第16話 狂乱の霊装

体育祭が終わってから5時間ほどが経過した。現在の時刻は6時を回ったところで9月という事もあり、もう太陽が沈み辺りは結構暗くなっている。


「何で俺達がこんな事しなきゃいけないんだ」

「まぁまぁ、動けるの人が少ないんだししょうがないよ」


俺が現状の不満を漏らすと、隣にいる沙月が宥める様にそう言う。

俺達は体育祭で教師が状況を知るために設置した監視カメラの回収をしている。何故俺達がそんな事をしているかと言うと、教師は明日明後日に2、3年生の体育祭の準備があり忙しいので、代わりとして元気そうだったという理由で北条先生に指名された俺達2人がこの仕事をしているという訳だ。


「それにしても相真君凄い活躍だったね」

「まぁ点取屋を任されたからな。沙月だって色んな人のサポートをしてたんだろ?沙月のお陰で生き残った人が沢山いたらしいじゃん」

「私は1人じゃ戦えないから、あのくらいしか出来る仕事が無かったんだ。・・・・・・私は弱いからさ」


沙月が暗い表情で自らを卑下する。


「沙月は弱くなんかないだろ。俺達は誰かを守ったり助けたりするために訓練しているんだ。沙月の魔術は誰かを守ったり助けたりするのにはピッタリだろ」

「・・・・・・そうかな」


俺が励ますと沙月の表情が少し明るくなるのが分かる。

ニコッと笑う沙月と夜空が合わさって幻想的な雰囲気だ。


「少し、よろしいですか?」


俺達が話していると不意に1人のスーツ姿の男性に話しかけられる。夜なので顔はよく分からないが声には好感が持てそうな紳士的な雰囲気がある。

しかしそれ以上にーー


「なんだ、こいつ!?いつからそこに?」


話しかけられるまで存在に一切気付かなかった事に対する、恐怖心と警戒心が大きい。


『勘が良いですね。あの男さっきまであの場にはいませんでした。恐らく能力です』

『敵だよな?』

『ええ、殺気は感じませんが敵意があるのは確かです』


ルナとの高速念話を終えて、俺は腰のケースからサバイバルナイフを抜き半身で構える。


「フフ、そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ」


男は不気味に笑いながらそう告げてーー


「ーーだって警戒しても意味ありませんから」


俺と沙月の背後に急に現れる。いや、もはや急とかではない。あの男が目の前から消えた時には既に男は背後にいた。それはつまりーー


(瞬間移動!?)


そんな思考を巡らせていると、男は懐から1枚のお札を取り出して反応が遅れた沙月へと投げる。


「てめぇ!」

「ククッ、それでは少年また会う機会があれば」


俺はサバイバルナイフで斬撃を放つべく1歩踏み込むが、男は不気味に笑いそう言い残して消える。


「あいつ、何処に!?」


男の能力が瞬間移動と予測して辺りを警戒するが男の姿は見当たらない。


「おい、沙月大丈夫か!?」


男を見つける事は諦めて沙月の方を向くと、沙月がその場で倒れている。脈は有り、呼吸もしている。倒れているというより寝ているに近い。


(あの霊符はただ眠らせるだけの効果だったのか?)


男が投げたのは恐らく霊符だろう。そうでなきゃこの状況の説明が出来ない。しかし霊符を使って1人眠らせるだけなんて事は考え難い。

そんな事を思考しているとーー


『その娘から離れて下さい!』

『えっ!?』

『いいから、早く!』


これまで聞いた事が無いような切羽詰まった声で叫ぶルナに従って、俺は沙月を抱える手を離して大きく後ろに跳ぶ。

次の瞬間、膨大な光が沙月から発せられる、否沙月を包み込むと言った方が正しいだろう。

あまりの膨大な光に一瞬目を晒してしまい、もう一度沙月に目を向けると、その光はすぐに弱まっており、沙月はオーラを纏う様に魔力が包み込まれていた。


「沙月?」


そしてオーラを纏った沙月は全く身体を動かさずに起き上がる。倒れていた状態から一度浮いて、身体が起き上がったという感じだ。

立ち上がった後も身体の動きなどは無く、寧ろ寝たまま立っている様に見える。

そんな事を考えていると沙月が腕をゆっくりとこちらに突き出し、俺に掌を向ける。そしてーー


『右に跳んで下さいッ!』


さっき以上に切羽詰まった声で叫ぶルナの声に従って、大きく横に跳ぶ。と同時に沙月は掌に魔法陣を浮かべてそこから魔弾が放たれる。

ルナの叫びのお陰で間一髪で回避出来た。魔弾が通り過ぎていった後方を見ると、十数メートル先までの全ての木々が抉られており、切り株くらいの大きさになってしまっている。


