第6話 王都 冒険者の宿

 「前金で中銀貨五枚かあ。これは完全に援助だな」


 うちは四人パーティだから、一枚はパーティ資金にという気遣いだろう。うん。

 宿代込みで一日過ごすのに、だいたい小銀貨十枚。中銀貨は小銀貨百枚の価値があるから、何もしなくてもあと十日は過ごせる。もちろん、仕事をするけど。


 「さすがナナイだ。金の使いどころを知っている」

 「なんでお前がドヤるんだよ…むしろ親戚の年下の女の子に援助を受けるってかなり情けないぞ」

 「そんなことはない。俺たちが満月花を手に入れなければ困るのはナナイだ。つまりは先行投資というやつだ。うん。やはりナナイは賢いな」


 ナナイの店から宿に向けての帰り道。

 日は中天を少し過ぎ、歩けば汗ばむ程度には暖かい。とはいえ風はもう少し日が落ちれば、心地よい涼風ではなく首を竦ませる冷風になるだろう。

 この季節はこの寒暖差で風邪を引くからなあ。寝る前に生姜湯を淹れて体を温めたほうがいいな。


 クロムはとても上機嫌だ。昼食の材料の話をしていた時とは大違いである。


 「で、昼飯はどうするんだ?」


 思いがけずギルドで時間を食ってしまったし、さっさと帰って飯を作らねば。大人しく留守番をしてくれているはずの仲間が、大人しくなくなってしまう。


 「まずは市場によって、どんな肉があるか見てから考えるわ。まあ、豚肉かね」

 「ベーコンじゃないだろうな?」

 「なんでそんなにベーコンを嫌がるんだよ…よく食ってたじゃないか」

 「酒のつまみとしてならな。だが、あれは主菜にはならん!」


 ベーコンとジャガイモのグラタンとかうまいと思うんだがなあ。

 ポトフに入れてもいいし、薄く切って揚げ焼きして、カリカリにしたのをポタージュに乗せてもいいし、スクランブルエッグと一緒にパンにはさんでもいい。

 だが、嫌がるものを無理やり出してもへそ曲げるだけだし、今日は違うものを作ろう。

 グラタンはもっと寒くなってからの方が美味いしな。パイ生地を皿の上にかぶせて焼いて、ホワイトソースは牛乳多めにして…隙間風吹き込む部屋で食べていても、体がぽかぽかに温まるものを作ろう。


 アステリアでは店舗を構えている店は農家から買い付けて販売、直接生産者が売るなら市場、と住み分けられている。

 アスクでは売る人、買い付ける人、生産者が完全に分かれていて、路上市場というスタイルではあまり売っていない。


 市場のありようについては、俺はアステリアの市場を強く支持する。


 市場は基本的に朝早く始まり、昼過ぎには撤収するものだ。つまり、この時間から行っても大したものは残っていない。

 しかし、売り手側としても、できれば帰りは身軽になって帰りたい。日持ちのする野菜などはともかく、肉などは売り切って帰りたいのだ。


 つまり、大幅な値引きが期待できる。


 宿に帰る途中、良く行く市場に差し掛かると、撤収作業が始まっていた。

 穀物やカボチャや芋類などの野菜を売っている人たちは、早々と荷車に商品を積んでいるが、葉野菜、肉、魚を売る露店は、昼食の材料を買いに来た奥さん方へ必死の呼びかけを行っていた。


 鞄からいそいそと、大角羊の膀胱を加工して作った買い物袋を取り出す。

 これは防水性があり、畳めば拳一個ほどの幅になる優れモノ。洗う時は裏返して洗った後に陰干ししておけばいい。

 大角羊はこの国にはいないし、アスランでもなかなか高級品だ。もちろん実家から持ってきた品物である。

 多分、俺が持っている装備品の中で一番高価だと思う。


 「お、良いところに!」


 すっかり馴染みになった肉屋の若旦那が俺を見つけて手招きをした。売り物は八割がた捌けているようだけど、ここまで来たらなんとしても売り切りたいんだろう。


 「どうだい?いつもの細切れもあるけど、これもあるんだ」

 掲げられたのはかなり肉の付いた豚のあばら骨スペアリブ

 クロムがじっと見ているのを背中に感じる。買えという強い意志が矢のように刺さっている。


 「いくら?」

 「小銀貨4枚でどう?」


 小銀貨は十枚あれば宿代を含んで一日生活できるわけで、四枚あればまともな食堂で主菜とパンとスープと酒が頼める。だが、あれだけの量の肉を頼めば四枚では済まないわけで…


 「これ買ってくれるなら、細切れは全部で小銀貨1枚でいいよ」

 桶に入った小間切れは、うちの飢えた野郎どもを満足させられる量だった。

 これ全部で1枚は安い…安いな…。


 「ね、キリ良く全部で5枚」

 「切り分け代も含めて?」

 「ファンさんは、できるんじゃないの?」

 「できるけど、持って帰るのが大変ですからね」

 「はは、そりゃそうだ。待っててな、今捌くから」


 若旦那のご機嫌な様子から、どうやらまだ値切れたらしいと判断はついたが、まあ、うん。それはそれで…


 「捌いてもらっている間に野菜買ってこよう」 

 「…草買うのか?」

 肉が捌かれていく様子を狼のように見ていたクロムが、露骨に嫌そうな声を出した。っていうか、草って言うな。

 「とりあえずは玉ねぎとジャガイモは必須だな。あとは生姜と蕪と…」

 「肉だけでいいだろうが肉だけで」

 「俺が食いたいんだよ」


 野菜を売っている露店は多く、若旦那に一声かけてとりあえず蕪を並べている店に足を向けた。ムスッとしたままクロムが付いてくる。

 お、玉子も売っているな。うーん、二つ…いや、足りないと悲惨だ。三つ買って行こう。

 買い物袋をもう一つ取り出し、クロムに持たせる。玉子は手ぬぐいに包んで鞄の中だな。


 かなり大きな蕪を葉っぱ付きで五個。銅貨三十枚。玉子は一個銅貨二十枚。

店じまいしかけているジャガイモ売りのおじさんを引き止め、一袋単位で売られている小イモを購入。奥さんらしいおばさんがにっこにこと笑いながら詰めてくれた。子供の頭位の袋にぎっしり入って、袋込みで銅貨十枚。うん。玉子高いな。

