第9話 9

 「お疲れ!いやぁ、本当にいいのが出来そうだ!」



 ウキウキで撮影した映像を見直す勘九郎。それを覗こうと、背後から肩に手を置くエリー。

 失敗に没を出すのではなく、同じシーンを別の角度や違う感情で撮影するのが勘九郎流だ。そして、その中から最も良い物を選ぶわけではなく、全てを通して見た時に感動が生まれる様に繋いでいくのだ。

 失敗だと思えたカットも、実は最良になっていたりするのが面白い。



 「よかったね、私も頑張った甲斐があるよ」



 スタジオを片付けて、宿直室へ。

 辿り着くと勘九郎はドサッと腰を下ろし、ノートパソコンを広げた。



 「もしかして、今日も徹夜するの?」



 この一週間、勘九郎は一度洗濯をしに行っただけでずっとここに泊っている。



 「当たり前だろう?早く抜粋して、ウォズのところへ持っていかなければならん。その時は、エリーの力も借りるからな」



 「結局、あの恰好はするんだ」



 ラフィリエのコスプレ。あれをしたのが、凄く懐かしく感じる。それくらいに濃い時間だったと、エリーは振り返って思う。



 「よろしく頼む。ところで、早速次のシナリオなんだが」



 ゴソゴソと鞄を探り、中から三冊の台本を彼女に向けて見せる。



 「新しく書き下ろしたんだ。どれがいいか決めておいてくれ」



 「全く、これを書く為に徹夜してたの?それに、映画はカントクの理想を実現する為だって言ってたのに私が決めちゃうなんて」



 最早、次に出演する事に何の疑問も持っていなかった。

 言っても無駄だと諦めたのか、それとも。



 「構わない。エリーは俺の一部みたいなモノだからな」



 「何それ、意味わかんない」



 余りにもバカバカしい言い草に、思わず笑ってしまう。

 ただ、どれを選んでもきっと後悔はしないだろうという、そんな期待が芽生えたのも事実だった。



 「それじゃあな。帰りは気を付けろよ」



 「大丈夫だよ。家、結構近いし」



 言って、鞄を持ち上げてチューイングガムを噛む。勘九郎にとって、このブレザーのポケットに手を突っ込んだ立ち姿も、随分と見慣れたモノになっている。



 じゃあね、と手を振って校舎の外へ出ていくエリー。空には、白銀の月が浮かんでいた。



 「おいしっ」



 彼女は、ガムの一番甘い瞬間が好きだった。最初の何十秒かだけ味を堪能して、すぐに包み紙に移す。

 贅沢な食べ方だと自分でも思っているのだが、幼い頃から慣れ親しんだケミカルな味を気に入ってしまってやめられないのだ。



 「……あっ、スマホ忘れてきちゃった」



 気が付いたのは、家に入る一歩前。台本に気を取られて、テーブルの上に置いたままなのを忘れてしまったようだ。

 元々あれを弄るのがあまり得意ではないのだが、なければ不安になってしまう。

 考えた結果、ご飯を食べて少しゆっくりしてから取りに行くことを決めた。どうせ勘九郎もいるし、彼ならその中を見ようとも思わないに決まっている。



 そんな訳で三時間後、ついでにシャワーも浴びてさっぱりした彼女は、夜風に当たりながら道を往く。

 どこかで聞いたことのあるBGMを口ずさんで歩く事十分。一切の灯りがない座頭市学園へとたどり着いた。



 「なんか、ちょっと怖いかも」



 デパート、病院、学校。昼間に人が多い施設程、静まり返った姿は不気味だ。

 しかし、ここまで来て帰るのも勿体ないと思うと、おっかなびっくり第三旧校舎へ向かう。

 見上げた木造の建物はお化け屋敷その物だったが、入口に鍵が掛かっていない事に安心すると静かに中へ入っていった。



 「やっほー、カントク~」



 言いながら、扉を開く。すると。



 「……あれ、どうしたの?」



 机に突っ伏して、うな垂れたような声を上げている。

 手元に置いてあったであろうコップは床に倒れていて、少しばかりの水たまりが出来ていた。

 エリーの声に気が付いたのか、勘九郎は少しだけ目を開けた。



 「こんな遅くにどうした」



 「ど、どうしたじゃないよ。大丈夫?」



 返事は無かった。息は荒く、どうにも顔が赤く見える。

 近寄って、彼の額を触ると。



 「すっごい熱……」



 慌ててコップとタオル一枚を手に取ると、水道に向かって水を汲む。タオルをよく絞って綺麗に畳むと、再び勘九郎の元へ向かった。



 「ほっとけ」



 「ばか、そんな事出来るわけないでしょ?ほら、上脱がすよ」



 シャツを脱がせて上半身を拭く。汗でべっとりと濡れた体は、手足は長いが筋肉はなく、あばら骨が微かに浮いて痩せていた。

 身長の割に、これはあまりにも不健康だとエリーは思った。



 「ちゃんとご飯食べてるの?」



 「料理、苦手なんだ」



 目を瞑って、呟く様に答える勘九郎。

