第15話 4人目・エルヴァン

「う……あ……」


 魔法の《スリープ》は、かけた人間を強制的に眠りに落とすものだ。だから、一定時間を経れば当然起きる。起床には個体差があって、それはごく自然な起床であったり、戦闘中ならば、眠っている間に一方的な攻撃を受けたり、誰かに起こされたりといったもの。何かの声や感触、感覚といった突発的な事で起きることもある。時には悪夢で目覚めることもあるそうだ。

 僕がそうやって目を醒ました時、耳の奥には呻き声のような叫び声のようなものが響いていた。


 ……なんだ。

 なんの声だ?


 僕がまだはっきりとしない視界を開ける。

 自然な起床ではなかったのか、それともまだ《スリープ》の影響が残っているからなのか、頭ががんがんした。周囲を見ると、僕は椅子のようなものに座らされていた。顔をゆっくりとあげると、少し向こうにフラヴェラの後ろ姿が見えた。何か持っている。


「……ふ、フラヴェラ……?」


 声をかけると、振り返ってぱあっと明るく笑った。


「あっ、ヘルム! 起きたんだね!」


 彼女は足下にぽとんと何かを落とした。


「フラヴェラ……、いったい……何して……?」


 フラヴェラの前には、エルヴァンが椅子に座っていた。腕は後ろに回されていて、力なくうなだれている。まるで背後で腕を括られているみたいだった。


「いまね、ヘルムを追い出したこいつに、仕返ししてたんだよ」

「は……?」


 フラヴェラはエルヴァンの髪の毛をぞんざいにひっつかむと、勢いよく顔をあげさせた。エルヴァンは力無く、されるがままにされていた。あげられたその顔に、思わず小さな悲鳴をあげた。

 エルヴァンは欠伸でもするみたいに口を大きくあんぐりと開けていた。いや、それ以上だった。何かの器具で、無理矢理口を大きく開けさせられていたんだから。口元から下顎までが真っ赤に染まっていて、そこにあるはずの歯はひとつもなかった。

 おまけに眼球は両方ともまぶたごとくりぬかれていて、そこにはぽっかりと開いた穴があった。まるで涙のように、血が両頬を伝っている。


「う……あ……、うああっ……」


 僕は言葉を失って、うまく喋ることができなかった。


「なん、なんで、フラヴェラ……なにして……は、はやく……《ヒール》を」


 もはや僕の《ヒール》ですら回復できるのかわからなかった。でも、何かしなくてはいけないと、僕の中の何かが言っている。震えながら椅子から立ち上がろうとして、ぐんっと両腕が椅子に引っ張られたのに気付いた。僕の両腕は椅子の肘置きに、ナイフで固定されていた。

 一瞬腕ごと固定されているのかと思ったが、幸いなことに服だけだった。両方引っ張ろうとして力が入らずに焦る。


「くそっ、くそっ」


 腕がカタカタと震えて止まらない。ともかく右手だけを引っ張ると、ローブが変な音をたてて破れた。なんとか右手の自由を確保して、肘掛けにめり込むように突き刺さっている左側のナイフに手をかけようとした。

 すると、殴りつけるようにエルヴァンの頭を離したフラヴェラが、おもむろに近寄ってきた。僕の前に影が落ち、はっとして前を向く。

 にこりと笑ったフラヴェラが、固定された僕の左の手の甲に勢いよくナイフを突き刺した。


「うぐうあああっ!」


 僕は痛みに顔を顰めた。

 ナイフは肘置きにめりこみ、手の平に熱いものが広がっていった。


「う……、ううう……っ」

「まだ動いちゃダメだよ、ヘルム。じっくり見せてあげるからね」

「なん、なんなんだよっ、フラヴェラ、いったい……いったい……きみは……何を……」

「だって、ヘルムを虐める奴は許さないから。あいつもちゃんと殺すよ」

「殺す……って、何を言って……」


 そこまで言って、僕は気が付いた。


「ま、まさか……サブリナの、あの死体は……」

「うんっ! みんなヘルムのために殺してあげたんだよ! あのデカいだけのカタブツも殴り殺してやったし、太った女も満足させて破裂させてやったんだ!」

「な……」

「あ、あと乗馬を気取ってたあいつもちゃんとお仕置きしておいたからね。心もちゃんと折ってから、真ん中から真っ二つに引き千切ったんだよ!」


 ……フラヴェラは何を言ってるんだ?

