第11話 3人目・レンツィ(前)

 レンツィの目が醒めた時、彼女はうつ伏せに転がされていた。

 気分のいい目覚めではなかった。なにしろ寝かされたベッドは木造の板が横に何枚も並べられただけのものだったし、両腕は何かに引っ張られているようだった。木造の板はそれぞれ見てわかるほどの隙間が開いていて、そこにちょうど皮膚が入り込んで痛かった。

 せめて顔だけは呼吸をするように横を向いていたものの、なんにせよ気持ちのいい寝方ではない。これならせめて、仰向けにされていたほうがずいぶんましだ。

 それどころかあたりは真っ暗。

 足も固定されているようで、僅かにしか動かなかった。


「……なにこれ……?」


 引っ張られている腕を動かそうとすると、僅かに古びた鎖の音がした。両手両足はそれぞれ鎖で繋がれていて、やや大の字の形になるようになっている。

 誰か意志のある存在にこうされたのは明白だった。だがそれが何者か、となると、思い浮かばない。


 ――あの視線の主……?


 盗賊であるレンツィは、迷宮の途中から奇妙な視線を鋭敏に感じ取っていた。だが、それが敵かどうかとなると判断がつかなかった。

 なにしろその視線は、現れた魔物を倒してもなお張り付くようにうっとうしかった。一度エルヴァンに伝えてみたが、それ以降も特に何かしてくるというわけではなかったからだ。これほど明確な視線があるのなら、なみの魔物ならとっくに襲いかかってきてもいいはずだ。

 特に、この迷宮は地下に降りるにつれて、魔物たちはその気配を隠さなくなっていた。上層階と同じ種族の魔物も怒り狂ったような――迷宮の名と同じ狂乱状態にあり、その名の由来をまざまざと感じ取った。


 結局、正体はわからないまま。

 いずれにせよずっとここにいるわけにもいかない。早く脱出したほうがいい。がちゃがちゃと鎖を引っ張ってみるが、相変わらず外れない。なんとか外れないかと思っていたそのとき、部屋の中に気配がひとつ入ってきた。


「だれっ!?」


 思わず声をあげてしまった。

 しまった、と思いながらなんとか振り返る。

 足音がする。入ってきたのは見覚えのある姿だった。


「……なによ、あんた」


 レンツィは見るからに不快そうな顔をした。歩いてきたのはフラヴェラだった。手には金属の棒のようなものを持っている。そのことにとはいえ、血に染まったローブを見て多少は顔を顰めたが。


「……なにそれ。どうしたの? 最初に来たのがアンタとか、最悪なんだけど」

「そっか。ごめんね――」


 彼女はそう言いながら近づいてきた。


「鞭かなにかがあればちょうど良かったんだけど。これしかなくて――」


 さびかけた棒が、レンツィの背中を強かに打ち付けた。

 暗い部屋の中に、鈍い炸裂音が響いた。


「くああっ!?」


 突然の攻撃に、耐えきれずにレンツィは声をあげた。


「あ……がっ……い、いったい何……」

「あ、こっちのほうがいいかな」


 フラヴェラは短パンの裾を引っ張ってナイフを当てると、下着ごと一直線に引き千切った。痛みと、突然のことで何が起きたのかわからず、レンツィは顔を顰めながら混乱する。


「あ、あんた……、いったい何して……」

「だって、悪い子はお尻を叩くものでしょう?」


 勢いよく振り上げた腕が、引きずり出された尻に向けて棒を振り落とす。


「うぐ、あっ!?」

「人を馬にするなんて、悪い子だから」


 痛みに顔を顰めると、両腕を固定する鎖が音を立てた。だがレンツィの都合などお構いなしに、続けざまにフラヴェラは金属棒を振り下ろす。理由もわからぬまま、レンツィはされるがままになるしかなかった。

 石造りの部屋に、空を切る音とやや鈍い炸裂音が規則正しく響く。その合間を塗って、かみ殺した悲鳴が響いた。突き出された尻に赤い線が何本も入り、ミミズ腫れのように腫れ上がってくると、唐突にその手が止まった。


「はっ……はっ……!」


 肩を揺らし、板の上にぽたぽたと汗が滴り落ちる。これはもはや拷問だ。

 あまりのことに瞳には自然と涙がたまり、視界が揺らいでいた。

 そのレンツィの髪の毛がひっつかまれ、ぐいっと顔をあげさせられる。まだ整わない息をしながら視線をあげると、フラヴェラがひとつも表情を変えぬまま覗き込んでいた。


 ――……な、なに、この目……?


 自分の知っているフラヴェラではない、と思った。

 どうしてそんなことを思ったのかはよくわからない。


「ねぇ。一応聞いてあげるけど、どうしてヘルムに酷いことしたの?」

「は、あ? そんなの、あいつが、バカだから、に……」


 ぜえぜえと息を切らしながら言うと、また唐突に髪の毛を離された。ごちんと顎を木の板で打つ。フラヴェラは無言のまま、ちらりといましがた痛めつけた尻を見ると、おもむろに平手をあげた。

 小気味良い破裂音が響き、痛みが駆け抜けた。


「かふっ……!」

「自分で言えるまで、これで許してあげるから」

「あ、あんた……、頭おかしいんじゃないの!?」


 全部言い終わる前に、もう一発平手が飛んだ。


「あ、がっ……!」

「ね?」


 叩きつけた平手で一度だけ尻を撫でると、再び手を振り上げた。

 まるで子供を諫めるような口調だったが、子供にやるにはいささか異常だ。しかしそんなことはどうでもよかった。事もあろうにフラヴェラにやられているという時点で、レンツィにとっては屈辱でしかなかったからだ。

 さきほど付けられた傷からは僅かに血が噴き出していた。フラヴェラの手の平は血で汚れつつあったが、まったくお構いなしに叩き続けている。暗い室内には再び破裂音と悲鳴が響き渡った。ようやく音が止まった頃には、レンツィは涎と涙を流しながらびくびくと引きつっていた。


「う……あ……あっ」

「ほら、言ってくれないとわからないから」


 フラヴェラはもういちど髪の毛をつかみ、その顔をあげさせた。

 まだぜえぜえと引きつったような息をするレンツィの顔を見てから手を離した。またごちんと音がする。

 

「……え……、エルヴァン……が……」

「うん?」

「アンタのこと……気に入ってたでしょ……」


 ぜえ、ぜえ、とまだ整わない息でそう言っている間、フラヴェラは爪先で腫れ上がった線の上をひっかいていた。レンツィの体がその指先から僅かに逃げるように悶える。がちゃりと鎖の音がした。


「それなのにっ、アンタはっ! あのクズのドン臭い男に構ってばっかりだったでしょうがっ! だからアンタへの嫌がらせよっ! わかった!?」


 レンツィは叫び散らし、がちゃがちゃと鎖を揺らした。


「ええ、わかったわ。ありがとう」


 うっすらと血の浮かぶ腫れ跡は爪で何度もひっかかれ、血がつうっと滲んでいた。その傷跡に否応なく指先が突っ込まれ、傷を何度も押し広げられる。


「う、ぐうううっ……!」

「たったそれだけのことで、私のヘルムに酷い事したレンツィは、やっぱり懲らしめないといけないなって」


 そう言い放つと、フラヴェラは爪を立て、ミミズ腫れから太もも、そしてふくらはぎまで爪で僅かに傷つけていった。

 レンツィの足の下まで来ると、指先を止める。

 その指先に、魔力が貯まり始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る