「おいおい、どういうつもりだよ沙月!」


いきなり銃弾並みの速度で大砲レベルの魔弾を放ってくる沙月に叫ぶが反応は無い。


『恐らく暴走してますね、彼女』

『あの霊符の効果か?でも沙月はあんな威力の魔弾撃てないだろ』

『あの霊符に他人の魔力を増幅させる効果があると考えるべきでしょうか?』

『取り敢えず反撃するべきだよな?』

『反撃しなきゃこっちが殺されますよ』


俺は腰のホルスターからグロック17を抜き、照準を合わせて引き金トリガーを引き3発の銃弾を発砲する。勿論体育祭で使った訓練用の弾丸ではなく、本物の銃弾。なので無抵抗で撃たれる事を考慮して一応は肩や脚などの撃たれても死なない箇所を狙う。

しかし沙月が合掌する様に両手の掌を合わせると、銃弾の速度は急激に遅くなり沙月の身体に当たる前に地に落ちる。


(チッ!やっぱりダメか)


魔王継承ファントムフォース



銃弾が全く効かなかったので俺は能力の発動と魔力操作での身体強化をして戦闘態勢に移行する。

今日は散々魔力操作をしていたので魔力はかなり消費したが、魔力は基本7時間もすればどんなに消費していても完全に回復する。体育祭から5時間は経っているので魔力は充分に回復した。固有魔力も回復しているので能力も使える。


「うおっと!」


サバイバルを右手でグロック17を左手で持って半身で構えていると、また沙月の掌に魔法陣が浮かび上がり再び魔弾が放たれる。ただ魔弾にはチャージ時間があり弾道も変化しないので、いくら弾速が速かろうと身体強化された今なら回避は容易だ。


(問題は攻撃が全く通用しない事だよな)


魔弾を回避した直後に2発の弾丸を沙月に撃ち込む。しかしその銃弾はやはり沙月に届かない。


『なるほど、なんとなく分かりました。彼女は能力者のようですね』

『能力者?沙月がか?』

『ええ、さっき銃弾を防いだ魔術は陰属性の魔術でした』

『陰属性?アイツはもう陽属性を"選択"してる筈だろ?』


少し前にルナから教わったのだが、選択とは魔術師が1つの属性の魔術しか使えなくなる代わりに魔力効率が1.5倍になる、という術式をオドに刻む事である。魔力効率が1.5倍になるという事は魔力量が1.5倍になるという事と同義だ。なので戦闘や治癒を主とする軍事組織に関わる魔術師はほとんどこの選択をしているらしい。


『選択をしたのに2つの属性を使う事なんて普通は不可能です。ですが能力なら可能でしょう』

『なるほどな・・・・・・』


しかし沙月が能力者だと分かったところでこの状況を変える手段が無い事に変わりはない。


(何度撃っても当たらないし、撃つだけ弾の無駄か。接近するのは・・・・・・なんか嫌な予感がするからナシかーー)


状況を打開する方法を模索していると、十数メートルは離れていた沙月との距離が一瞬で無くなる。

1秒未満の時間でで接近した沙月が俺に顔の前に掌を向けてーー

ーー衝撃波インパクトーー

衝撃波インパクトとは陽属性の魔術の中で数少ない攻撃用の魔術の1つだ。陽属性は魔力で人体にプラスになるエネルギーを作り操る魔術なのだが、衝撃波インパクトはプラスのエネルギーを運動エネルギーとして空気中に流す事で衝撃を生み出す魔術だ。

普通は人間を数メートル吹っ飛ばす程度の威力だが、今の沙月の放つ衝撃波インパクトはあらゆる物を木っ端微塵にする威力があり、手榴弾グレネードもびっくりの破壊力を持つ。

人体なんぞ蝋燭の火を消すかのように消す事が出来るその魔術を食らえば俺の身体が耐えられるわけがない。


「ああ、助かりました」


しかし俺の身体には傷一つ付いてない。代わりに沙月の腕が一刀両断され、斬られた腕が宙を舞う。

衝撃波インパクトは基本的に自分の身体からエネルギーを空気中に流す。沙月の場合は掌から流しているので、腕が斬り飛ばされれば当然衝撃波インパクトは明後日の方向に向かっていく。


