第19話


『母が生きている』


 その事実がティアナに知らされたのは、スコット男爵邸からプロスペリア王国に向かう馬車の中でのことだった。


「お母さんが……?生きて……?」


 ティアナは予想外の情報に目を白黒とさせていた。


「お母さんの命を……助けてくれたのが、サミュエル様のお兄様、スタンリー様……。それと、メアリー……」


 昔から母親のことをそう呼んでいたのだろうな、とサミュエルは微笑ましく思いながら、ティアナの正面に位置取ったメアリーの隣に腰掛けていた。


 本来ならば護衛として外で馬を並走させているところだが、今はティアナの側についていたいと、追い出そうとするメアリーを押しのけて無理矢理同じ馬車に乗り込んだのだ。

 大人気なくてもなんでもいいのだ。この話の関係者でもあるのだから、この場にいる権利はサミュエルにもあるはずなのだ。その結果、こんな綺麗な涙を見られたのだから、頑張って抵抗した甲斐があったというものだ。


 サミュエルは慕っていた兄の最期の仕事が、ティアナの大切な人、ひいては彼女自身を守ることに繋がってよかった、と心底思った。

 やはり兄は偉大な人なのだ。いつか肩を並べ、やがて追い越したいと思う存在であったが、サミュエルが追いつこうともがいている間に、兄は遥かな高みへと姿を消してしまった。


 ティアナは静かにぽろぽろと涙をこぼしていた。……と思ったら、急にサミュエルの方を向き、両手をがしっと掴んだ。

 

 頬を紅潮させ、瞳を潤ませた破壊力抜群な表情とは対照的に、掴まれたサミュエルの手は意外と力強く拘束されていた。彼女の思いの強さが表れているようで、サミュエルにはとても好ましく感じられた。


「サミュエル様、ごめんなさい。あなたのお兄様、私の両親の救出に関わってしまったために亡くなってしまったなんて……」


 ティアナは言うべき言葉を失っていた。何を言っていいのかわからなかったのだ。家族を喪う辛さは彼女も既に経験しているのだから。

 ほろほろと涙を流しながら、今度はメアリーに向き直る。またもや両手をがしっと掴んで引き寄せる。


「メアリー、ごめんなさい。私、なんて言ったらいいのか……。ごめんなさい。本当にごめんなさい」


 ティアナは謝り続けた。自らがこれから言葉にする思いがとても浅ましくて申し訳なかった。


「でも、ごめんなさい。私、そのせいでみんなが不幸になっているのに、申し訳ないと心から思っているのに、お母さんが……母が生きていると思うと本当に嬉しくて……」


 ティアナは素直な気持ちを吐露した。


「こんな卑しい私だけれど、サミュエル様のお兄様、メアリーの恋人に心から感謝します。メアリーにも心からの感謝を。本当に、本当にありがとうございます」


 メアリーの両手をしっかりと握りしめたまま、ティアナは二人に対して深く深く頭を下げた。ドレスの膝にポタポタと涙がいくつもシミを作っていく。


「ティアナ様、お顔を上げてください。私の大好きなティアナ様が卑しいなんてとんでもないです」


 ティアナは頭を上げ、涙に濡れた瞳をメアリーに向ける。


「そうですよ。兄はマリア様を助けられたこと、とても誇りに思っているはずです。正義感の強い人でしたので、黒幕を自身の手で捕まえられなかったことを悔いてはいるでしょうが」


 ゆっくりとサミュエルの方を向いた翠の双眸を覗き込んだ彼はにこりと微笑む。


「それに、私たちはそんな兄のことを愛していました。もちろん亡くなったのは悲しかったですが、誰かを救って、悪を正そうとして亡くなったのだと知って私は兄らしいと思いました。それ以上の感想はありません。

 兄がそうしたいと、望んで生きて迎えた最期です。兄が好きに生きた結果に対して私が文句を言えようもありません。

 むしろ、私もマリア様が助かってよかったと、あなたが目を真っ赤に腫らしてしまうくらい涙を流して喜んでくれて、兄も安心しているだろうと、そう思いますよ」

「その通りです。あの人は昔から人の不幸を自分のことのように嘆き、人の幸せを心から喜ぶような人でしたから。

 それに、亡くなったと思っていた肉親が生きていたのです。喜ぶのは当然ではないですか。私が伝えようと思えばもっと早く伝えることができたのに、そうしなかったのですから、謝らなければならないのは私の方です」


 ティアナは素晴らしい人格者に母が出会えた奇跡に感謝した。

 スタンリーが事故の現場に駆けつけていなければ、きっと母は助からなかっただろう。

 

 そして、メアリーがティアナにマリアの生存を知らせなかったのは、安易に話してティアナを危険に晒さないためだったと推測できる。


 いずれにせよ、ティアナにはスタンリーとメアリーには感謝の気持ちしかない。謝るなんて以ての外だ。そう伝えようとした時、メアリーが忘れていたとばかりに言い添えた。


「それと、スタンは私の恋人ではありません」


 ティアナは予想外の言葉にびっくりしてようやく涙が止まって少し赤くなった瞳をぱちぱちと瞬かせ、サミュエルは神妙だった面持ちを一瞬で苦笑の形に崩したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る