第5話 王都 ナナイの店2

 「マルダレス山かあ」

 うーんと唸って、ファンは少しだけ目を伏せた。


 「おい、お前なんか引っかかっていることがあるだろ。洗いざらい話せ」

 それを見逃さずクロムが詰め寄る。

 年に数回しか会わない関係だったナナイにも、視線を下に反らすその動作が、ファンの隠し事をするときの癖なのだということは知っている。

 長い付き合いのクロムが知らないわけはない。

 指摘されてさらに斜め下に視線を泳がせ、「はい!そうです!」と宣言しているような状態になっていればなおさらだ。


 (まあ、ほんと、仲いいよね)

 それを微笑ましく思いながら、ナナイは一年前、急に彼らが店を訪れた時のことを思い出していた。

 

 ええっと、開店祝い。おめでとう、ナナイ。


 そう言って花束を差し出されて、かなり驚いた。

 ファンは両親同士が友人で年に三回くらいは会っていたし、気分的には親戚の兄のような存在である。

 だとしても、いきなりお互いを訪ねるようなことはなく、親同士が合う時に一緒について行って顔を合わせるような付き合いだ。

 もちろん、どうしたんだと聞けば、今と同じように視線を下に反らした。

 

 ちょっとばかり面倒なことになった。アスランにはしばらく帰れん。


 結局説明してくれたのはクロムで、その「ちょっとばかり面倒なこと」が何なのかはいまだに話してもらっていない。

 何となく察しは付くが、彼らが話さないのはおそらく自分を巻き込まないためだろうと思っているので、今のところ問い詰める気はない。


 ファンは無事兵役を終えた後は学者としての研究に打ち込んでいたはずだった。

 彼の分野は博物学と言って、全ての物事を収集し、分類し、残すこと、らしい。


 それがいったい何の役に立つのか、と聞かれれば、「何の役にも」ときっぱりとした答えが返ってくる。

 ただ、調べ物をするには辞書が一番有効なように、物事に付箋を付けて残しておけば、いつかもっと深く研究をする学者の手助けになる。それが、ファンの主張である。


 クロムはファンと入れ違いに兵役に就いたと聞いていた。彼とは、両親ともに親戚関係だ。


 ナナイの父とクロムの母が従姉弟同士、ナナイの母とクロムの父が同じ曽祖父を持っている。

 けれど、クロムの存在を知ったのは、ファンを通してだ。

 いつものようにファンの家に母に連れられて遊びに行ったとき、友達になったんだと紹介されたのがクロムだった。


 その日はクロムの家の近く公園まで出掛けて遊んだので、最初にクロムを家に送ることになって自宅を訪ねた。

 その時、母を覚えていた伯父(正確には違うけれど、ナナイはそう呼んでいる)に驚かれ、家族の名前を言ったら親戚だということが判明したのだ。

 次の日、母と一緒に訪ねて、間違いないことも確認した。

 普段は冷静な母がぼろぼろと泣いていたのをよく覚えている。


 30年前…母と伯父の故国が滅ぼされた時に二人は生き別れたのだ。


 母は親族で生き残ったのは、従姉ただ一人だと思っていた。

 クトラは基本的に一族で同じ家に住み、いとこはとこなら兄弟も同然だ。

 そんな人が生きていたのだから、泣くのも当然だろう。

 あの頃は母が泣いたことに、ものすごく驚いてしまったけれど。


 そうして家族をアステリア人に奪われた二人が、アステリア人と家族を作るのは、少々特異なのではないか、と思い、聞いてみたこともある。


 だって悪いのは、聖女王とその周辺だけですし。


 返ってきたのは、そんな答え。

 それに…と続いたのは、褒めてるのだか貶しているのかわからない説明だ。


