第59話 なんで

 子は親を選べない。その言葉を知った時、俺はストンと。心に引っかかっていた何かが落ちたんだ。






 ありきたりだが、俺は生まれた時から親に恵まれなかった。虐待とかはなかったが、育児放棄はされていた。育児放棄され始めたのは、小学生に入ってから。その理由は明らか、俺が異質な存在だったからだ。


 小学校一年、入学式の日。俺は、母親だった人と一緒に手を繋いで学校に向かっていた。その時は母親も笑顔で、俺に話しかけながら楽しく歩いていたんだ。


『○○、すごい楽しみね』

『うん!! ともだちたくさんつくるだ!!』

『○○なら沢山作れるよ。母さんの自慢の息子だもの』


 優しく話しかけてくれて、微笑んでくれた。その時の俺も、浮かれていたんだ。浮かれて、周りを意識する余裕なんてなかった。

 どんどん近づいて来る、大きな建物しか目に入っていなかった。でも、母親は建物以外も見えて、異変に気付いてしまった。


 俺以外の人がみんな、瞳が黒いことに。


 その時、母親は不思議に思っただろうな。なんでみんな、自分と同じ黒色なんだろうってな。そして、俺をもう一度確認する。当たり前だが。俺の目は、今までと同じ、だ。


 何度も確認した。何度も、何度も。それこそ、母親の爪が俺の頬に食い込むほどに。


『お、お母さん。痛いよぉ……』

『ねぇ、貴方はあの人の言うように。やっぱり、異質なの?』


 ”あの人”。これは、俺が生まれて少し経ってから家を出た父親の事をさしていた。

 父親は、俺の目が赤い事に気づくとすぐに家を出て行ってしまったんだよ。


 母親は精神病を患っていたから、あまり家を出ることはなかった。そのせいで、世間をまったく知らない。俺の赤い瞳も、子供はこれが普通だと思い込み疑わなかった。

 お金の方は、父親が養育費として二人の生活をするには十分すぎるほど送ってくれていたから困っていない。


 世間を知らなかった母親が目にした、初めての世界は、あまりに残酷だった。


 その日はすぐに家へと引っ張られてしまったから、入学式にhあ出ていない。


 その日からだ。母親が、母親をやめたのは。


 ご飯は作らず、部屋の掃除もしなくなった。だから、部屋はどんどん汚れ、ゴミもたまっていく。でも、母親は何もしない。


 俺が何度言っても無視し、何も返してはくれない。まるで、ここに俺は存在しないみたいに振舞われた。


 なんで、どうして。今までは普通だったのに。


 そんな思いが俺を押しつぶそうとする。本気でわからなかったからだ。俺は、周りを見ていなかったから。自分と他の奴らの違いが判らなかった。


 それからは俺達は外に出ず、家の中だけで過ごしていた。だが、このまま同じ生活が続くわけもなかった。あたりまえだ。

 人が二人、生きているんだからな。飯のゴミが出るのは日常。服も毎日同じのを着ていたから臭いが酷くなる。水道代や電気代すら払っていなかったから風呂に入ることすらできない。

 唯一、家賃だけは父親が払ってくれていたから追い出されはしない。それでも、生活感のない空間。鼻が曲がりそうになる環境。


 外を知らない俺でもわかった。これが異常だということに。だから、せめてごみだけでもと。ゴミ袋に部屋の床を隠しているお弁当のケースやお酒の缶。他にも沢山のゴミを袋に詰め、久しぶりに玄関のドアを開けたんだ。


 外はすごく明るくて、太陽が眩しくて。綺麗に輝いていたんだ。だが――……


『ん? あ……』


 家の周りにいた近所の人が耳打ちしていたんだ。それだけじゃなくて、軽蔑の瞳を俺に向けてきた。気持悪くて、見られたくなくて。


 俺は、このまま。開けた玄関を、閉じた。


 外は綺麗だったけど、周りは怖くて。視線が小さな体に刺さり、気持ち悪く、もう出たくないとも思った。


 でも、ある日。不摂生が祟って、母親がとうとう倒れてしまう。俺も限界が近かったが、それでも、まだ動くことはできていた。だから、母親が倒れた時、何かしないとと。何度も呼びかけたり、体を揺すったんだ。でも、だめだった。だから、周りの奴らに聞こうと。また、重い玄関を開けた。


 外は暗くて、誰もいない。それでも、誰かに助けを求めようと走り近所の家をたたいたんだ。でも、誰も助けてくれなかった。誰も、軽蔑の目を向けるだけ。


 何度も何度も。玄関は開けられ、閉じられる。みんな同じ、肌に刺さる目線、軽蔑の瞳。俺の瞳の色が気持ち悪かったのも理由の一つだろう。


 子供の足では遠くまではいけない。だから、近くの、全ての建物の扉をノックした。扉さえ開けてくれない人もいたが、それでも諦めず頑張ったんだ。だが、結局。


 誰も俺達を、助けてはくれなかった。


 どうすることも出来ず、また。自身の大きなドアを開けた。


 ごめんと、謝りながら部屋に入る。母親は床に寝っ転がり、瞳を閉じていた。息絶えてしまったのか。不安が胸の中に広がる。だが、まだ微かに息があることに気づき、背中を撫でたり、冷たいタオルを額に乗っけたりもした。それでも、症状は悪化するばかり。


 俺が母親の看病をしていると、視線を感じたんだ。下から、視線を感じた。

 ゆっくり目線を下げると、母親の黒い瞳と目が合う。瞳を開けてくれた事に喜び、母親を呼ぼうとした。だが、呼べなかった。


『ぐっ!!』


 いきなり俺を床に倒し、首を絞めてきたんだ。


『なんで、なんで……。私は、貴方のせいで全てがめちゃくちゃになった。貴方がいなければ、私はこんな事になってなかった。貴方が……貴方が生まれたせいで!!』


 母親の瞳からは大粒の涙が零れ落ち、俺の顔に落ちる。首を絞められ、意識がどんどん遠くなっていった。


 なんで俺がこんな目に合わなきゃならない。俺だって、生まれたくて生まれたわけじゃないのに──と、心から思った。


 声は出ず、体を動かすことすら出来ない。


『貴方のせいなんだから、貴方も道ずれよ!!!!!』


 そんな母親の声を最後に、俺は首の骨を折られ、恐らく死んだ。


 "なんで"と、呟きながら。誰かの声を聞きながら――………

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

輪廻を周り、恨みを払う刃となれ 桜桃 @sakurannbo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