第7話 7

 × × ×



 早朝、目の下にクマを浮かべたエリーはフラフラと第三旧校舎に向かっていた。

 夜に見た強烈な血しぶきと、耳をつんざく悲痛な叫び声が頭から離れなかったからだ。



 「あんなの、おかしいよ。だって、絶対に助からない……」



 言って、有刺鉄線で雁字搦がんじがらめにされた男の姿がフラッシュバックする。

 ゾクリと走る背筋の感覚を腕を抱いて抑えると、ゆっくりと宿直室の扉を開けた。



 「カ、カントク?」



 中を見ると、彼は口の端から涎を垂らして眠っていた。

 どうやら、今日も徹夜で作業をしていたらしい。学校指定のジャージは、すっかり作業着になってしまっているようだ。



 「興味ないって言ってたのに、ちゃんと最後までやったんだ」



 画面には、編集の終わった一本の映画。それは、二日前にエリーが撮影現場を見かけたあの映画だった。

 中身が気になって、こっそりとイヤホンを盗んで耳に装着し再生ボタンを押す。



 「……ふふ。なにこれ、ちょっと酷すぎかも」



 確かに、これに比べれは自分の演技は幾らかマシなのかもしれないと、エリーは思った。

 声に抑揚は無く、それなのに表情だけがやたらに迫真だ。

 加えて、BGMがどれもどこかで聞いたことのあるのも安っぽさに拍車をかけている。ただし、影と本人が入れ替わる真相と演出には得も言われぬ感動があった。少なくとも、「おぉ」と声を漏らしてしまうほどには。

 評価をレーダーチャートに表したら、とんでもなく尖った形になるだろう。



 「多分、音楽家とか必要なんじゃないかな」



 思い返してみれば、脳に焼き付いて離れないソウのあのシーンも、希望を刈り取るようなBGMあっての戦慄だと感じる。

 目に見えないモノだからあまり意識していなかったが、だからこそ必要不可欠なのだろう。



 「……んあ」



 思わず呟いたのに気が付いたのか、勘九郎はとぼけて目を擦った。

 天井に向かって手を伸ばすと、コップの水を飲み干して首を鳴らす。



 「あれ、授業に出るんじゃなかったのか。まだ朝も早いぞ」



 別に早くないが、時刻は間もなく9時。そろそろ一限の授業が始まる。



 「ちょっと、昨日眠れなくて」



 「あぁ、ひょっとしてファイナルまで一気に見たのか。気持ちは分かるが、今日の練習に支障が出ると困るな」



 「違うよ、最初の一作目の半分までしか見てないもん」



 どこで挫折したのかを語るエリー。



 「そりゃ勿体ない。グロに目が行きがちだけど、あの映画の真骨頂はどんでん返しだからな」



 「恐いのは苦手なの!今度からはもっとハッピーな気持ちになれるのをお勧めしてよ」



 少ないシーンでもアイデアだけで素晴らしい作品が作れると伝えたかったのだが、どうやら失敗してしまったようだ。

 しかし、勘九郎は自分の好きなモノが決して他人が好きとは限らないと知っている。だからこそ、彼女の言葉に言及しなかった。



 「分かった、善処する」



 言って、入浴セットを持って立ち上がる。「留守番を頼む」と一言告げると、勘九郎は部屋を出て行った。



 「……どこにお風呂が?」



 呟いて、シンと静まった部屋の中を見渡すと、不用心に開けられた鉄製の金庫を見つけた。

 中を覗いてみると、日付とメモを書いた付箋を貼ったディスクケースが並んでいる。手持ち無沙汰に、こっそりとその中の一枚を手に取り、ノートパソコンのディスクドライブに挿入して再びイヤホンを装着する。

 映し出されたのはぶつ切りの映像で、その一つ一つが誰かの人生の名場面だった。



 「なんか、凄くイケないモノを見ている気がする」



 実際、イケない訳だが、人はゴシップから目が離せないモノだ。

 野球部の特大ホームランから始まり、吹奏楽部のコンクール授賞式に不良同士の喧嘩など、様々なネタが収められていた。



 これは、言わば勘九郎のアイデアの泉。

 彼はこうして世界を切り取って、自分の妄想を越える様な作品を生み出そうとしている。



 顔に熱が籠るが、しかしそれでも見てしまう。

 絵具を床にぶちまける美術部。業務を放棄した生徒会。屋上で宇宙人と交信するオカルト部。

 そして、テニスウェアの下に手を入れ、熱烈なキスをするカップルはやがて。



 「こ、これは……」



 「金庫、開けっぱなしだったか」



 「ぴゃあ!?」



 脊髄反射的に立ち上がって振り返ると、昨日と違いちゃんと服を着ている勘九郎。拭きが甘く、冷たい水の雫が、髪の毛からポタリポタリと垂れている。



 「面白いだろ。人間って、本当に俺が想像もつかないような事を平気でやるんだ」



 目を向ける先には、エリーが想像した通りに事を運ぶ男女の姿。顔を手で覆い隠すのに、意識を超えた好奇心が働いて指の隙間から見てしまう。



 「こっ、こんな事、なんで外で!?」



 コートの端、体育倉庫の裏側だ。



 「分からない。でも、これは本物だ。このカップルの本当の姿なんだ」



 勘九郎の反応を見て、エリーは思った。きっと、この金庫にしまってあるディスクには似たようなシーンがたくさんあるのだと。

 しかし、その形はそれぞれ違って、一つ一つに前日譚が存在している。これから先には、もっとたくさん、私の知らない彼らの物語があるのだと。



 やがて、勘九郎は再生を止めてブラウザを閉じた。

 ディスクをケースにしまって金庫に収めると、鍵の束の一つでロックを掛ける。



 「悪いな、これだけは見せられないんだ。今日の事は、忘れてくれ」



 「う、うん。忘れる忘れる。忘れますデス……」



 胸の前で合わせた手をの人差し指を、クルクルと回してしどろもどろに答える。

 しかし、あんなの絶対に忘れられないと心の中で呟いた。



 「授業には出るのか?」



 鞄に荷物をまとめながら、勘九郎が問う。



 「えっと、実は眠たくて。だからサボろうと思ってたの。ここで寝かせてくれないかなぁ、なんて」



 「いいぞ、出る時は鍵を閉めてくれ。俺は二限がある」



 そう言って、再び扉の外へ向かった。



 「あぁ、ローカルディスクに俺が撮った映画が保存してあるから、よかったら眠る前にでも見てくれ」



 ……違和感。自分の理想を追い求めているだけの筈の勘九郎が、初めて人に自分の作品を勧めた。

 もしかすると、この一言こそが後に巻き起こる激動の日々を引き起こすきっかけだったのかもしれない。



 「そうするよ、ありがと」



 転校三日目にして、早くも授業をサボってしまう事を決めたエリー。

 彼女が眠りについたのは、二作目の再生ボタンを押して間もなくの事だった。

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