 あのひと、アステリア人っぽくないですからね。アスラン人って言われても違和感ないです。


 父は、少年時代をアスランとの国境付近で過ごしていた。

 住んでいた屋敷は広いけれど雨漏りと隙間風で全体の八割は使えない部屋で、夏の初めには床の窪みでオタマジャクシが育ってたんだぞ、と父は笑い話にする。

 周りは荒地が多く、毎日の食事も貧相なもの。

 それでも食べられるだけ恵まれているんだと祖父母に言われながら暮らしていた父の何よりの楽しみは、月に一度やってくる遊牧民の友人だった。


 彼が来るとお土産に、羊の肉や乳で作った甘味を持ってきてくれる。そして馬術や弓術、槍術を教わって、いる間はへばりついていたそうだ。


 その遊牧民がファンの父で、そうして身に着けた武芸が、後に父を援けることになる。

 ファンとクロムを見ていると、父たちはこういう関係だったのかな、となんだか可笑しい。

 クロムはファンに武芸を習ったりはしないけれど、子供のころを思い出すと、いつでもその横や前をちょろちょろしていた。


 「で、なんだ?ギルドで何かあったのか」

 

 問いかけているというか、あったんだな?と念を押しているようなクロムの声に、ナナイは回想から引き戻された。


 「あー…当番の依頼があってさ」

 「本当は引き受けたのか」

 とたんに険しさを増すクロムの顔に、ファンは違う違うと手を振った。


 「いや、引き受けようとしたら、掻っ攫われたというか、依頼人に拒否されたというか…アスター大神殿からの依頼で、聖女拝命の儀を行うからマスダレス山にある神殿まで、聖女候補の女の子を護衛してほしいって依頼でさ」

 「重ねて聞くが、引き受けていないんだな?そんなクソ」

 「クソはないだろ…確かに依頼内容の割に報酬は少なかったけれど」

 「あほう!神殿がらみの仕事でうまいことなんてなにもない!どうせお前がアスラン人だからなんだとか言われたんだろ!ケツに口から出したクソをねじ込んでやったんだろうな!」

 「どんな状況だよ…嫌だよおっさんのクソもケツも見たくも触りたくもないよ」

 「まったく…さっきもクソ雑魚な騎士モドキと腐れデブ神官を視界に入れて不快に…って、奴らか」


 よくもまああったこともない人ここまで罵れるとナナイは感心していたが、クロムの記憶に引っかかるものがあったらしい。


 「ああ、ギルドの入り口にいたものな。すれ違ったのか?」

 苦い種を噛み砕いたような顔をして、クロムはこくりと頷いた。

 顔の刺青以外はアステリア人のクロムだが、服や髪型からアスラン人と判断されて何か言われたのだろうか。


 見た目は母親譲りの異国人だが、ナナイは生まれも育ちもアステリアだ。

 アステリアが自分の国だという意識がある。

 その自分の国で、アスラン人だからというだけで悪く言われたのなら、申し訳ないと思ってしまう。


 「さっきの猫な、あのガキ、最初は騎士モドキに助けてくれと頼んだんだ」


 「ねこ?」

 けれど、飛び出してきたのは思いもよらない単語。

 ねこって…猫のこと?


 「クロムが、ギルドの壁に登って降りられなくなった猫を助けたんだよ。なんだかんだでそう言うのほっとけないやつだからな」

 嬉しそうに友人の善行を語るファンに、クロムは一瞬噛みつきそうな視線を向けた。向けられた側はにっこり笑って受け流し、その笑顔に三秒ほど何かを言いかけたクロムだったが、口から出たのは話の続きだった。


 「…でだ、雑魚が今は忙しいのでとかなんとかいって逃げてな。腐れデブは完全に無視してやがるし、クッころ即堕ちしそうな女は庇の高さを目で測って、明らかに聞こえないふりしててな」

