第36話 負け犬だけが言い訳できる

 カリラという名を得た女が最初にしたことは、体の具合を確かめることである。

 とりあえずは剣が入用となり、カリラは数打ちで良いと伝えたが、なかなかの業物が届けられた。

 今の主である齊天后の前で、剣を振る。


『服の前に剣とは……。なんと野蛮な』


 さしもの齊天后マフも、裸身のまま剣を振る女に呆れ声であった。


「生き方は、黄泉帰っても変えられぬものです」


 動く。

 思いの外に、動く。

 青褪めた月の下で死したあの日、どれほど体が重かったことか。

 女は自らを阿修羅であると知る。

 自らの内なるで悟りを開く。いわゆる独覚を果たし、そこから先へ至れぬ阿修羅。

 弟子を得たことは幸いであった。

 体は動かぬとも、あの時、長らく越えられなかった壁を踏破した実感があった。

 死に瀕してなお、力を求める阿修羅である。

 苦界である現世に引き戻されて、その時の感触が微塵も薄れていないことは、望外の喜びに他ならない。

 カリラにとって刃が大気を切り裂く音は、歓喜と悦びの調べである。





 肉を得たカリラは帝都の街をそぞろ歩く。

 騎士礼服をまとい、腰には業物の剣。しかし、どうにもこの業物は好きになれない。かといって、神具の魔剣は嫌だ。

 あれは斬れすぎて、剣ではない。別の何かだ。

 鉄を鉄で断てる者にとって、剣は体の一部である。故に、斬れすぎる神具は邪魔になる。手があるというのに、義手を得る必要は無い。

 腰に佩いた剣が、かたかたと音を鳴らす。


「ふむ、妙な剣を渡してくれる」


 目をこらせば、ねっとりとした血潮の気配がする。何やら恨みの篭る剣であるらしい。人を斬りたがっている。

 死人が持つに相応しいと言えないでもない。

 鍛冶屋で鋳つぶそうと思っていたが、なんとも忍びない気持ちになった。こういうものは、一度愛着が湧いてしまうとダメだ。


「ま、いいか」


 そうと決まれば、鍛冶屋へは行かずにマーケットへ向かう。

 帝都には幾度か来たことはあるが、新たらしい主のおかげで大いに様変わりしていた。特に、齊天后どの治世で拡大した露天商は面白い。

 辺境でしか食べられないものがふんだんにある。

 好物の干した無花果いちじくがあったのも嬉しい。三つほど買い込み、かじりながら歩く。


「美味いな」


 久方ぶりの味に、笑みが漏れた。

 弟子のことを思う。あの子はいつも、大きな都市にくると珍しいものを食べたそうにしていた。実に美味そうに食うので、路銀に余裕があれば買ってやったものだ。

 我ながら甘いことをしたと思う。しかし、つられて食べることで、食べ歩きというものを愉しめるようになった。

 色々なことを弟子から教わった。

 思えば、人に立ち返ることこそが、自らの限界を破る契機であったのかも知れない。

 竹虫の屋台を見かけて、野営の最中に食べた時に、あの子は泣いて嫌がったと思い出す。あれから成長していれば、これくらい食えるようになっているだろう。

 剣が哭く。

 いい子だから、もう少し待てよ。

 後ろの気配は五つ。そして、その後ろ。さらに一つ。いや、二つか。



 露天商のひしめく通りを抜けて、墓地のある方向へ歩く。

 おや、気が早いな。


「待たれい待たれい」


 自らの周りを囲むのは五人の武者だ。

 ご丁寧にも、鎧を着た騎士が一人に槍兵が四人という囲い殺しの布陣である。


「うむ、何用かっ」


 堂々とした大声で返せば、五人もまたその身に気合を入れた。すくたれ者ではない。中身も武者か。


「皇帝陛下に取り入る魔道の徒であると聞き及んでおるが、相違ないか」


 騎士の相貌は兜に隠されていて分からない。しかし、声からすると若くは無い。


「そのとおり、我こそが齊天后様の懐刀であるカリラと申す者」


「堂々とした名乗り、ひとかどの武人であるとお見受けする。しかし、帝国のため、見せしめとなって頂く」


 この後に、腹を切るつもりであろう。敵の命と自らの命をもって皇帝陛下を御諫めせんとする心意気、まさしく見事である。


「よかろう、来い」


 剣を抜けば、目前に槍が迫るところだ。前に二人、後ろに二人。戦い慣れた歴戦の兵か。槍兵も歳のいった男たちである。

 繰り出される鋭い一撃を舞うように跳んでかわし、まず一人目の首筋を斬る。

 剣に宿る魔は、深く深く、カリラの考えるよりも深く肉を抉ろうとする。

