第19話 おサルのキーモン。

 結局あれだけ行きたい行きたいと言っていたくせに、土産ショップに入るなり「ちょっとお腹が空いちゃった」とポロリとそんな言葉をこぼした姫様西川によって、大森と彼女は近くにあるフードコーナーへと消えていった。

 もちろん俺たちも誘われたのだが、どう考えたって今の精神状態では食べ物はおろか水さえ飲める気がしないので俺は断り土産ショップに残ることにした。

 そして専属家政婦である川波も、主人が残るのであれば行動を同じくする。


「へぇ、けっこう色んな物が売ってるんだな」


 少し気力を取り戻してきた俺は、棚に並べられた土産物を見つめながらそんなことをぼそりと呟く。

 そもそもテーマパークなんて滅多に来ることはないし、ましてや友達や知り合いが限りなくゼロに近い俺は土産ショップに足を踏み入れようという発想自体思いつかない。だからかもしれないが、ありきたりなクッキーでもテーマパークオリジナルの包装をされているとそれだけで何だか新鮮に見える。

 

 納豆グラタン味ってどんな味がするんだ? と珍味コーナーに置かれていたお菓子を手に取りながら一人訝しんでいると、ふと隣のカップルの会話が聞こえてくる。


「ねえ、このペアのキーホルダー一緒につけない?」


 おそらくまだ付き合い始めて日が浅いのだろう。キャピキャピとした声音でそんな甘い言葉を口にする彼女に、デレデレとした態度で「おう、いいぜ」と言葉だけは格好をつける彼氏。

 オイなんだよテメェ。ちょっとばかし彼女が可愛いからって鼻の下なんて伸ばしてんじゃねーよコラ。

 

 なんてことを納得グラタン味のお菓子を握りしめながらひがみつつも、これは良いアイデアをもらったと閃いた俺はさっそくそれを行動に移す。


「な、なあ川波……」


 近くの棚を眺めていた彼女に声をかけると、「はい?」と言って川波がその綺麗な瞳を向けてきた。その瞬間俺もさっきのバカ彼氏みたいに鼻の下が伸びそうになるも、ゴホンと咳払いをして意識を取り戻すと慎重に言葉を吟味しながら口を開く。


「その、何かほしいものとかあるのかなって思って。例えばその……(ペアの)キーホルダーとか」


 ちょうど目の前にキーホルダーが並べられているラックがあったので、俺はそれをチラチラと見ながら尋ねた。すると、「うーん」といわんばかりに少し悩ましげな表情を見せた川波が、何かをねだるようにその潤んだ唇をゆっくりと開く。


「……いえ、特にないです」


「…………」


 だそうである。うん、やっぱり日本人であれば謙虚さって大切だと思う。でも川波の場合はもうちょっとわがままになってもバチが当たらないと思うよー?

 

 そんな期待を込めながら、「ほんとに? ほんとにないの?」とダメ男感丸出しで再び催促の言葉を口にするも、返ってくるのは「はい、ありません」のキッパリとした一言。


 けれども一度くらいチャンスを掴みたいと切望する俺は、「このキーホルダー可愛いよな」とか「あのキーホルダーちょっとオシャレじゃない?」とペア実現化計画を実行する。……ってかこの店どれだけキーホルダーおいてんだよ。なんか俺がキーホルマニアみたいになってんじゃねーかよオイっ。

 

 なんて自虐を心の中で放ちながら、俺は他に何かペアで使えそうなものはないかと一人必死になっえ探す。マグカップにシャーペン、それにカードケース……。珍しいものだとデザインが対になっている扇子も見つけたが、教室内で同じ扇子を使っている自分たちの姿を想像するとあまりにも滑稽なのでその案はすぐに破棄した。


「くそ、見たからねぇ……」


 商品が多いわりにはパッとくるデザインのものが見つからず、俺は思わず頭をかきむしる。すると視界の隅で何やら興味深けな視線を棚へと向けている川波の姿が映った。

 

 もしかして、ほしいものでも見つかったのかな?

  

 これはチャンスと思った俺はさっそく川波の方に向かって意気揚々と一歩目を踏み出すも、何だかこのシチュエーションにひどく既視感を感じてしまい思わず二歩目を踏みとどまる。

 ええいビビるな俺、ここはテーマパークの土産屋だぞ? さすがにタランチュラなんているわけないだろ。

 