 「クッころって?」

 「ナナイは知らなくていい。アスランで流行っている読み物の表現だ」

 「ええっと、敵に捕まったら『クッ、殺せ!』って言いそうな、誇り高い女騎士っぽいっていう表現だよ!」

 ファンの説明に、一応ナナイは頷いた。その後の即堕ちも気になるが、つまり敵に迎合せず、すぐに殺されてしまうってことだろうか。なんだか誉めているみたいだけれど。

 しかし、クロムはどんな時もまず生き残るのが信条だし、すぐに生を諦める姿勢は、彼の基準ではとんでもない愚か者ということなのかもしれない。


 「だから当てつけに俺が猫を助けてやったんだ。庇の上に登った時点でスゴスゴ逃げてったけどな」

 「庇って冒険者ギルドの玄関の?君、あんな高いところに登ったのか!」

 「そんな高くもないだろう?飛び跳ねれば十分取り付けるし、突起も多くて指をかける場所もある」

 「僕は飛び跳ねても指先すらかすらないけどね」

 事もなげに答えるクロムに、ナナイは思わず自分の手を見た。どう考えても、届かないし、届いてもこの手だけで自重を支え切れる気がしない。ファンはできるの?と視線を向けると、苦笑しながら首を振られた。


 「俺は素直に梯子を借りてくるなあ。俺の体重じゃ、装飾が折れるかもしれないし」

 「それだ」

 いきなり言葉をとらえられて、ファンは思わず後ろにのけぞる。


 「な、なんだ?」

 「誰もが俺のように動けるとは思わん。だが、お前ならそこで聞かなかったことにはしないだろ」

 「それはまあ…猫もあの子も可哀相だしな」

 「身一つでできんのなら、梯子を借りるなりすればいい。アイツらはそれすらやらずに立ち去った。

 ふん、聖職者と騎士がその様で、そんな面下げて愛を解くというのだろうな」

 「騎士は愛を解かないんじゃないか?」

 「ああいうクソ雑魚は解くんだよ。雑魚だから。キレイゴトとタワゴトだけほざいて生きているんだ」

 どういう偏見だ、とファンが天井を仰ぐ。


 アステリアだけではなく、アステリア周辺の国では騎士とは職業ではなく身分だ。

 最下層ではあるが貴族であり、貴族の子弟が家を継ぐのにもまずは騎士叙勲を受ける必要がある。


 逆に言えば、平民の子が剣一本で騎士となるのは非常に難しい。

 子供のいない騎士の家に養子に入るか、無視できないような武勲を打ち立てるしかない。

 20年前の内乱で、バルト王子には平民の戦士たちも付き従って戦った。

 彼ら彼女らはその功績をもって騎士として取り立てられたが、それでもわずか二十人余り。

 表立っては試験を突破すれば騎士になれるということにはなっているが、その試験の中に貴族たちによる面接試験がある以上、ほぼ不可能だ。


 それに対して、アスラン王国は騎士とは身分ではなく職業である。

 騎士となるためにはいくつか方法があり、基本的には士官学校を卒業すれば騎士として叙勲を受けられる。


 入学には推薦が必要だが、この推薦枠は各地に常駐する軍とそれぞれの地方の役所がもっており、入学試験を突破する人材を多く推挙したものには報奨金もでる。

 その後見事卒業し、騎士叙勲を受けることができれば、推薦者の業績として記され、出世には推挙の実績も大きく加味される。