 よせよせ、それでは私が死んでしまうではないか。

 いや、もう死人か。

 着地と同時に剣を投げれば、背後から突きかかっていた一人の顔面に剣は吸い込まれていく。


「なんと」


 頭目である騎士の驚愕の声。

 剣を手放す程度で驚かれては、カリ=ラの名が泣くではないか。

 残る二人の槍兵は、仲間の死に怯むことなく槍を突き出す。

 帝国にも、未だ武者はいる。惜しいという思いを感じる前に、体が動く。

 正中線を正しく狙う必殺に対して、カリラは恐るべき柔軟性でくぐるようにして槍を避け、使い手の目に貫手をさしこみ、脳を掻きだした。そして、すぐさま槍を奪い、最後の一人が繰り出した穂先に石突をぶつけた。


「ぐうぅぅ」


 槍使いの唸りは虎のものに似ていた。

 カリラが神速で槍を回せば、最後の槍使いは喉を切り裂かれて崩れ落ちる。

 槍を捨てたカリラは、自らの剣を死体から引き抜く。


「恐るべき手練れか。最期の相手に不足無し」


 騎士は大剣を抜いた。


「なぜ、待っておられた」


「貴公ほどの武人に向かい合いたいと望まずして、なにが男か」


「戦いとは勝つことのみが華よ」


 勝つためには何をしてもよい。


「もとより、この命は捨てておる。使い所は選びたいではないか」


 なるほど、雅を取ったか。

 粋な男は嫌いではない。その不器用さは、正しくなくとも好ましい。


「そうか、その気持ちは分かるよ」


 私もまた、同じことをした。

 リリーよ、お前はどれほど強くなった。会いたいなと、そのように思った。


「リヒャルト・ドレスタル準子爵と申す。死出の決闘にいざ、参る」


「おう、来やれ」


 騎士は剣を担ぎ上げる奇異な構えを取った。

 二の太刀などいらぬという構えである。しかし、その体勢は後の先。つまりは、いかなる形で打ち込まれても捨て身で斬り伏せる心積もりか。

 いや、そう見せかけているだけかもしれない。老練の魅せる妙技であった。

 鎧を纏うが故に、片手剣ではその隙間か喉元などの急所に打ち込むしかない。そうするためには懐に入り込む必要がある。そうなると、必然的に騎士の剣を避けられない。

 剣が哭く。妖剣に宿る鬼は、使い手と対手を死に誘う。

 カリラは無防備に距離を詰めた。

 騎士の瞳が輝き、捨て身の一撃が走る。

 カリラは走り抜けるようにして一閃、鉄と鉄のぶつかる音は鎧を打った音である。

 血の華が咲く。


「斬鉄の剣、見事なり」


 騎士の兜、その中で顔を隠していた面頬の隙間から血が漏れた。

 鎧ごと腹を切り裂かれ、口にまで登った血を吐いたのだ。


「その命、無駄にはせん。安心して逝かれよ」


 異国の祈り捧げたカレラは、袖口を破いて懐紙代わりにして剣についた血糊を拭い鞘に納めた。

 弟子の到着を待つつもりでいたが、どうにもそうはいかなくなった。

 士官することが夢ではあった。しかし、上手くいったらいったで背負うものが増えてしまう。

 五対一の決闘に勝利し、斬鉄を為したことでカリラの名は一躍帝都に轟くこととなる。





 シャルロッテがその人を見たのは、薔薇園でのことである。

 物珍しいといった様子で薔薇を眺めているその人は、場違いだと自分自身で思っているのが外に出ているようで、なんとなく親近感を覚える。

 アメリと共に先帝陛下のために薔薇を手折りに来たのだけれど、つい、その人を見入ってしまった。


「シャルロッテ、どうしたの」


 見ていると、アメリがそのようにシャルロッテに声をかけた。


「あ、ううん。何でもない。初めて見る人がいたから、ね」


「あれは、近衛の女騎士でカリラじゃ」


「ふうん、強そうだね」


 じろじろ見るのも失礼にある。その場は立ち去ることになった。

 手折った薔薇を花瓶に入れていると、不意にアメリが真剣な声を出す。


「なあ、シャルロッテ」


「なに、アメリちゃん」


「これから戦争が始まろう。長い長い戦争じゃ」


 突然凄いことを言いだす。

 シャルロッテとて、アメリを普通の女子だとは思っていない。きっと、凄腕の魔術師かなにかなのだと、そう思っている。


「……怖いね」


「この戦争は人を引き上げる戦争じゃ。人間の歴史は戦いを繰り返すことにある。幾多の命と争いで文明は発展し、いつか月にも、その先の宇宙にも、世界さえも超える日が、いつか来る。妾は、その未来のために」