「ふむ、大丈夫そうだな」


白い和服を着て、片手に刃渡り70センチほどの刀剣を持つ白く長髪と髭の老人、白鷺仁也さん。現代の剣豪と呼ぶべきその老人は俺の剣の師匠であり、現役を引退した今も日本でトップクラスの剣士として名高い。

仁也さんのサポートで九死に一生を得た俺は、バックステップで大きく後ろに跳ぶ。


「大丈夫ですか?相馬君」

「北条先生も来てくれたんですね」


仁也さんと共に援助に来てくれたらしい北条先生が俺の隣に立ち半身で構える。

何かしらの魔術のチャージ中だろうか、俺が逃げても沙月は全く動かない。そう考えていた最中、斬れた筈の腕が自ら沙月の元に向かい、斬られた事がなかったかのように元通りに治癒される。


「マジか!?」

「あの一瞬であれだけのダメージを治癒するなんて・・・・・・」

「てか仁也さん、どうやって沙月にダメージ与えたんですか?銃弾は全く効きませんでしたよ?」

「何かしらの防御魔術があると読んで術式破壊も同時に行ったのだよ。ついでに障壁魔術だとしても問題無く破壊出来るほどの威力で斬った」


術式破壊とは斬撃などで魔術を構成している術式を破壊する事で魔術を無効化する技術だ。


『あの防御魔術を術式破壊して尚且つ障壁を破壊出来るほどの威力って、あの人ヤバすぎですよ』

『昔は日本最強の剣士って呼ばれてたらしいからな』


そんな会話をしている内に腕を治した沙月が両手を合わせる。

すると沙月の周囲に2つの魔法陣が地面に現れる。その魔法陣から黒と白の靄のような物がそれぞれ溢れ出ている。


「今度はなんだ?」

「あれは自らの分身を作り出す沙月さんの魔法です。分身を生成している時は攻撃してこないので、今の内に距離をとりますよ」


北条先生はそう言うと沙月に背を向けて走り出す。俺と仁也さんも北条先生の後を追って走る。

北条先生はあれが沙月の魔法だと言った。北条先生は沙月が能力者だと知っているらしい。


「北条先生、沙月の能力の事知ってるんですか?」

「・・・・・・知ってますよ。でも能力の事を話すと彼女を苦しめる事になってしまいます」


軍校の校舎にも山の外にも出ないように、軍校の校舎を中心に周囲の山を回るように走る予定らしい。

そんな中、俺は山の中を走りながら北条先生に沙月の能力の事を聞く。


「苦しめる・・・・・・ですか。でも沙月を助ける為には能力を知る必要がありますよ」

「・・・・・・そうですね。今は言ってる場合ではありませんよね。彼女の能力は"狂乱の霊装"と言います」

「狂乱の霊装ですか」

「ええ、この狂乱の霊装は陰陽術師の中で禁忌とされる能力なんです。この能力の効果は固有魔力で正の感情と負の感情を作り出し、その感情を陽と陰の魔力に変換するというものです」

「その能力のお陰でアイツは陽と陰の魔術が使えるって訳ですか」

「そういう事です。陽と陰の魔力の元は人間の正の感情と負の感情ですからね。その感情が爆発的に増加させる事で、あの異常な魔力を実現しています」

「なるほど。でも何で沙月は暴走してるんですか?」

「通常はこの能力で増えるのは能力者が決めた陽か陰どちらかの魔力だけです。しかし能力者が属性を決めずに能力を発動していまうと、あの様に正と負の感情がぶつかり合って暴走していまうのです」


なるほど。あの男が使った霊符は沙月の能力を強制的に発動させる効果があったって訳か。


「暴走を止める方法は無いんですか?」

「さっきの治癒を見ましたよね?どんなにダメージを与えてもすぐに治ってしまいます。止めるには一撃で殺すしかありません」

「マジかよ。・・・・・・固有魔力が切れれば能力が使えなくなるんじゃありませんか?」

「確かに固有魔力が切れれば能力は使えなくなりますが、固有魔力が切れるまでに1時間は掛かります。1時間も彼女を放置すれば軍校の生徒も教師を全員彼女に殺されますよ」

「マジかよ・・・・・・」


『ルナ、沙月を助ける方法何かないのか?』

『ふむ、魔力を増やしているのは感情で暴走も感情が原因、そしてその感情の増幅は固有魔力が原因って事ですか。・・・・・・なるほど、それなら何とかなります』

『本当か!?』

『はい。ですが相真君にはかなり無茶してもらわなければいけませんよ』

『沙月を助ける為なら何だってやってやる。死んでもアイツを助けるよ』

『相真君らしいですね』


俺の決意の言葉を口にするとルナはフフと微笑む。


「先生、俺が沙月を止めます」

「それは無理だと説明したつまりですが、どうやるんですか?」

「俺の能力で助けます!」

「・・・・・・分かりました。君を信じましょう」


北条先生は俺の提案に難しい顔をするが、深い溜息を溢して提案を了承する。


「ふむ・・・・・・


話しながら走る俺達に何処からとも無く現れた人型の白い靄が意識外から斬撃を放ってくる。仁也さんが間一髪のところで斬撃を刀剣で防ぐ。確実な奇襲だったが仁也さんは意に返していない様子だ。これが氣の力なのだろうか。