 その為、受験希望者はどこの街でも盛大に募られ、受験にかかわる費用を推薦者が負担してでも送り込む。

 貴族の子弟ということで推薦を受けることは可能だが、実力が伴わなければその後の試験に合格ができない。

 当然推薦者は嫌がる。貴重な枠をお付き合いで潰したくはないのだ。


 もちろん、日々の糧を稼ぐ必要がある平民より、訓練に充てる時間が長く取れる貴族の方が有利ではある。それでも、アスラン騎士の大半は平民出身だ。


 強いこと。

 それがアスラン王国で騎士の唯一無二の条件であり、クロムの言い方を借りれば、「雑魚に騎士の資格はない」のだ。


 「俺としては、女神拝命の儀には興味があるけどな。どんな儀式なのかとかさ。なんとなく予想は付くんだけど」

 「僕も生まれたころにはやってないし、どんな儀式なのかは知らないなあ。予想はつくの?」


 「依頼書に書いてあった内容から察するに泉の水を触媒にして、女神アスターと交信、聖女になる少女に刻印を付与するんじゃないかなあ。その術式には大いに興味はあるね。キリクやクトラの千日行に通じる術式なのか、西のトスカナ王国の聖歌礼賛みたいな集団術式なのか…そもそも、どういうきっかけでいつごろから始まった儀式なのか、最初の様式と現在の様式に違いはあるのか。成功率はどのくらいなのか。うん。実に興味深い!」


 ナナイに応えているのか内心を言葉にしているだけなのか、とりあえず返答を必要としていないことはわかる。


 「おい、ナナイ。コイツにエサを与えるな。長くなる」

 「ごめん。あー、こういうのも範疇なのか」

 「前にカマキリの交尾を朝から日が傾くまで観察していたからな。虫の交尾に比べりゃ、まだ守備範囲として理解できるぞ」


 「ああ、あれはムネアカオオカマキリの気象予知に関する論文を読んでさ。実際どうなんだろうと検証していただけだよ。ムネアカオオカマキリは卵で越冬するんだが、雪の多い冬は白っぽい卵を、少ない季節は黒っぽい卵を産むんだ。その際、交尾を終えた雄カマキリを下腹部だけ食べる場合は白っぽく、全身を食べると黒い卵を産むとあってさ」


 「俺は一生カマキリの交尾にも卵の色にも興味を持たんから言わんでいい」

 うんざりとファンの顔の前に手のひらを突き出すクロムに負けず、ムネアカオオカマキリの雄だけ赤い部分が多い理由は、卵の色を染める色素を多く持っているからだとファンは続けた。


 「つまりだな、ムネアカオオカマキリの赤い部分が多い雄が交尾に成功する冬は、特に雪が少ないと予想できるわけだ!」


 「それで、検証できたの?」

 これはもう、最後まで語らせる方が早い。ナナイはそう判断し、見たこともない虫の生態をもう少し聞く覚悟を決めた。


 「それがなあ。一匹の雌に赤い部分の範囲が異なる雄5匹を並べてみせたんだけど、交尾する前に全部食べちゃってさ。どうやらもう、交尾を終えた雌だったみたいで。産んだ卵は黒っぽかったし、その年は雪が少なかったから検証できたと言えばできたんだけど。ただたんにエサが豊富だと黒っぽい卵を産むという仮説も否定できないしなあ。二匹目のメスを探しに行こうとしたら遊んでないで仕事しろって怒られちゃって。論文の検証も仕事の一つなのに」