「難しいことは分からないけど、それが正しいことなの?」


「……正しいなどというのは、後の者が決めるであろうよ。妾は、何があっても、帰る」


「そっか。怖いけど、そう進んでるんなら、仕方ないよ。アメリちゃん、大丈夫、怖いことしてても嫌いにならないよ」


 花瓶を小脇に抱えて、シャルロッテはアメリの手を握った。


「そ、そうか。そう言うてくれるか」


 あまりにもその声は弱弱しくて、シャルロッテの胸にちくりと痛みが走る。


「でも、アメリちゃん、イヤイヤやっちゃだめだよ。強くないと、負けちゃうから」


「えっ」


「なんでもそうだけど、人を叩く時は思いっきりしないとね、後で自分が痛くなるし敵ばっかりになっちゃうでしょ。だから、グッとね、ゴワーンって感じで力いっぱい全力で、頑張らないとね。わたしは役に立てないけど、応援するよ」


 シャルロッテはさも当たり前のように言う。


「そうか、その通りじゃ」


 胸には苦しみがある。

 訳の分からぬ力をどれほどふるえば、この罪悪感から逃れられるのか。

 魔人としてこの世界に落とされた時から、ずっと戦い続けてきた。最も痛みを伴ったのが同朋を手にかけた時である。

 力を振りかざす者を力で排除した。勝ったからこそ、アメントリルとその仲間たちは正義であることになった。


「シャルロッテ、ありがとう。妾はこれで前に進める。お前に出会えてよかった」


 手の温もりは胸に染み入るようで、アメリはうっとりとその感触に陶酔した。


「え、ちょっと大げさじゃない? あと、なんか女色っぽくて怖いから、顔を赤らめるのやめようよ」


「ふふ、そうじゃな」


「聞いてないでしょ、それ。女同士とかちょっと無理だから」


 困ったなあ、といった様子でシャルロッテは言う。

 シャルロッテは後になって、この時間が最も幸せで、それでいて残酷なものであったと知る。

 嵐の前の静けさのようなひと時であった。

 この嵐をより大きくする女は、シャルロッテとアメリの様子を遠くからじっと見ていた。




 次にシャルロッテがその人を見かけたのは、侍女の住まう一画にほど近い庭園でのことである。

 庭園の庭石の上で、座禅を組んでいた。

 仕事終わりにたまたま見かけたのだが、その様はシャルロッテの記憶と一致する。

 生誕祭の直前、最後にリリーと言葉を交わした時に見た鍛錬の姿だ。


「リリーさん……」


 見た目は全く違うというのに言葉にしていた。

 瞳を閉じて自然と合一していた女の、カリラの瞳が開かれる。


「弟子の知り合い、いや友人かな」


 座禅を解いて庭石から飛び降りた女は、シャルロッテに問う。


「えっと、あの、リリーさんのお師匠様、ですか」


 ほんの少しだけ聞いた話と特徴が一致する。少し若い気はするが、あんなことをする女性が他にいるとは思えない。


「ああ、私はカリラという。よければアレのことを聞かせてほしいんだけど」


「ええ、喜んで。あ、シャルロッテ・ヴィレアムと申します」


 ああ、そうか、あの時、リリーに似ていると思ったのか。薔薇園で佇む様は、困らせた時の姿によく似ていた。

 侍女のための休憩室へ赴き、シャルロッテが茶を入れた。

 ようやく先帝陛下とディートリンデ様は、シャルロッテの茶を飲んでも

「ん?」ぐらいの違和感ですませてくれるようになった。


「ここの茶は落ち着かんな。色と匂いがついているだけの茶で良いんだけど」


「分かります。お茶一つでも、下々とは違うんですよね」


 階級社会において、身分違いというものは互いに苦しいものだ。玉の輿というものに庶民の娘は憧れるものだが、実際は気苦労のほうが大きいだろう。


「あれは、侯爵家の長女だというのに変わっていたよ」


 思い出を慈しむ目であった。

 ああ、とても大切にしていたのだな、とシャルロッテにも知れる。


「最初はすごく大人な人と思ってたんですよ。でも、面倒くさがりだし、すぐ勉強は投げ出すし、なのに食べ方とかはお嬢様なんですよね」


 リリーと付き合い始めて最初に感じたのは、食事時のマナーの良さへの感嘆だ。一緒にいると、自分のマナーの悪さに恥ずかしくなる。それがあって、猛勉強した。友達に置いていかれるというのは寂しいものだからだ。