 でもタランチュラの人形だったらどうしようと若干の恐怖を抱きつつも、俺はゆっくりと川波の隣へと近づくと声を掛ける。


「何かほしいものでも見つかったのか?」


 よほど集中して見ていたのか、それとも自分の存在感が無さすぎたのかはわからないが、俺が声をかけた瞬間川波は少し驚いたようにビクリと肩を震わせた。

 そんな彼女の反応が珍しく、俺は川波が何を見ていたのかが気になり覗き込んでみた。すると……


「これってたしか……このテーマパークのマスコットだよな?」


 覗き込んだ視線の先にあったのは、バナナを豪快に皮からかぶりついているおサルの人形だった。

 なぜコイツがマスコットだとすぐにわかったのかというと、このおサルの銅像がテーマパークの入り口含めて至る所に置かれていて嫌でも目につくからだ。

 ただし、落ち着くことができなかったので便所の個室に設置することだけは早急にやめてほしい。


「たしか名前がおサルの……」


「『キーモン』です」


 即答で答えてきた川波に俺は思わず「え?」と声を漏らした。そして目をパチクリとさせて彼女の顔を見てみると、いつもならクールなはずのその表情に心なしか熱が入っているようにも思えるのだが……


「もしかして川波……このマスコットが好きなのか?」


「……」


 違います。と何故か奇妙な間を作ってから答える川波。俺はそんな彼女のリアクションにまたも「え?」と声を漏らしてしまったのだが、再び川波が「違います」と力強い声で言ってきたので思わず黙り込む。……いや川波さん、めちゃくちゃ演技が下手なんですけど急にどしたの?

 

 俺がポカンと間の抜けた表情を浮かべている間も、目の前の美少女は瞳だけを動かしてチラチラとキーモンと呼ばれているおサルの人形を見ていた。

 その瞳があまりにも物欲しそうだったので、「買ってあげようか?」と俺は頑張って男前なことを口にしたのだが、川波は先ほどの倍以上の沈黙を生み出した後に、「いえ、いりません」とちょっと小声で返事をしてきた。

 どうやら俺が思っている以上に、川波さんはこの人形に興味津々のようだ。

  

 かと言って本人が頑なに断ってくる以上こちらとしてもどうすればいいのかわからず戸惑っていると、この状況に恥ずかしくなってきたのか、少し耳を赤くした川波が「すいません。ちょっとお手洗いに」と言ってスタスタと早足でお店を出て行ってしまう。

 もちろん俺はといえばそんな乙女チックな川波の姿を見てしまい、そのあまりの可愛さにただ口をパクパクとさせるばかりだ。


「こりゃもう買ってあげるしかないだろっ!」


 サルの人形が並べられた棚を前にして、俺は気合い十分な声でそんなことを言う。その時ふと気づいたのだがどうやらキーモンには兄弟がいるようで、棚に並べられた人形の中には「キーラン」とか「キーサン」とか微妙にデザインの違うおサルがいるではないか。

 

 けれども川波が興味を持ってチラチラと見ていたのは最初からキーモンだけだったことを俺はバッチリと記憶していたので他のサルになど興味はない。ただ一匹だけ、『キーマン』という黒帽子をかぶったサルの人形だけは、名前がなんだかサスペンスちっくでちょっと気になる。

 

 そんなどうでもいいことに一瞬気を取られながらも、俺は並べられている中で一番愛嬌のある顔をしたキーモンを手に取る。何なら俺の分も一つ買って二人お揃いにしようと思ったのだが、こんな人形を自分用に買ってもどう扱えばいいのかわからないし、それはもうペアじゃなくてストーカーの領域に入っていそうな気がしたのでやめた。


「ありがとうございました」とレジのスタッフの声援を背中に受けて、俺は気合いたっぷりな足取りで店の出口へと向かう。よほどさっきのやり取りが恥ずかしかったのか、川波が戻ってくる様子はまだない。

 ならばここは紳士であるこの筒乃宮康介がお迎えに行くべきだろうと俺は力強く扉を開けるとお店から一歩出る。

 と、その直後ーー


「ねー君、今一人なの?」


  ……え?

 

 お店の外に出るなり俺の視界に飛び込んできたのは、迎えに行こうとしていたはずの相手である川波と、そしてチャラそうな見知らぬ男が二人。


 明らかにヤバそうな展開に、俺は思わず呼吸と一緒に歩みをピタリと止める。

 けれども俺が止まったところで目の前の出来事が止まるわけはなく、男は馴れ馴れしい態度で川波へと近づいていく。


「……何の用ですか?」

 

 柄の悪い男二人を相手にしても川波は動じることなくクールを通り越して冷徹な表情と声で応戦する。そのあまりに絶対零度な態度に男の方が一瞬気負されたのだろう。「ま、まあそんなに怖い顔しないでよ」と薄っぺらい笑みを浮かべていた。


「もしも暇してるならさ、お茶でもどうかなー? って思って」

 

 もう一人のグラサンを掛けた男が挟み撃ちにするかのように口を開いた。あー、やっぱそうだわ。これ完全に危ない展開のやつだわ。


「いえ、結構です」と川波は相変わらず超クールモードで対応していたが、だからといって相手も素直に諦めるわけでもなく尚も強引に川波を連れていこうとする。

 そんな光景を前に、いくら万年ヘタレの自分とはいえさすがにこれは見過ごすわけにはいかず、俺はキッと鋭い目つきでチャラ男たちを睨みつけて勇猛果敢に一歩前へと……


 ――って、足動かねぇえーっ!


