第13話 パーティの崩壊
――この記録を見た者へ。
――いますぐにこの迷宮から脱出せよ。
*
「こっちは……ええと。くそっ。地図さえあればな……」
途中まである程度覚えられると思っていたけれど、そんなに簡単にはいかなかった。半分迷いかけながら、ひとまずは覚えているルートと、まだ行っていないルートを確認する。
思わず独り言を呟いてしまう程度には、追い詰められているのかも。
とはいえ、おぼろげだが多少は僕の脳味噌にも地図は覚え込まれているようだ。そこだけは助かったと言える。
――そういえば、エルヴァンはどうなったのかな。
ジョヴィオは鎧を残して行方不明。
サブリナが死んでいたのは確認した。
それから、レンツィは見当たらない。もっと奥側かもしれない。
そして――あいかわらず、フラヴェラは見つからない。
もしもフラヴェラも死体になっていたら、と思うとぞっとする。なんとか彼女を見つけておかないと……。
そう思いながら、こそこそと角を曲がる。途中で見えた扉の側に寄り、そっと扉を開けた。中は通路が続いていた。
……ん?
あれ、ここは……?
なんだか見覚えがあるというか、似たようなところを見た気がして、不思議な気分になった。それもそのはず。少し行ったところには牢屋の鉄格子が見えた。でも僕が入れられていたのとはちょうど対になるような作りだ。
もしかしてここって、と思う間もなく、向こうのほうから微かな音がした。僕の記憶が確かなら、この先にいるのは彼だ。
僕は慎重に歩を進めた。ゆっくりと、近くにカギがないかも当然確かめながら。ひとつめの牢屋を過ぎて、そして……。
「……エルヴァン……?」
牢屋の中には、見覚えのある姿が座り込んでいた。
僕を見下し、追放した張本人。
なんと声をかけたものかわからず、僕は言葉に詰まってしまった。
「エルヴァン、無事だったのか?」
とにかく僕は彼の無事を喜ぶことにした。
「こっち側が僕のいたところの裏側だったんだね」
よく見ると、鉄格子に細かい傷がつけられている。外側に向かってやや曲がっていたけれど、脱出するまでには至らなかったようだ。うっすらと見える腕は服が破れ、ズタズタに傷ついていた。たぶん、武器のないまま何度もスキルを発動したんだろう。なんて無茶なことを。
「そ、そうだエルヴァン。大変なんだ」
いったいどこから説明すればいいのかわからなくて、僕はひとまずそれだけ言った。
「エルヴァ……」
呼びかけて、僕はエルヴァンの隣にある死体を見て驚いた。一瞬誰かの死体かと思ったけど、渇き具合からいって、僕のところと同じような経緯の死体だろう。
そのエルヴァンは、じっと古いノートのようなものを見つめていた。そういえばこの迷宮には昔の兵士の日誌が置いてあったけど、ここにもあったのかな。
「その死体……」
「……ちがう……」
エルヴァンはそう呟いた。
「えっ? あ、い、いや、きみが殺したとかそういうことじゃなくて。僕の牢屋にもミイラがあって……」
「……いつからだ。いつから俺は……」
「え、エルヴァン?」
エルヴァンはおもむろに立ち上がると、僕のほうを向いた。
「いつから……」
「え? ……え?」
ゆっくりと近づいてくる。僕は逃げようかと周囲を見る。
鉄柵越しに、エルヴァンは腕を伸ばして僕の胸ぐらを掴んだ。
「答えろヘルムっ!! いつから俺は《こう》だった!?」
「うぐっ……!?」
無理矢理近づけさせられた僕は、そのまま鉄格子にぶち当たった。痛みに思わず顔を顰める。
「は、離し……」
「答えろ!」
「い、いつって……、な、なんなんだよ……。わけがわかんないよ突然……!」
僕はなんとか手を振り払おうと、エルヴァンの手を掴んだ。
「だ、だいたい、……僕を追放したのなら、もう……」
「お前だって覚えてないのか。自分がいつから《そう》だったのか……」
「ぼ、僕?」
エルヴァンはもう片方の手で自分の頭をひっかくように掻きむしった。これほどイライラした彼は初めて見た。