 フラヴェラがみんなを殺した?


 嘘だ。

 嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ!

 こんなの悪い夢だ!


 フラヴェラは僕の前で、踊るようにエルヴァンの前に戻った。

 もういちど髪の毛をひっつかんで、顔をあげさせる。


「今からね、ヘルムの前でこいつをバラバラにしてあげる」

「やめろ……やめてくれ、フラヴェラ……頼むから。僕のせいなんだ。僕のせいだったんだよ」

「わかるよ、ヘルムは優しいからね」


 フラヴェラはニコリと笑った。


「でも、こいつは許さないよ。私の、最高の魔法で殺してあげる!」


 そう言うと、エルヴァンの頭を離して、また踊るように離れた。

 いったい何をするつもりだ。


 僕はナイフに手をかけ、痛みを堪えながら抜こうとする。


「《エアスラッシュ・トルネード》っ!!」


 そのとき、エルヴァンの椅子の下に、巨大な緑色の魔力が出現した。長い直線上の魔力が二つ、椅子を中心にしてクロスしている。

 それがゆっくりと円形に回り始め、次第に見えないほど高速回転し始めた。ブーン、という音があたりに満ちる。魔力は床から次第に上昇しはじめ、それと同時に椅子ごとエルヴァンの足を切り刻み始めた。エルヴァンの靴先が細かく裁断されはじめると、いまだ拘束された顔が苦悶に満ちた。

 僕はこれが何をするものなのか、理解してしまった。


「やめろっ! やめてくれフラヴェラっ! 僕は怒ってないからっ! エルヴァンのことも許すからっ! だからっ、だからもうやめてくれっ、フラヴェラぁあああっ!」

「がっ……あっ……がああああああっ!!」


 エルヴァンの顔が天を向いた。椅子が崩れ落ち、エルヴァンは一歩も動くことができないまま、上昇する魔力とぶつかった。

 その途端に、エルヴァンの体は一瞬にして切り刻まれた。という奇妙な音とともに、細かな血と肉の破片が飛び散った。僕の顔にまで肉片が飛び散り、やがてがちゃんという音とともに彼の顔を拘束していた装置が弾き飛ばされた音がした。

 僕の足下に、ころころと血にまみれたマントの留め金が転がってきた。


「あ……あ……」


 静かになった。

 そこには飛び散った血の塊があるばかりだった。もはやエルヴァンなのかもわからない。


「え……エルヴァ……」


 茫然としていると、フラヴェラが振り向いた。一番近いところで血飛沫を浴びた彼女は、真っ赤に染まっていた。

 ゆっくりと、こちらに近寄ってくる。

 ばさっ、と血にまみれたローブを脱ぎ捨てる。


「ヘルム」


 胸元のリボンを外し、シャツを脱ぐ。


「……フラヴェラ……」

「これでもう邪魔者はいなくなったよ、ヘルム」


 するっ、とスカートが床に落ちた。それを乗り越えると、フラヴェラは胸を補強する下着を外してその場に落とした。


「わ、私と……、ひとつになろう? ヘルムぅ」


 僕は呆気にとられたままだったが、はっと気が付くとすぐに左手のナイフに手を伸ばした。物凄い力だったのか、なかなか抜けない。


「だ、だってわたしね、ヘルムのことが……!」


 そこで脱がないでくれ。頼むから。

 お願いだから。

 僕も君のことは好きだ。

 でも、こんな風にしたかったわけじゃない。

 こんな告白が欲しかったわけじゃない。


 最後の下着を脱ぎ捨てたフラヴェラは、僕の前に迫ってくる。


「ね? ね? 私とひとつになろうよ。気持ちよくさせてあげるから。私のこと以外考えないようにしてあげる。私のこと以外考えたら殺してやるから。好きだよ、ヘルム。私の奥の奥まで突いてよ。私のことめちゃくちゃにしてほしいの。ぐちゃぐちゃにして、わけがわかんなくなるくらいにしてよ」


 フラヴェラは泣いている僕の頬に手をかけた。


「だから、だから、私を」


 もう片方の手が、僕の左手に刺さったナイフにかけられた。


「たすけて」

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