 一通りを拭き終えるとまた水道を往復し、寝かせた彼の額の上にタオルを置いて毛布を掛けた。



 「全く、私が戻ってこなかったらどうするつもりだったの。それに、体調悪くなったのはいつから?」



 「覚えてない。撮影が終わったって思ったら、気が抜けたんだ」



 「バカなんだから。こんな所で裸で作業してればそうなるよ」



 スマホを見ると、現在の時刻は午後の10時。

 何件かの連絡が来ていたが、いずれも急な用事ではない事を確認すると、勘九郎の頭の隣で膝を抱き壁にもたれた。



 ……何もない時間が漂う。ノートパソコンのモニターだけが、闇の中でぼうっと光る。

 こんな暗い場所で毎日過ごしている事が信じられないとエリーは思った。

 勘九郎を心配する気持ちと、暗闇への恐怖が募っていき、そんな怯える気持ちを抑える為に、彼女は独り言を口にしたのだった。



 「私、カントクに演技なんてしたことないって言ったけどさ、実はあれ嘘なんだ」



 目を瞑っているが、勘九郎は眠っていなかった。



 「もちろん、お芝居はやった事なかったよ。でも、演技はいつも。小さい頃から毎日やってたの。毎日、欠かさず」



 腕に顔を埋め、尚も呟く。



 「友達、欲しかったんだ。私、ずっと転校ばっかりだったからさ。別の国に行くたびに皆が何を言ってるのか分からなくて、人柄もガラッと変わるし。でも、言葉なんてすぐに覚えられなくて。だから、ずっと一人だったの」



 小さな吐息。次の言葉までに、長い時間があった。



 「ある日ね、考えたんだ。どうやったら言葉が分からなくても、みんなが仲間に入れてくれるんだろうって。それでね、思いついたのが、嘘を吐く事だった」



 思わず、耳を傾ける勘九郎。



 「みんなの真似をするの。寂しくっても、嬉しそうに。つまらなくっても、楽しそうに。おかしくっても、悲しそうに。最初の頃はね、辛くって笑いながら泣いちゃう日が続いたんだ。でも、失敗する度に転校して、何度も何度も初めましてを繰り返すうちに、私は私じゃない人になったの」



 「私じゃ、ない人」



 思わず、その言葉を呟いてしまう。しかし、エリーは言葉を止めなかった。



 「私、そんな自分が大っ嫌いだった。でも、人から嫌われるのはもっと怖かった。だからね、いつの間にか自分がして欲しい事を、人にするようになったんだ。喜んでいる人が居たら、一緒に喜んであげようって。寂しそうな人が居たら、寂しくない様に一緒に居てあげようって。その人が望む姿になれるように努力したんだ。そうすれば、嘘つきを止められない自分をこれ以上嫌いにならないで済む気がしたから」



 浅い溜め息。




 「それが、エリーの根源か」



 「うん、多分そう。ごめんね、変な事言っちゃって」



 誤魔化す様に顔を歪めるエリー。



 「いいや、凄くいい話だ。それこそ、一本映画が作れる」



 「もう、体調治るまではダメだからね」



 クスクスと、笑い合う二人。いつの間にか怯えた心は消えていて、代わりに喉の奥の小骨が取れたような、そんなスッキリとした気分にエリーはなっていた。



 「……これ、置いてくよ。寒かったら着ていいから。動けるようになったら、ちゃんと家に帰るんだよ」



 ジャンパーを脱いで、毛布の上に被せる。



 「あぁ、そうするよ」



 「それじゃあ、ママが心配するから、私行くね。明日ちゃんと病院も行くんだよ?」



 空返事を返す前、勘九郎はさっきの言葉を思い出していた。自分を嫌いにならない様に、自分がして欲しい事を、と。



 「なあ、エリー」



 「なぁに?」



 「来てくれて、ありがとうな。俺、お前が居なかったら寂しくて死んでたかもしれん」



 「……ばか、熱上がりすぎて変な事言ってるじゃん」



 少し照れた様子で、しかし嬉しそうに笑う。

 薄く開いた目の先に見える表情は、とても綺麗だった。



 「気を付けてな」



 聞いて、エリーは立ち上がった。スマホは、しっかりポケットの中に入っている。



 「大丈夫、家近いから」



 返事をして、ゆっくりと外へ。

 扉を閉める前、一瞬だけ振り返ると二人の視線は交差したが、互いに掛ける言葉が見つからず、黙って別れたのだった。



 「……俺、エリーの事好きなのかな」



 そんな事を考えてしまう自分が、不思議でたまらない。しかし、これも熱のせいだと言い聞かせると、コップの水を飲み干してからジャンパーを着て、目を強く閉じた。



 「あれも、あいつの演技だろうからな」



 翌日、目を覚ました勘九郎は何とか自宅に戻ると、少しだけ約束を破りながらも土日を挟んでしっかりと体を休めた。

 あの夜に呟いた言葉はすっかりと忘れており、頭の中には元の通り映画の事しかないのであった。

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