「そうだったね、リリーはそういうところがあったよ。ふふ、私と別れた後も、元気でやっていたということか」


「会っていないんですか?」


「あれが十四の時に放り出した。もう十分に剣は遣えていたからね」


「じゃあ、帝都にきてからのことは知らないんですか」


「こっちに来たのは最近だからね。あれは学院ではいい子にできてたかな」


 それから、シャルロッテはリリーのことを話した。

 決闘の騒ぎや、授業を気分が優れないと言ってサボること、それにリリーの叔父であるというヴィクトールとの掛け合いなど、カリラもすぐに想像できる話ばかりだ。

 話し終えて、三杯目の茶を入れた所で、カリラはぽつりとつぶやく。


「リリーは私のマネをしているのかもしれないな」


「マネっていうか、大分違いますよ。多分、お手本にしてるんでしょうけど」


「自分に自信がないからマネなんてするのさ」


 シャルロッテは苦笑した。

 妙なところで頑固そうなところが、よく似ていたからだ。


「変なことを言ったかな」


「まさか。よく似てるって思ったんです。自信っていうか、多分、カリラさんのことが好きだから、同じようになりたいって思ってるんですよ」


「そういう弱い考え方は好きじゃない」


「憧れた人みたいにしたいって、思うじゃないですか。強いとか弱いじゃないですよ」


 はたと、虚を突かれた思いであった。

 カリラは個人の力というものに異常なまでの想い入れを持つ。だからこそ、自分の頑迷さに気付けることは稀なことだ。


「そんなに単純なものかな」


「リリーさんはそうだと思います。わたしも似たようなものですし」


「シャルロッテは強い女(ひと)だね」


「弱いですよ。流されて、何もできなくて、泣き言ばっかり言ってます」


「……泣き言はかまわないよ。負けたのなら、言い訳してもいい。勝ってるのに言い訳さえしなかったらそれでいい」


 カリラは自らの主と同僚である騎士の姿を思い浮かべた。


「あ、そろそろ時間ですか」


「長々とすまなかったね。また、話そう」


「ええ、喜んで」


 この後、このように話す機会は訪れなかった。





 離世の間では、いつもの悪だくみ会合が開かれている。

 死神は片腕を失い敗北。リリーを倒すまで戻らぬと言付けをして何処かへ消えた。

 神具を失い舞い戻ったユリアンは、平伏して震えている。

 齊天后マフが怒るということはなかった。元より、カグツチを倒してしまう相手に対して、少しばかり強化しただけの蚊人間が対抗しうるとは思っていない。


『ふむ、どうしたものか。この妾は帝都を守護せねばならぬ』


 マフは抑えきれぬ喜びを得ていた。

 カグツチを倒したことも偶然ではない。魔人を正面から倒してしまうというのは、人間の進化の証だ。それこそ、目的の一つは達成されたようものだ。


「私が行きましょうか」


 ジーンが言う。不確定要素にはもううんざりだ。


『ならん。妖精を抑えるには邪妖精の力がいる』


「齊天后様の御力があれば、私の不在など、どうとでもなりましょう」


 笑い声が響いた。

 この場に相応しくない笑い声に、皆の視線が集まる。

 笑っているのはカリラであった。

 黒髪に平たい顔をした女の笑い声は大きくなり、目を見開いて笑う様には一種独特の狂気すら漂う。


「皆様方、何をせせこましいことを考えていらっしゃる」


『ほお、なんぞ考えでもあるというか』


「齊天后様、あなた様には言い訳が多すぎる」


『……土くれが何を言うか』


 カリラの口元に刻まれた笑みが消えた。


「裏切らぬ臣であるからこそ辣言を申し上げましょう。真に力あり、勝利者というのならば、その力を振るう言い訳など必要では無い。主殿、その力を振るわれよ。御自身が帝位につけばよい。それこそ、海を隔てた魔国の魔王のように」


