第34話


「ティアナ様、お願いします……!私を、私たちを助けてください……!!」


 目の前で頭を下げるおっとりとした美人を確認し、ティアナは困惑した表情を隠せずにいた。


「アンジェリーナ様、お顔を上げてください。とりあえずこちらに座って、そのようにおっしゃる理由を聞かせてください」



 ティアナはフランネア帝国に戻る前に、プロスペリア王国をしっかりと堪能しようと決意し、日々街へと繰り出していた。

 数日前に見つけたお気に入りのカフェで護衛としてついてきたサミュエルを無理矢理席に座らせ、大好きなチョコレートケーキを頬張っていたところ、急にこのおっとり美人なアンジェリーナ・クラーク様が現れたのだ。


 とりあえず座って落ち着いてもらわなければと思い、対面に座っていたサミュエルに視線を送ると、首肯したサミュエルが席から立ち上がり、アンジェリーナに着席を促した。


 彼女はウィルバート皇太子殿下の側近を務めるランドール・クラーク様のお姉様で、『ブランシュ』というフランネアで最も有名な服飾店を営んでいると聞く。会ったこともないのに彼女が誰かわかるのは、ティアナが厳しい淑女教育に一言も愚痴を言わずに一生懸命取り組んだ結果に他ならない。


 そんな彼女がどうして今まで会ったこともない自分に助けを求めるのか、ティアナには検討もつかなかった。


 ーーそもそも私に助けを求めるメリットなんてないわよね?私に何かできるとは思わないけれど……


 困惑した表情を崩せないまま、ティアナはブルーグレーの瞳を涙で濡らし、席を立ったサミュエルと入れ替わりにティアナの対面に位置する席に座り俯くアンジェリーナを見つめた。


「私に何ができるかわかりませんが、少なくともお話を聞くことはできます。もしよろしければ、助けが必要な理由をお聞かせくださいますか?」


 その瞬間、アンジェリーナはぱっと顔を上げてライトブロンドの髪を靡かせながら席から立ち上がり、驚くティアナの席にたどり着くと、ティアナの傍らに膝をついてしゃがみ込み、膝の上の白魚のような手を握り締めて懇願した。


「お願いします。時間がないのです……!話は馬車の中でいたしますので、一緒に来ていただけませんか?」


 アンジェリーナの必死の形相に、何か大変なことが起きているのかもしれないと察したティアナは、できれば使いたくないと思って敬遠してきた力を使うことになるかもしれないと覚悟した。


(シュネー、聞こえる?)

(うん。やっと僕のこと呼び出してくれたね。待ってたよ。)

(ごめんね。人の力で解決できることは可能な限り人の力でって思ってたから‥‥)

(うん。わかってるよ。そんな君たちだから、僕たちは力を貸そうと思えるんだ。だから、いいんだよ。ティアナはティアナのままで。)

(ありがとう。都合のいい時ばかり頼るみたいでごめんね。力を貸して欲しいの。)

(もちろんいいよ。待ってたって言ったでしょ。いつでも頼って。きっとティアナが願ってできないことはないから。)

(なんだかそう言われると怖いけど‥‥よろしくね、シュネー。)


 ティアナは頭の中でシュネーと会話をして、視線をアンジェリーナに向けた。


「アンジェリーナ様、大丈夫です。もしお急ぎでしたら一瞬でフランネアのご希望の場所へ転移することができますから」


「そんなことができるのですか……?!そうですわね。宝玉がなくとも、プロスペリアの良質な魔水晶があればそんなことも可能なのかしら……。わかりました。では、今すぐにフランネアにある私の店、『ブランシュ』へ転移していただけますか?お話はそこでいたします」


「わかりました。けれど、私は今はご存知の通りフランネアでは歓迎される立場にありません。それに、訳あってフランネアに行くのはウィルバート皇太子殿下の許可が下りてからということになっていまして……」


「大丈夫です。私も『ブランシュ』もティアナ様の味方です。皇太子殿下や他の方には絶対に見つからないようにするとお約束します。」


 いくらクラーク公爵家の令嬢といえど、ティアナはアンジェリーナとは初対面である。

 お願いを無下に断ることもできないが、素直に頷くには警戒心が足りない気がして躊躇していると、シュネーがどこからともなく姿を現し、アンジェリーナをじっと見つめた。


(‥‥大丈夫だ。ティアナに対するとんでもない好意はあっても、悪意は微塵もない。)

(そんなこともわかるのね。シュネーありがとう。)


 とんでもない好意……?とティアナは疑問には思ったが、シュネーが大丈夫と判断したならきっと大丈夫だと信じられた。


「わかりました」と返事をしようとアンジェリーナの方を向いた時、ティアナの背後に控えてじっと話の行方に耳を傾けていたサミュエルがティアナに耳打ちした。


「ティアナ、フランネアに行くのなら私も着いていく。それだけは譲れないからな」


 驚いて咄嗟に後ろを振り向くと、爽やかに微笑をたたえた完璧な美形がティアナを見つめていた。


 奇しくも見つめ合う形になったティアナとサミュエルの顔を交互に見ながら、アンジェリーナは「あらあらまあまあまあ!」とブルーグレーの瞳を輝かせながら口元を緩ませた。


「サミュエル様がティアナ様と一緒に逃げたらしいという噂は知る人は知っていましてよ。本当でしたのね。お似合いのお二人ですわ。ウィルには勝ち目がなさそうじゃなくて?」


 後半は声が小さすぎて聞こえなかったが、前半部分はしっかりとティアナの耳に届いた。


「どうしましょう!そんな噂になっているなんて!サミュエルの経歴に傷が……!」


「気にするところそこかぁ‥‥」


 顔を青ざめさせて立ち上がったティアナと、がっくりと肩を落とすサミュエルを見て、「なるほど、まだウィルにもまだ勝ち目はありそうですわね‥‥」とアンジェリーナは呟いた。


「その話はまた後ほどたっぷりといたしましてよ。」


 そして、一旦話題が転換されたことによって冷静さを取り戻したアンジェリーナによって会話の主導権が握られた。


「お二人とは仲良くなれそうで嬉しいですけれど、取り急ぎ、フランネアのブランシュに転移していただいてよろしいかしら?あ、メアリーにも来ていただく予定になっていますので、一度プロスペリアの王城に行った方がいいかしら……」


「メアリーもですか?でも、そうですね。フランネアへ忍んで入国するということを話しておきたい方々もいますし、一旦王城へ戻らせていただきます」


 椅子に座り直したティアナがそう答えると、真剣な表情をしたアンジェリーナは言った。


「ただ、一刻を争いますので、出来る限り急いでいただきたいのです。人命がかかっていますの」

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