場合ではないのだ、と自分に喝を入れた俺は、今回の一件を機に川波のことをちゃんと理解していこうと心に刻む。

 だってそうだろ? 誰だって最初から相手のことを100%理解できる人間なんていないのだから、絶望する暇があったら好きな人の為に、いつも自分のことを支えてくれる人の為に今度は俺の方から歩み寄ればいいだけのこと。

 己の無力さに気づけた時、人は初めて本当の意味でのスタート地点に立ったということである。


 そんな名言めいたことを心の中で唱えた俺は、まるで小説の主人公の如く力強い一歩を踏み出して、再び川波の為に食材選びを始める。


 だがしかし、その数分後。今度はブロッコリーとカリフラワーの違いがまったくわからず、これまた自分の無知に絶望するのであった。

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