 確かに雪が多い少ないを予測できればいろいろと助かるとは思うけれど、神殿での神託もあるわけだし、それをカマキリにやられたら託宣を受ける神官の立場がない気がする。


 「うーんと…学者って大変なんだね…」

 「カマキリのことは忘れろ。そんな虫の生態はどうでもいい。聖女なんたらのアレソレもだ。それより、満月花だったか。それが取れないことは予測がついているのか」

 いい加減イラッとしたらしいクロムが、乱暴に手を振ってカマキリの流れを断ち切った。

 ナナイは内心クロムに感謝を告げる。間違いなく、カマキリつながりの話が続く可能性が高かったからだ。ナナイは苦手ではないが、普通に虫は嫌いである。


 「そりゃあな。大きく分けて三つ仮説が立てられる」


 三つもあるのか。また話が長くなるな、とナナイは判断し、二人に着席を進めて自分も腰を下ろした。

 「茶は俺が淹れてくる。声は聞こえるからそのまま話してろ」

 「あ、悪いね、やらせちゃって」

 腰を浮かせかけたナナイをクロムは気にするなと笑って制した。先ほどまでほぼ初対面の人間をクソだ雑魚だと罵っていたとは思えないほど優しい笑みだ。


 「茶葉は何を?」

 「あっと、アップルティー使っちゃってくれる?あと少しなんだ」

 「心得た」


 迷う様子もなく茶器と茶葉を取り出し、薬缶を卓上焜炉に置いて火種から火を移す。

 近年アステリアでも流通し始めた高温の火をともす固形燃料は、クトラ王国とその隣、キリク王国の僧院で生み出されたものだ。

 クトラとキリクは高山地帯にあり、燃やせる木材やなにかも少ない中で、せめて湯だけはいつでも沸かせるようにと発明されたものらしい。


 臭いもなく高温を発生させる固形燃料は、魔法薬剤師にとってもありがたい。製法もわかっていれば、薬剤の材料で作ることもできる。

 今、お湯を沸かしているのは、ナナイが作った固形燃料だ。

 アステリアとキリクに直接の交易はないから、キリクの僧院で作られた固形燃料はアスラン経由でしか入ってこない。当然値段も高い。

 やはり何か秘密の製法があるようで、燃えている時間も発する熱も、お手製のものとは段違いだ。

 なので、薬の調合には既製品を使い、お湯を沸かす程度ならお手製品を使っている。少々不格好だし、色も不気味だけれど、十分役に立つ。


 「お茶はクロムに任せて、説明するな。クロムも聞き取れないところや疑問点があったら聞いてくれ」

 「お前の説明がダラダラ長かったらツッコミも入れるからな」


 「う…努力する。つい思いついたことを追加しちゃうのは確かに悪い癖だしな。

 えっと、まず、満月花の入荷がなくなったことと、満月花自体が採れないことは全く別物として考えるべきだ」


 「おい、いきなり三つじゃなくなりそうなんだが?」

 さっそく入ったツッコミにファンは一瞬言葉に詰まったが、強引に突破することにしたようで、言葉を続けた。


 「入荷については、満月花自体の採集はあるけれど、どこかの店や問屋が買い占めていてナナイの店に入ってこない可能性が一つ。もう一つは採集した奴がため込んでいる可能性が一つ」


 「あ、それはないと思うよ。ほかの店でも麻痺治しの在庫が減って、満月花の買取り値段が上がっているし」


 「うん。それでため込んだ満月花を売れば、いつもよりずっと大きな儲けになるな」

 「あ…」

 満月花は乾燥させて使うから、即座に薬にしなければいけないものではない。ため込むことは可能だ。

 一月前に比べて、買い取り額は高いところでは三倍以上になっている。恨みを買うという一点を除けば、うまいやり方と言えなくもない。


 「で、最後の一つは、採集そのものができていない可能性だ。状況を鑑みるに、こちらの方が正解に近いかなと思う」


 「どうして?」


 「採集はそれほど難しいものじゃない。一人がため込んでいても、値段が多少上がった状態で誰かが売ってしまえばそこまでだし、薬草採集を主に行う冒険者は今日の金に困っているからな。明日の金貨より今日の銀貨を優先するだろ」


