第2話 薬草店<タンブルウィード>の一日 危ないお薬
ある日の午後。
薬草店<タンブルウィード>でオレは店番をしていた。
セラーナはギルドに用事があるようで、朝から一人で出かけていった。
タックとススリーの2人は魔物討伐の依頼に向かっている。
今回は規模が小さいようなので2人で十分とのことだった。
プラントさんは乙女の修行とかいう謎の修行に1人で出かけていった。
色々疑問が生じるけど、気にしたら負けだ。
オレも一人で付与術の練習や魔法の開発をしようかと思ったが、グウェンさんが新たな調合をしたいと言っていたので、店番をすることにしたのだ。
相変わらず人気のニガミソウ茶だが、夕方前になり一旦人の流れも落ち着いた。
接客しっぱなしで疲れたので、一息つくために椅子に腰を掛ける。
今日は朝からずっと頭が痛く、目がチカチカしてめまいや吐き気もしていた。
何とか今まで耐えてきたが、もう限界だった。
これはダメだ。
もう我慢ならん。
店の奥で何やら調合をしているグウェンさんの所へ行き、直接伝えた。
「グウェンさん、臭いです」
「えっ? お風呂はちゃんと入っているのだ……」
女の子座りをして調合していたグウェンさんがビクッとして、ショックを受けた顔をこちらに向ける。
「あ、すいません。グウェンさんが、じゃなくて、そのブツが、です」
グウェンさんは朝から新たな調合をすると言って、みたこともない薬草を磨り潰したり煮たりしていた。
それがとにかくひどい臭いで刺激もある。
風魔法で換気はしていたが、油断するとすぐに臭いがしてくるので、徐々にダメージが蓄積されていくのだ。
幸い、来店した人は最初顔を顰めるが、『臭いは酷いけどお店で調合するなんてさすが本格的なお店ね』とまさかの好意的な解釈をしてくれていた。
みんな雰囲気に騙されないように注意した方が良いと思う。
しかし、ずっと同じ空間にいるオレは耐えられない。
いや、かなり耐えていた方だとは思うが、物事にも限度がある。
「あ、これか。よかったのだ。乙女に向かっていきなりなんて酷いことをいうのだと思ったのだ」
ホッとした表情をするグウェンさん。
「正直、それに曝され続けたグウェンさんも今、同様に臭いです」
再びショックを受けたグウェンさんが悲しそうな顔でこちらを見る。
でも臭いものは臭いんだもの。
「ところで朝から何を作ってるんです? というかそれ、本当に何なんです……? 大丈夫なんですか?」
調合しているものを今初めて見たが、火に焙られたビーカーの中で、深紫色でやや光沢のある物体が蠢いている。
ドロドロした粘液で見るからに身体に悪そうだ。
近づくとさらに臭い。
煙も紫色だし、本当に何だこれ?
大丈夫なのかこの人は。
「むっふっふ。これは世の中の人々が泣いて喜ぶものなのだ!」
確かにこんな臭い物が近くにあったら皆泣くだろうけど、喜ぶかは甚だ疑問だ。
むしろ泣いて怒るんじゃないだろうか。
「泣くのはわかりますけど、なんで喜ぶんですか?」
「これは惚れさせ薬なのだ!」
えっへんとない胸を逸らして訳の分からないことを言い出した。
「惚れさせ薬?? 惚れ薬じゃなくて?」
「そうなのだ。惚れ薬は相手に飲ませることで自分に惚れるようにさせる薬なのだ。でも、相手に薬を飲ませるということはなかなか難しい事なのだ」
「そういうイメージですね。実際見たことはないですけど」
「この惚れさせ薬は自分が飲んで好きな人の傍にいるだけで、相手が自分に惚れてくるという夢の薬なのだ!」
「そうですか。お大事にして下さい」
グウェンさんはいつの間にか残念な人になってしまったようだ。
あぁ、これも全て魔物のせいなんだろうか?
