第8話 8

 ところ変わって、授業中の勘九郎。



 「おい、篤田」



 窓際のちょうど真ん中の席。前でも後ろでもない、最も人気のない席の後ろにわざとらしく座る生徒が一人。

 彼は一ノ瀬陽いちのせはる。栄えある座頭市学園の映画研究部に所属する男子生徒だ。



 「毎度毎度、よくもまぁ公衆の場に面を出せるもんだな。このアイデア泥棒が」



 あまり、穏やかな雰囲気ではない。

 恫喝するような声に無反応で居られるはずもなく、勘九郎は言葉を返す。



 「何度も言っているだろう。あれは、偶然だった」



 映画研究会を発足する前、勘九郎は映画研究に所属していた。

 ある日、コンクール用に部に提供したシナリオが、どういう訳か紛失してしまっていた。それを知って、仕方なくもう一度書き直して提出すると、同じ内容の物が既に、それも他人名義で提出されていたのだ。

 名義は、データを手渡した当時二年の副部長の物だった。



 当然、勘九郎は食い下がった。

 しかし、その甲斐なく抗議は聞き入れられず、おまけに副部長のアイデアを盗んだ泥棒として汚名を着せられ、弾圧とリンチの末に退部を強いられてしまったのだ。

 余談だが、映画研究部はその年のコンクールで見事な成績を残したという。



 カントクと言うあだ名、実は映画研究部の連中は絶対に口にしない。何故なら、彼らはその言葉にどれだけの敬意が込められているかを知っているからだ。

 だからだろう、何の気なしに皆が呼ぶカントクと言うあだ名を妬み、今も尚こうして勘九郎に絡むのは。



 「偶然な訳あるか、お前は水槽に浮かべた時計のパーツが、勝手に組みあがるとでも思っているのかよ」



 「可能性で言えば、そう言う事もあるだろう。俺は自分の意志であれを書き、そして提出した。他の事はどうだっていい、それだけが事実だ」



 「まだ言うのか、この!」



 椅子を思い切り蹴とばす一ノ瀬。机を飛ばして前に倒れ込む勘九郎。その姿を見て、周りの生徒は奇異の眼差しを向けた。



 「篤田。何をやっている」



 教科担任も、彼が奇人変人である事を知っている。それ故に、こんな非常識な行動も「勘九郎だから」として問題にしない。

 助けを出す人間は、どこにもいない。



 「おいおい、大丈夫か?篤田。授業中まで妄想ごっこは止めておけよ」



 一ノ瀬のジョークを聞いて、クラス中が笑い出す。

 机を立てて、散乱したペンと教科書を片付ける手伝いをする人間は誰もいない。

 勘九郎は、孤立しているのだ。



 だが、勘九郎は絶対に言い返さない。ムキにならない。強い言葉を、使わない。



 「授業を続けてください」



 冷静な態度は、一ノ瀬の神経を逆撫でする。

 最初は小突く程度だったのだが、逆上が逆上を呼び、こうして粘着される理由となってしまっている。それでも自分のアイデアを否定する事が出来ないのは、彼が心の底から面白いモノを作っていると自覚しているからだ。

 尊厳を踏みにじるくらいなら、自分の信念を曲げるくらいなら、迫害される方が幸せだと本気で信じているのだ。



 そんな態度を見て、ギリと歯ぎしりをする一ノ瀬。理不尽な怒りの炎は、不気味に燃えていた。



 ……その後、勘九郎は足早に教室を後にした。

 後を付けられている事を知ると、普段はサボるはずの午後までの全ての授業に出席し、スタジオの存在を悟られない様に過ごしたのだった。



 錆びたドアノブ捻り、宿直室の中へ入る。そこには、丸まって寝息を立てるエリーの姿があった。

 鍵もかけずに眠る事を良しとしない気持ちは、かろうじて勘九郎にもあるようだ。



 不思議な感覚だった。

 その姿を見ると、どういう訳かさっきまでの黒い感情が少しだけ晴れていくような、そんな感覚。

 これをきっと安心と言うのだが、勘九郎はそれをまだ知らない。

 手前に鞄だけ置いて、ノートパソコンとジャッキーカルパスを手に持つと、物音を立てずに二階のスタジオへと向かった。



 「クレーン撮影とかできたら、凄く臨場感があるだろうな」



 三脚にカメラをセットしながら、ぼそりと呟く。欲しがっているのは、テレビ撮影で使われているような乗るタイプではなくスタビライザー(反動抑制のアタッチメント)の延長線にある代物。

 何とかして手に入らないかと、目下検討中だ。



 一通りの設置が完了し、なんとなくステージ周りの掃除をする。

 そうしていると、約束の時間になったのか、寝ぐせを立てたエリーが目を擦りながら扉を開けた。



 「おはよ。結局三時まで寝ちゃったよ~」



 ぽわぽわとした口調で呟く。まだ、夢見心地で居るのだろう。



 「顔、洗ったらどうだ?裏口を出たところに使える水道があるぞ」



 「うん、そうするぅ」



 言って、考えてみれば彼女がタオルを持っていない事に気が付くと、勘九郎は一度宿直室へ戻ってから水道へ向かった。



 「ほれ、結構冷たいぞ」



 「あぁ、ありがと」



 顔を洗って、顔をゴシゴシと拭くエリー。化粧はほとんどしていないようだった。



 「なんか、今日は優しいね」



 「お前は大事な主演女優だからな。体調管理も監督の務めだろう」



 透き通るような青い瞳で、エリーは勘九郎の顔を見た。

 嘲笑ではない、楽しげな笑顔だ。それを噛み締め、大きく息を吸い込むと。



 「それじゃあ、今日もよろしく!練習と同時で、一緒に撮影も進めていこう!」



 撮影モードに入って、一気にテンションが上がる勘九郎。



 「えぇ?早くない?」



 「早くない。だって、エリーはもう台本を覚えているじゃあないか。演技だって、バッチリだしな!」



 またも猛烈なプッシュを受け、なし崩し的に先へ進むことになってしまったエリー。

 だが、彼女の前を歩く背中を見て不安が消えていく不思議な感覚に身を任せると、羽のように軽い第一歩を踏み出す事が出来たのだった。



 「……任せて!いい映画、作ろうね!」



 そして始まった撮影は一週間に及んだ。

 勘九郎が最後のカットを叫んだのは、まもなく日の沈む夕暮れの事だった。

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