「此奴は儂が相手しよう」

「頼みます」


そう言って仁也さんは半身の構えをとり、白い靄と対峙する。俺と北条先生は白い靄の相手を仁也さんに任せて、沙月の暴走を止める為にさっき走って来た道を戻り、沙月の元に向かって走る。


「あいつは何だったんですか?」

「さっき作っていた分身ですね。正と負の感情を媒体とした魔力の塊です」

「なるほどッ!」


俺の目の前に現れたもう一体の分身。さっきの奇襲を見ているので防ぐ事は可能だ。さっきの白い靄とは真反対の黒色の人型の靄。その靄の斬撃と俺のサバイバルナイフの斬撃がぶつかり合う。

靄の手に持つ得物は刀の様な形だが、勿論本物の刃では無く靄で作られた刀剣だ。しかし強度は本物のそれと変わらない強度があり、恐らく俺のサバイバルナイフよりも強度は上だろう。

ただ奇襲性能は高くても剣術はからっきしの様で斬撃を放った後が隙だらけだ。俺は斬撃を斬撃で防いぐ事で生まれた隙を逃さず、逆刃持ちに切り替えて腹部に斬撃を叩き込む。

相手が靄だからだろうか、斬撃は当たっているが手応えは全く無い。しかし人型の靄は腹部を斬られ真っ二つになっている。


「ッ!?」


頭上かは振り下ろされる刃をバックステップでどうにか避ける。あの靄は斬られたダメージなど気にしないといった様子で斬撃を放ってくる。それどころか真っ二つになった身体がくっついている。


「チッ!不死身かよ」


俺はサバイバルナイフで応戦しつつ後退する。急所の様な物があるか、何かしら倒す条件があるのかもしれないがそれを探している時間が惜しい。


「相真君その場で跳んで下さい!」

「了解!」

「《水刃斬アクア・ダガー》」


後ろから聞こえる北条先生の指示に従って俺はその場大きくジャンプする。北条先生の鍵言と共にジャンプしている俺の真下を水の刃が通り過ぎて、靄の身体を一刀両断する。


「こいつは私が相手します。相真君は沙月さんを助けに行って下さい!」

「了解です」


俺は黒い靄と対峙する北条先生の隣を横切って、沙月のの元ち向かって全速力で駆け出す。




北条先生と別れた所から300メートルほど山の中を走り続けている。辺りはもう暗いので走って来た道は分からないが、ルナが魔力を察知してくれるので沙月の場所は分かっている。


『結局俺は何をすればいいんだ?』

『私が詠唱をしている3秒間、あの娘に触れている、もしくは触れられる距離にいる事。そして3秒間彼女をその場に留まらせる事です』

『分かった』




夜空には無数の星が輝き、闇夜を照らす満月の月光が白く輝く魔力を纏う沙月を幻想的に照らしている。


「悪いな、待たせちまったて」

「・・・・・・」


いつも学校で話し掛ける感じで立ち止まっている沙月に声を掛けるが、勿論返事は返って来ない。

俺は不適に笑ってサバイバルナイフを構える、すると沙月も手を前に突き出して魔弾のチャージを始める。


(へぇ、まだ撃たないのか?)


魔弾のチャージは終わったが魔弾を撃ってくる気配はない。恐らく接近して来た俺を狙い撃ちするつもりなのだろう。距離が離れている内に撃ってくれれば、余裕で回避出来たのだが、どうやらそうもいかないらしい。


(普通に接近してもあの速度の魔弾を至近距離で避けるのは不可能。ならアレを使うしかないよな!)