 踏み出そうとした一歩目が岩のごとく重く、俺は思わず心の中で叫び声をあげる。

 ただでさえクラスメイトに声をかけるだけでも人一倍の勇気を必要とする自分が、いきなり猛獣相手に話しかけるなんてもはや自殺行為に等しい。ってかそもそもあいつら相手にまともなコミュニケーションなんて取れるのかな?

 

 なんてことを恐れながらもこのまま川波を見捨てるわけにもいかないので、俺はすでに負傷者のごとく重い足を引きずるようにして彼女がいる方へと歩いていく。すると自分の存在に気づいた川波がこちらを振り向いてきた。


「ちっ、男が一緒なのかよ」


 川波の視線に気づき、あからさまに不機嫌な声でそんなことを呟くチャラ男。そんなトゲトゲしい空気の中を、「ど、どーも」と俺は売れない漫才師のようなきごちない動きで登場して彼女の隣へと並ぶ。


「なにお前、この子の彼氏なの?」


 川波相手だと気負されていたチャラ男が、やたらと高圧的な態度でそんな言葉を吐き捨ててきた。

 その言葉に俺は、「ああ、そうだよ」と言って男を睨み返す……という妄想を頭の中で一瞬してから「い、いや彼氏というか何というか……」と現実では言葉を濁す。って、全然ダメじゃねーかよオイっ!

 

 川波を守るためにやってきたはずが余計なお荷物と化している自分に苛立ちながらも、俺は目の前にいるチャラ男たちの苛立ちをどうやって沈めたらいいのかを必死に考える。すると、そんなオドオドとした自分とは違う力強い川波の声が耳に届く。


「彼氏ではありません」

 

 その言葉にホッとした笑みを浮かべるチャラ男たちと、事実とはいえ残酷なまでにハッキリと否定されてしまい思わず顔を引きつらせてしまう俺。

 そんな弱った自分を見てチャラ男たちはさらに調子づいたのか、「だったら俺たちとさ……」と再び口を開き始める始末。

 だがしかし、意気揚々と話し始めたチャラ男の言葉を、川波の超絶クールで芯の通った声が一刀両断する。


「この方は彼氏などではなく、私の『ご主人様』です」


「…………」


 川波の予想外過ぎる発言に思わずフリーズするチャラ男たち。そして本当にご主人様であるこの俺も、川波の言葉を耳にしてぎょっと目を見開いたまま凍りつく。

 

 な、なに言っちゃってんの川波さんっ!?

 

 この状況で信じられない爆弾を投下してきた川波に、パニック状態に陥った俺はただ口をパクパクとさせるだけ。

 捉え方によっては彼氏彼女よりも密接かつ濃厚で危険な匂いをも感じささせる川波の発言。そんな彼女の言葉を聞いて、コイツらとはあまり関わらない方が良いとでも判断されてしまったのか、何やらチャラ男たちがぎこちない笑みを浮かべて背中を向けた。


「……」


 無言で去っていくチャラ男たちの後ろ姿を見て、形はどうであれ危機を乗り越えることができたことに俺はほっと胸を撫で下ろす。

 と、その時。人混みに紛れていくチャラ男たちの方からふと声が聞こえた。


 いくら可愛くてもあんな無愛想だと萎えるよなーー


 あからさまにこちらにも聞こえるような声でそんな言葉を吐き捨てて去っていこうとするチャラ男たち。

 その瞬間俺は、胸の奥からカッと込み上げてくるものを感じて無意識に口を開く。


「おい、ちょっと待――」

 

 勢いよく開いた唇が、ぎゅっとシャツの裾を握りしめてきた手によって遮られた。

 驚いた俺が「え?」と思わず声を漏らして振り返れば、そこには小さく首を振る川波の姿が。


「筒乃宮様、大丈夫です。気にしないで下さい」


 どこか憂いを帯びたような表情でそんな言葉を口にする川波。その姿に何だか余計ムカムカとする感情が込み上げてきた俺は、「でも」と声音を強めて口を開こうとした。

 が、そんな自分の言葉を遮るかのように、川波が「それに」とすぐに言葉を続ける。


「私が無愛想なのは本当のことなので」


「……川波」

 

 再びクールな表情に戻ってそんなことを告げる川波に、俺は無意識に右手の拳をきつく握った。おそらく川波のことだ。チャラ男たちに反論して俺に迷惑が掛かるぐらいなら、自分の心を犠牲にすることを選ぶだろう。

 

 でも……


 感情を隠すように、何も感じていないと演じるかのように、表情一つ変えない川波の姿を見ていると、無償に自分のことが情けなりつい考えてしまう。


 きっと川波が俺の家政婦であり続ける限り、彼女はこうやって自分の感情を隠し続けていくのだろう、と。

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