第五章 家族の形 5

「守君の存在を知ったのは本当に偶然だったんです。新入社員の面接のリストの中に顔写真付きのファイルがあって。何百人いる中の一人だったんですが、たまたまそのリストを見た母の表情が一変したことに違和感を感じて、守君のことを調べるように部下に言いました。勿論内密にということです」取り調べ室に水尾と向かい合って座る久我山信明はいつもの静かな表情で語り出した。


「守君は和歌山県の養護施設の出で、両親はおらず小学生低学年の頃、一人でいるところを保護されたそうです。両親のことなど聞いても一切話さず、答えたことといったら名前くらいで。自分のことは何一つ話さない子供だったが、施設の人の言うことはよく聞く、とても真面目な子供だったらしいです。中学を卒業した後は、自ら進んで働き、夜間の学校に通っていたようです。そうして社会人になってからも色々な仕事をしながら一人で暮らしていましたが、月に一度は施設に顔を出して、後輩達にお土産を買ってきたり、覚えてきた手品を披露して皆を楽しませたり、とても優しい青年だったと誰もが口をそろえていたと」


 水尾は手元に置いた自分の資料に目を通しながら、信明の言っていることが概ね警察が調べた事柄と一致していることを確認した。


 信明は少し間を置いてから再び話し始めた。


「私は部下からのその報告を聞いて閃くものがありました。確か義母も和歌山出身だったと。そして母が過去に付き合っていた男との間に子供がいたということも思い出しました。その子供は自分が若かったこともあって、相手の男側が引き取ることになったとも言っていた。子供のことを母に聞くとはぐらかすので、何かおかしいと感じた私は、少し心苦しいところもありましたが、母のことを詳しく調べるようその方面のプロにお願いしました」

 

 淡々と話した信明は一度目を閉じた。自分の太股辺りに置いていた手を、信明と水尾の間に置かれた机の上に置いた。最初軽く握っていた拳には徐々に力が入っていき、爪が自らの掌に深く食い込むほど強く握りしめられていた。信明は閉じていた目をゆっくりと開くと、大きく溜息をついた。


「義母の話では子供は相手の男が引き取ったと言っていましたが、それは嘘でした。交際していた男は当時地元でかなり勢いのあった建設会社の社長でした。交際当初は調子が良かったその会社は、社長自身の金に対するだらしなさが原因で多くの負債を抱えて倒産しました。社長であるその男は潰れた会社の事務所で首を吊っているのを発見されたそうです。母にしたら子供は利用価値が無くなったんでしょうね。住んでいたアパートの大家が栄養失調でほとんど死にかけの状態だったのを発見したそうです……」


「その子供が及川守」


「及川は死んだ会社社長の姓でした。義母はよく守君に『あなたは及川という名前になるのよ』と言っていたそうです。それを無意識に使っていたのか、自分を捨てた母に対する小さな当てつけなのかは分かりませんが……。死んだ社長は自分に似ていると言ってそれなりに守君を可愛がっていたそうなので、守君は少なからず慕っていたのかもしれませんね」信明は悲しそうな眼差しで水尾を見つめた。


「及川にはあなたから接触したのですね」


「はい。面接後に、社長自ら非内定者の中からピックアップした人間にもう一度面接を行うという理由をつけて会うことになりました。義母のことをどう思っているのか知りたいということもありましたが、彼がもし母に会いたいと思っているなら、それは当然の権利だとも思いました。社長と二人きりで会うということで、守君は最初かなり警戒していましたが、話し出すとなんと言って良いのか、まるで昔からの友人のように打ち解けました。自分の生い立ちを隠すことも無く、むしろ自分から進んで話す彼は、自分を捨てた母に対する恨みなど微塵も感じさせず、その人間性に僕は好意を持ちました。特に自分の夢を話す彼は本当に楽しそうに話し、過酷な人生を歩んできただろうに、そんなことはおくびにも出さない。倉ノ下さんのことを話す時は本当に楽しそうで、僕もそれにつられて、子供のころからの自分の夢を話したりして…。本当に楽しかったなあの夜は……」そう語った信明の表情はまるで少年のようだった。


「養護施設に保護された当初彼は人との関わりを深く持たず、ただ生きているだけという状態だったと。それが変化したのが社会人になった最初の時に努めていたバイト先の同僚に誘われて行った倉ノ下さんのファンイベントだったそうです。最初はいやいや付き合っていたそうなのですが、何回か行っている間に、倉ノ下さんの歌と、ファンや関係者を気遣う彼女の人柄に惹きつけられるようになり、自ら進んで応援するようになったと。そのあたりから、自分でも倉ノ下さんのように周りの人に夢や希望を与えられるようなことが少しでも出来ないかと考えながら生きるようになったんだと。彼は自分が考えたアイデアを凄く楽しそうに話してくれました。彼の話す内容に僕は少なからず驚かされました。次から次へと出てくるそのアイデアは、多くの人を幸せにすることを前提に考えられたものばかりで、僕は素晴らしい人材に巡り会えたと確信しました。守君には面接の時の非礼を詫びて、僕たちに力を貸してくれないかと提案しました」


 信明がここまで話した内容は、及川守が書いた告白分と表現の仕方は多少違うが、概ね同じ内容だった


「守君は最初この誘いに良い返事をしてくれませんでした。それは自分の身勝手な行動で在る事件を起こしてしまい、現在執行猶予中の身であって、そんな人間が働いていると世間が知ったら、間違い無く企業のイメージを損ねてしまうという考えからでした。そこで私は、自分がやってしまった愚かな行いを守君に告白しました。それを聞いた守君は大変驚いていました。でもそこから彼は僕のことを少しずつではありますが信用してくれるようになり、一緒に働くことに関しても前向きに考えると言ってくれました。ここまでは何もかも上手く回り始めていたんです。そこから数日後のある出来事から全てがおかしな方向に流れ始めたんです……」

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