まさか天使や神様のせいではあるまい。
まてよ、オレたちは討伐の仕事で何日か家を空けることもあり、その間グウェンさんは一人になってしまうこともある。
それで寂しい思いをさせすぎたのかも知れないな……。
どうやって正しい道に戻そうかと反省しながら仕事に戻ろうとすると、グウェンさんが慌てて手を引っ張ってきた。
「ま、待つのだヴィト! 本当なのだ!」
「はいはい、わかりましたよグウェンさん。ちょっとゆっくりお休みしましょうね」
「違うのだ! 本当に本当なのだ!」
「だってそんな臭い物を飲むやつに惚れる人なんていませんよ。むしろ嫌われる確率の方が高いですよ」
「飲み込むと臭いはしなくなるのだ! ちゃんと効果はあるのだ!」
「そうですか。それは良かったですね」
「むひー! よーし分かったのだ! 実際にヴィトをメロメロにさせてやるのだ! とくと味わうといいのだ!」
そういうとビーカーを火からおろし、小さなグラスに移しだした。
明らかに液体じゃなく、粘度が高い深紫色で光沢のある物体がゆーっくりとグラスに移っていく。
見ているだけで悍ましい。
一口分?くらいをグラスに移した後、ふーふーして熱を冷ましている。
ふーふーで漂ってくる臭いがまた臭い。
本当に惚れさせる気があるのか疑いたくなってくる。
熱が冷めたようで、上を向いて口を開け、グラスを掲げてひっくり返す。
ぬとーっとした紫色の物体がゆっくりとグラスから出てきて、グウェンさんの口の中に少しずつ吸い込まれていく。
不味いせいなのか臭いせいなのか分からないが直ぐに飲み込めないようで、涙目になって咽ている。
咽る度に唇の隙間からブツが見え隠れし、臭いも漏れ出てくる。
静寂の中、グウェンさんがエフッ、ゴフッとむせる音だけが鳴り響く。
何を見せられているのだろうか?
その後も何度も飲み込もうとするが、なかなか喉を通っていかない。
それでも吐き出さないように堪え、涙を流しながらも再チャレンジする。
口の端からは紫色に染まった唾液が流れ落ちてきている。
この人は何をしているんだろうか?
そんなにオレを惚れさせたいのだろうか?
そんなに辛い思いをしてまでオレを惚れさせたいくらいに、オレの事を思ってくれているのだろうか。
そう考えるとなぜかとても愛おしく感じてきた。
咽ながらも必死に飲み込もうとする姿を見ていると、ドキドキが止まらない。
これが惚れるということなのだろうか。
「がんばれ……、負けるな、グウェンさん、頑張れ!!」
いつの間にか、声に出してグウェンさんを応援していた。
グウェンさんも泣きながら頷く。
オレも涙が溢れてきて、グウェンさんの手を取って応援を続けた。
がんばれ、がんばれ、がんばれ!!
遂にその時がきた。
グウェンさんを苦しませていた物体は、するりと喉を通って胃の中に落ちていった。
真っ赤にした目でこちらを見てほほ笑むグウェンさんをオレは強く抱きしめた。
あんなものをオレの為に飲んでくれたなんて。
この人はそんなにもオレのことを愛してくれていたなんて。
薬の効果などどうでもいい、ただ、オレの為に頑張ってくれたことが嬉しくて涙が止まらなかった。
「うぅっ、苦しい、のだ」
艶めかしく吐息を漏らし、潤んだ目でオレを見つめて訴えるグウェンさん。
強く抱きしめすぎてしまっていたようだ。
慌てて力を緩め、少し体を離して見つめ合う。
泣きすぎたせいか、すぐそこにあるはずのグウェンさんの顔もはっきりと見えないが、顔が真っ赤になっているのが分かる。
自分も今までにないくらいドキドキし、呼吸が荒くなっている。
身体が、顔が、茹った様に熱く感じる。
胸の奥から何かが込み上げてくるような感じがし、もう何も考えられない。
はっきりしない視界の中、グウェンさんは体の力を抜いてゆっくりと目を瞑り、少し顎を上げた。
オレも目を瞑ってゆっくりと顔を近づけていく。
グウェンさんも抗う様子はなく、遮るものは何もない。
引き付けられる様にグウェンさんの唇を追いかけていく。
そして唇に振れるその寸前――
◆
「――――――――」
身体が揺れ、何かが聞こえる気がする。
また神様に呼ばれたのだろうか?