「馬鹿な。そのようなことをすれば、大義なき内戦となるぞ」


 ジーンが怒鳴りつけた。内線の一歩手前ではあるが、今は正当な皇帝陛下がいる。だからこそ、帝国は帝国の姿を保っている。


「それは貴様の都合でしかないわっ。主殿、簒奪をなされれば良い。陰から操るなど、弱きの考えよ。そうすれば、あなた様が真に欲するものを全て手に入れられる」


『真に、欲するもの?』


「主殿の温もりもまた、薄氷の上にあるとご存じでしょう」


 そうであった。

 シャルロッテは妖精に付け狙われ、物語の舞台が崩壊した今ではその命すら危うい。

 人は、自分に都合の良いものしか見ない。孤独に生きた者ほど、その判断力は子供と変わらないものだ。

 聞こえの良い言葉に、疑問を持っていることを自ら否定して飛びついてしまう。


「主殿、王となり、全てを手に入れなさるとよい」


「それ以上は許さぬ」


 ジーンは剣を抜いていた。

 光り輝く神具の剣である。その剣に隠された神秘とは『この世にあらざる者を土に還す』であった。


「甘いわっ」


 神具の剣を、鋼の剣で受ける。


「小童っ、私を斬りたいのならば、政ではなく剣を磨けいっ」


 カリラは鍔迫り合いを強引に弾き、恐るべき速さで剣を繰り出す。甲殻戦鬼の視力でも追うのがやっとである。だが、後の先は取れぬが、受けることは容易い。

 重たい音が響き、ジーンは金縛りにあったように動けなくなった。


「は、馬鹿な」


「神具であっても、腕前が伴わねば金属かねの棒切れにすぎん。野心を押し通したいのならば、腕を磨くか理不尽なまでの力を手に入れるがよい」


 クア・キンの神具の剣は、真っ二つに斬られていた。

 ジーンの用意した剣は、多少曰く付きなだけの業物である。神具に敵うはずが無い代物であるというのに、この女は斬鉄を為したのだ。


『カリラよ、剣を納めよ』


 齊天后マフの眼窩に宿る炎に、危険な色がある。狂気ではない、覇気である。


「主殿、ご決断なされたか」


『そうじゃ。妾はいつも後ろにおった。だから、手に入らぬのじゃ。アメントリルの後ろに、今は皇帝の後ろに、そのような迂遠なことをする必要は、なかったのう。ジーンよ、今更の裏切りは許さぬ。妾は皇帝を象徴として生かすと認めよう。そして政の権利も与えよう。だが、頂点は妾じゃ』


 狂ったか、齊天后。

 魔物でしかないお前が君臨して何をするというのか。人も亜人も、魔を利用することはあっても、頂きに添えるなどということはない。


『アメントリルがやったように、妾も謳おう。自由と、平等と、博愛をっ。帝国を神の国としようではないか』


「齊天后殿、どういうおつもりか」


『ジーンよ。帝国の経済は近く破綻するのであろう? 戦でもなければ、増えすぎた貴族の食い扶持も外国とつくにとの交易もできんようになると、言うておったよな』


「は、それに間違いはありませぬ」


『なれば、今がその時よ。無能者は排除し、優れたる者を中枢に添えるに内戦は丁度良い』


 ジーンは片膝をつき、齊天后に頭を垂れた。


「感服仕りました。その覇業、まさしく帝国の未来にございます」


 今は、殺されてはやれん。泥を呑んででも、帝国の危機に立ち向かわねばならない。そうでもせねば、ここまでやった意味がなくなる。

 心にも無い言葉を吐いて命を繋げる。


『ひひひ、ジーンよ、お前は墓から妾を出したという功績がある。故に、不敬は許してやる』


「齊天后様、我らの世が来るというのですか」


 ユリアンが言う。


『直言を許そう、蚊人間や。力ある者であれば、この齊天后が時代の光を当ててみせよう。我が故郷の英雄がそうしたように、優れた者を集めて一大の強き国を造ろう』


 アメントリルも、最初はそれをやろうとした。

 確かギだかゴだかいう国のやり方だとか言っていた記憶がある。どうせ、なんぞのゲームの話だろう。

 失敗することを恐れていた。

 色々なものを失いすぎて、隠れて何かを為そうとする弱い考えに支配されていた。

 欲しいものを手に入れるには、戦わねばならない。

 ずっと忘れていた、当たり前のことである。


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