何を言いたいのかさっぱりわからない。
恐怖か、あるいはわけのわからない感情がこみあげてきて、心臓が跳ね上がった。どくどくと高鳴る鼓動を感じる。
わからない。
理解したくない。
「お前が言い出したことだぞヘルム」
「ぼ、僕がなにを」
「そうだお前だ。上位の《ヒール》を……《キュアオール》を……覚えなかったのは、誰だ!?」
「だ……だって僕は、覚えられなくて。……みんなの実力についていけないからって、追放したのは誰だよっ!」
「違うそうじゃない!! 俺の聞きたいのはそうじゃない!! お前が言い出したことだろうがこのクソ野郎っ!! いつからお前は……お前は……」
エルヴァンは僕を睨み付けながら、何かを喉の奥から必死に絞り出そうとしているようだった。
それから、左手に持っていた古いノートを僕に叩きつけた。
「いいかヘルム、これを読め、今すぐだ。今すぐ読まねぇならこのままくびり殺してやる」
「だ、だからいったいなに――」
「読め!!」
エルヴァンは否応なく僕にそう命令した。
僕はしぶしぶと、緩慢な動作で叩きつけられたそれを手に取った。ちらちらとエルヴァンを盗み見る。エルヴァンは落ち着かない様子で何度も頭をかきむしっていた。
むしろその様子だと僕のほうが落ち着かないんだけど……。
ともかく、読むふりだけはしておかないと。
それは、百年前の兵士たちの第四部隊で書かれた日誌のようだった。
第一部隊の足取りが途絶え、第二部隊が殺し合いをし、第三部隊がバラバラになって崩壊したあとの日誌だった。
こんなものを読んで、いまさらなんだっていうんだ。
エルヴァンの考えていることがわからない。
だから、流し読みするように適当な頁を開いて、次に進む。どうやら第四部隊は途中で撤退を選択したようだが、その決定に満足しなかった者たちと次第にぎくしゃくしはじめたようだ。特に、この第四部隊のエースに《嫉妬》した隊員がいたり、決定に《憤怒》する者がいたりと、一筋縄ではいかなかったらしい。
こんなの、よくある話だ。
……そうだ、よくある話だ。
僕は震える手で適当な頁へ進もうとして、ぎょっとした。
日誌は次第に筆跡が怪しくなり、文章が怪しくなり、苦悩と精神的な錯乱が見てとれた。本当に、なんなんだ。
そして、その中で唐突に再びしっかりとした筆跡で、文字が浮かび上がった。
――《狂乱》するは魔物のみに非ず。
そして黒く汚れた頁が何枚も続いたあとに、こう綴られていた。
忍耐を持つ者は憤怒を。
節制を心掛ける者は暴食を。
感謝を忘れぬ者は嫉妬を。
僕は反射的に日誌を閉じた。
恐怖がこみあげてきた。何かが心の奥底からにじり寄ってくる。思い出したくない。いったいどうして、エルヴァンはこんなものを見せたんだ。そうでなければ、僕は……。
……僕は……。
「あっ」
向こうから聞こえた声に、僕は勢いよく顔をあげた。
僕はほとんど機械的に日誌を捨て去った。
「フラヴェラ!」
間違いなくこの声はフラヴェラだ。
「良かった、無事で……」
僕は駆け寄ろうとして、その白いローブが赤黒く変色していることに気が付いた。
……なんだ、これは?
いったいどうしたっていうんだ?
「うん。ここに来てくれてたならちょうど良かった! あのね、ヘルム、とってもいいところを見つけたの――」
フラヴェラは杖を構えると、僕に向けた。
あのとき――僕が追放された直後、見た光に似ていた。そのものだった。
あれは《スリープ》の魔法だったんだと気が付いたときには、もう僕の意識は遠く離れていた。
*
――この記録を見た者へ。
――いますぐにこの迷宮から脱出せよ。
――《狂乱》するは魔物のみに非ず。
――感情を持つ我々には、《狂乱》はこの上ない猛毒である。
忍耐を持つ者は憤怒を。
節制を心掛ける者は暴食を。
感謝を忘れぬ者は嫉妬を。
――反転あるいは増幅させられた悪徳は、最悪の形で表出する。
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