今は勘弁してほしい。
何も考えたくない。
「――ィト、-ヴィト!」
うっすらと意識が戻ってきて、自分が揺すられて呼ばれている事に気が付いた。
目から下が布に覆われた人の顔が目の前にある。
「ん……? セラーナ? おはよう?」
「ヴィト! よかった! 大丈夫!?」
「え? 大丈夫?」
何のことか分からず辺りを見回す。
隣の方で、正座したグウェンさんの前にススリーが立っている様子が見える。
奥の方にプラントさんもいるようだ。
「2人とも帰ってこないから心配して見に来たら、酷い臭い中で倒れていたんですよ!」
そういいながら“
そのおかげか少しずつ頭が回り始め、記憶が戻ってきた。
グウェンさんの調合する薬が臭くて文句を言いに行ったら惚れさせ薬を調合していた。
それをグウェンさんが飲むのを見ていたら段々ドキドキしてきて……気を失ったのか。
解毒や解呪などの効果がある“
隣からグウェンさんが説教されている声と弁解する声が聞こえてくる。
どうやらグウェンさんはより効果を高めるためにブツを濃縮していたらしい。
さらに錬金術のスキルも相まって通常の何倍もの効果を発揮するブツが出来上がったようだ。
もちろん臭いや刺激も……。
確かに最後の方の記憶ではグウェンさんのことをとても愛おしく感じていた。
でも、もしかしたら恋に落ちてドキドキしたという訳ではなく、あのブツの臭いや刺激の影響で涙や動悸、火照りや胸の苦しさなどが生じていたのではないだろうか。
それを臭いで頭が回らないことと相まって恋のドキドキと勘違いし、恋に落ちたような感覚に陥れるというのが惚れさせ薬の正体なのでは。
いずれにせよ、こんなブツを世に出してしまうと危険極まりないのでしっかりと処分させなければ。
そんなことを考えているとタックがやってきた。
臭いは周辺にも広まっていたらしく、ご近所さんに謝りに行ってくれていたらしい。
近所迷惑にまでなっていたなんて……。
後でグウェンさんを連れて再度謝りにいかなければ。
奥でブツの片付けをしてくれていたらしいプラントさんも戻ってきたので一旦家に戻ることにした。
説教の続きは帰ってからするらしい。
◆
風呂に入り、着替えを済ませると少しスッキリした気がする。
リビングに戻るとグウェンさんはまだ3人に囲まれて説教されていた。
ススリーは近所迷惑になったことについて、意識を失うほど危ない薬を作ったことについて、セラーナとプラントさんは抜け駆けしていい思いをしたことについて怒っていらっしゃる。
近くのソファに座ると怒られて涙目になっているグウェンさんと目が合う。
先ほどのことを思い出してドキッとし、目を逸らしてしまった。
グウェンさんも同じようで顔を赤くしている。
まだ薬の効果が残っているのだろうか……?
「あー! 何見つめ合って頬を赤らめてるんですか!」
「ち、ちがうのだ! なんかその……ちがうのだぁ」
真っ赤な顔を両手で覆い、モジモジしている姿がやはり愛おしく感じる。
「違わないよ! ズルいよグウェンさんばっかり!!」
「ヴィトもなに照れているんですか!」
「ちち、ちがうよ。お風呂でのぼせただけだよ」
矛先がこっちに来るとは思わず、苦しい言い訳をする。
今度はオレが2人に責められる。
その間、指の隙間からチラッとこちらを覗いたグウェンさんと再び目が合う。
やっぱりドキドキしてまた目を逸らしてしまった。
セラーナとプラントさんがこちらに詰め寄ってくるが、もう2人の言葉は耳に入ってこない。
だめだ、このままじゃ生活に支障が出てしまう!
こんな時はアレしかない!!
「タックー!! オレを殴ってくれぇー!」
頬に衝撃が加わり、身体がふわっと浮いて後ろに投げ出されていく。
あの時と同じ痛みを感じながら、オレは本日2回目の意識を手放すことにした。
目が覚めた時は、いつもの状態に戻っていることを願いながら……。
◆
意識を取り戻した後も若干意識しまうことがあったが、バレると説教が始まるので必死で抑えて過ごしていた。
グウェンさんは普通に振舞おうとしているのがバレバレで、話しをする度にすぐ顔を真っ赤にしていた。
話をしていなくても時折思い出してはクネクネと恥ずかしがり、その度にセラーナとプラントさんに詰め寄られていた。
何日か経ち、徐々に以前の日常が戻ってきたが、リビングで寛いでいるとセラーナとプラントさんが近くに寄ってきて、やたら話しかけてくるという事があった。
2人ともうっすらとあの時の臭いを漂わせて……。
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