「ふぅ、《魔王継承ファントムフォース30%サーティー!」


俺は魔王継承ファントムフォースを完全に使いこなせていない。ルナ曰く魔王の魂の継承は身体と魂に負荷が掛かるのらしく、魂を慣らす必要があるらしい。

その為、今まで俺は魂の継承率を20%に抑えていた。1ヶ月ほど前から継承率をを上げる訓練をしていたが、実戦で試すのは初めてだな。


『まさか最初の実戦訓練が本物の戦場になるとはな』

『大丈夫ですか?身体に負担とかありません?』

『大丈夫だ。寧ろ身体が軽い』


魂の継承率を30%まで引き上げた。それは能力そのものの強化であり、身体能力、精神力など能力によって強化される全ての上昇量が増加するという事だ。


『私は魔法に集中するのでサポート出来ません。念話も出来ませんが大丈夫ですか?』

『問題無いよ。そっちも頼むぞ』

『勿論です。ではご武運を』


問題無い、と言ったもののあの魔弾は小銃並の速度だろう。30%まで引き上げた能力の動体視力と反射神経でも数メートルという至近距離で躱すのはかなり難しい。

普通にやって不可能な事を可能にする為には、危険リスクのある賭けをするしかない。

氣を読む、これまで俺は1度も氣を感じる事が出来ずにいる。

氣とは五感から得た情報、その情報を無意識的にまとめ上げて自らの経験と重ね合わせた第六感。さらに人が常に魂やオドから放出し続けている微弱な魔力と固有魔力。さらに人が発している殺気や覇気そして感情。これらの情報を総合したのが氣だ。

五感の情報も第六感も今の俺には氣として詳細に感じる事は難しい。魔力や固有魔力なんて論外だ。でも沙月が能力のせいで感情が爆発的に増加している今なら、アイツの感情を感じる事が出来る筈だ。


「・・・・・・ふぅ」


深く息を吐き捨て、神経を研ぎ澄ます。時が止まって感じるほどに集中し、たった数メートルに俺の全てを載せる。

夜風が吹き草木が靡く。冷たいその風は頬を掠める。

大地を力強く蹴り、俺はこれまでの人生での最高速で地を駆ける。

思考を回転させ、感覚を研ぎ澄まし、沙月の感情を読む事だけに集中力を注ぎ込む。


「・・・・・・」


沙月との距離が5メートルという所まで近づいたその瞬間、ふと感じたのは慈愛、幸福感といった溢れ出すほどの正の感情だ。


(ここだッ!)


溢れんばかりの正の感情を感じたと同時に俺は半歩だけ右に足を踏み出す。俺が右に逸れてから刹那未満の時が経ち、沙月の手元からついに魔弾が放たれる。


「ッ!ああああ!」


感じられた正の感情だが、放たれたのは死の権化と呼ぶに相応しい全てを消滅させて空間を抉る魔弾。

俺は右に半歩ずれた事で魔弾の直撃は避けた。だが直撃を避けただけであり、魔弾を完全に回避した訳ではなく、脇腹に激痛が走る。

その痛みは「痛みで熱い」なんて生易しいものではなく、地獄の具現化と称すべきほどの痛みだ。

それも当然だろう。何故なら魔弾が当たった脇腹は肉も骨も破壊され、抉れてしまっているのだから。ただ俺にその現状を知る術も無ければ、痛みの原因を考える気も無い。

俺はただ足を前に踏み出すだけだ。あまりの痛みに脳が自己防衛の為に意識を手放そうとするが、俺はそれの命令を無視して、気合で手放しかけた意識を引き戻す。止まりそうになった脚に鞭を打って前に進む。


「まだだッ!」


地面を蹴り前に進み、沙月との距離を詰めていく。たった数メートルだが今はその数メートルが何よりも長く感じる。俺には何十秒に感じた走っていた時間も実際は一瞬だったのだろう。そして距離がゼロとなったその時、俺は沙月に抱きつく。

側から見たらセクハラに見えそうだが、俺は至って真面目である。これはどんな攻撃を受けても、死んだとしても沙月をこの場に留めておく為にとった行動だ。

何かしらの攻撃をしてくると思っていたが、その予想は外れて沙月は何もしてこない。その代わり沙月から照れ、困惑といった感情が感じられた。


『あらゆる奇跡を滅する邪の法。全ての法を無に還す漆黒の魔。魔導 グリモワール』


沙月に抱きついてから丁度3秒で詠唱は終わり、沙月の後ろに巨大な藍色の魔法陣が浮かび上がる。

そしてーー


「・・・・・・ぁ」


小さく声を漏らしてさっきまで自分で立っている状態まった沙月が抱きしめている俺の方に体重を掛けてくる。

沙月の体重も軽いのでいつもなら倒れる事なんて無いだろうが、今は色々と限界を超えている為、沙月の勢いに負けて後ろに倒れ込んでしまった。

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