 「それもそうか…あ、ねえ、仮説三つ終わっちゃったけど?採れない場合の仮説はいいの?」

 「三つ目の仮説に組み込むから」

 若干見られる焦りと斜め下に向いた視線は置いておいて、ナナイは続きを促した。


 「採集ができていない。これには原因は二つしかない。目的の満月花自体がないか、採集が失敗しているかだ」


 「なければ失敗だろ」

 しゅんしゅんと音を立てだした薬缶から目を離さず、クロムのツッコミが飛ぶ。


 「それなら、『満月花が見つからない』って失敗の理由が依頼人やギルドに提出されるだろう。どうだろナナイ?そんな話は出回っているか?」

 「全然入ってこなくなる前に、いつもの場所が採り尽くされたって話は聞いたかな。ただ、もう少し山の奥にはたくさん生えているって言われてて、心配はしていなかったね。

 あ、それなら、当てにしていた場所でも見つからなかったってことかな?」

 「それなら追加で噂が流れそうなものだな」 


 林檎の甘い匂いと紅茶の香りが混じって漂い出す。お湯が沸いて茶葉に注がれたのだろう。


 「そうだね…ああ、でも、品切れが始まった時には、山の奥の方だから持ってくるのに時間がかかっているんだねって問屋さんと話をした覚えがあるよ」

 「ただ、いくらなんでも入荷が遅い?」

 「うん。マルダレス山はイシリスから精々二日だし、その話を聞いてから十日は経っていると思う」 


 「なら、採集が失敗している方だな。いや、未帰還者の情報を合わせれば、採集自体はできても帰還できていない可能性が高い」


 「なんかいるわけか」

 ことり、とかすかな音を立てて置かれたティーカップから、話にそぐわない芳香が漂う。

 空いた椅子に腰を下ろし、真っ先に紅茶に口を付けたクロムは、先ほどナナイに向けた笑みとは正反対の…話題に相応しい獰猛な笑みを口許に浮かべた。


 「だろうな。薬草採集をする冒険者じゃ太刀打ちできないような相手がいると考えた方がいいだろう。問題は、それが何か、なんだけど」

 「そっちについては仮説はあるのか」

 少し考えてから、ファンは頷いた。


 「山賊じゃないことは確実だな」

 「なんで?」

 「山賊なら貧乏な冒険者より近隣の村を襲うだろう。あの辺で山賊討伐の依頼は出ていなかった」

 それもそうか。それならば、何があの山に巣食っているのだろう。


 「魔獣やなんかの類なら、目撃情報もありそうなもんなんだけどな。どっちにせよ、放置しておくのはまずい。山の食糧が乏しくなる晩秋や初冬にいきなり周辺の村が襲われる可能性もある。満月花を採集するとともに、調査しよう」

 「またお前は一銭の得にもならんようなことを…」

 はあ、と溜息を吐きつつも、微妙に嬉しそうな様子に、ナナイも釣られて笑った。

 なんだかんだと文句を言うが、ファンを親戚の兄のように思っているのはナナイだけではない。いや、より近くにいる分、もっと親しい。

 その兄が、躊躇いなく善人なのがこのひねくれた弟にとっては嬉しいことなのだろう。


 「満月花の開花まであと五日。探索する時間も考えて、明日には出立だな。明日の朝、ギルドに依頼書に受諾サインを書いて提出して、そのまま行こう」

 「強行軍だな。まあいい。アスランの進軍は神速が第一だ。チンタラして機会を逃すよりいいだろう」

 「明日一日準備に当ててもいいんだけど、宿代が厳しいしな~」

 現実に引き戻す一言に、クロムの目がはっと見開かれる。


 「ナナイ!」


 「え、なに?」

 「前金くれ」

 「そりゃ払うけどね。あー…そんなにお金ないの?」

 無言でファンは厚みを全く失った財布を取り出した。そのくたりと項垂れた様が、何よりも雄弁に経済状況を物語る。


 「ファン、もっと実家とか、うちの両親を頼ってもいいんじゃない?流石に餓死とか凍死されたらやりきれないよ」

 「そこまで追い込まれたら頼るさ。今のところギリギリなんとかなっているから」

 明日の宿代が厳しいというのは、ギリギリなんともなっていないんじゃないかとナナイは思ったが、追及しないことにした。それよりも、前金を多めに払う方がよほど効果的だ。


 危険な場所へ友人を行かせるのは、当然心配ではある。だが同時に、彼らならなんとかできるだろうと信頼してもいる。

 それなら、たっぷりご飯を食べて、装備を整えてもらって、成功率を上げるべきだ。

 「お茶を飲み終わったら、お金を取ってくるね。ちょっと待ってて」


 大丈夫。彼らは「強いこと」が条件のアスラン騎士でもあるのだから。

 

 暖かい紅茶と共に、ナナイはその言葉を飲み込んだ。自分に言い聞かせるために。

 ふわりと立ち上る湯気のような曖昧な不安を、誤魔化すために。

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