 玉ねぎも五個で銅貨十枚。生姜は握りこぶし程度の大きさで銅貨三枚。生姜安い!安かったのでもう二つお買い上げして、傷まないうちに蜂蜜につけておこうと決意する。その前に働いて蜂蜜を買う金を稼がないとな。


 「おーう、ファンさん、終わったぜ~」

 「ありがとう。はい、御代」

 「毎度アリ~。しっかし、アンタくらいだよなあ。毎日自炊している冒険者って」


 肉を買い物袋に詰めていると、片付けを始めた若旦那が笑いながら話しかけてきた。

 まあ、確かに、宿には簡単な炊事場はついているけど、使っているのは俺くらいだな。


 「いや、他にもいるでしょうよ」

 「飯作れるスキルがあるなら冒険者になるよりコックになった方が安心だわな」

 あ、なるほど。

 「アスランじゃ皆飯を作れるの?」

 「うちは母が、家事全般こなせるようにって教育方針だったもので。父はやっと破かずに洗濯できるようになったくらいで、あとは高いところの埃落とし係ですけどね。兄は俺と同じくらい家事します」


 おっかねえ母ちゃんだねえと笑う若旦那に手を振って、仏頂面を通り越して無になっているクロムを促して帰路に就く。


 どうやら買い物中の主婦たちの視線が辛かったようだ。まあ、ジャガイモ買った露店のおばさん、俺じゃなくてわざわざ店から出てきてクロムに手渡してたしなあ。顔がいいのも大変なもんだ。

 ちらほらと追いかけてくる熱視線を振り払い、ずんずんと肉の入った袋を抱えて歩いていくのを敗走と呼ぶのはさすがに可哀相だろう。戦略的撤退にしとこう。


 「…さっさと飯食ってさっさと仕事を済ませるぞ」

 「そうだな。ナナイも困っていたし」

 「あのババア…どさくさに紛れて胸触りやがった…金とるぞクソ…」


 金払えばいいなら触りたい人多そうだけど。しかし大胆。ウィルさんの貞操観念は神官だからなのか。それとも万国共通であの年頃の女性は強いという事なのか。


 「気持ち悪いから金稼いで女買って上書きしたい」

 「…それはどうかと思うなあ…」 

 「まあ、その前に食いものだがな。いい加減腹減ってきた」

 「あいつが保存食食い尽くしてないといいけど」


 思ったより遅くなったからなあ。おやつを置いてこなかった。被害が出てないといいんだけど。


 腹が減ると野生に戻り出す仲間と、恐らくそれを必死で止めているであろうもう一人に思いをはせる。早く帰って飯にしよう。調理時間は短くできるものと考えて買い物したし。


 買い物を済ませた市場から宿まではそれほど離れていない。影の向きが変わるまでに帰れる距離だ。

 大通りにでて、すぐに路地に曲がる。軒を連ねるのは、武具の店や酒場、宿。クロムの行きたがっている夜の店も並んでいる。今はもちろん、扉は閉じているけど。


 この辺りは冒険者ギルドと傭兵ギルドに関わるもの…つまり、冒険者と傭兵が客となる街だ。


 道を行きかう人々も、先ほどの市場にいたような主婦は姿を消し、朝のうちは見掛けられた人々の姿が消え、武具を装備したいかつい男が多くなる。


 武装しているからっていきなり剣を抜くような連中じゃないけど、明らかに酔っぱらっているのと、すさんだ眼をした輩は要注意だ。


 特に後者の連中。夢をもってやってきて、それが敗れた時、それを誰かのせいにしかできない輩。

 大抵は子供からやっと少年になった程度の年頃で、運が悪かったと諦めることができない若さ。


 そんな輩が3人、4人と徒党を組んで路地に座り込み、暗い視線でこちらを見ている。寒くなれば路地で野宿も辛くなり、数を減らしていく。

 彼らの行き先がどうなるのか。ほとんどは傭兵団に一食と寝床で買収され、前線に投入されて帰ってこない。

 どう考えても明るくない彼らの未来を思うと可哀相にも思うが、恐喝や盗みを行う犯罪者でもあるからなあ…


 「え、ちょっとなんなの?」


 どうやら、もう誰かが絡まれているようだ。

 まだ少し高い声は、声の主がかなり若いことと、それがうちのパーティメンバーの一人だということを教えてくれる。


 「まずい!」

 「ほっとけ。アイツもあれくらいの雑魚はいい加減一人でやれるだろ」


 いや、そうじゃなくて、と言いかけた時、ごち、と痛そうな音が響いた。

 急いで音のする路地に飛び込むと、予想通りというか、予想よりはまだ少しマシな光景が視界に広がった。


 人数で全部で五人。立っている二人と、頭を抱えて蹲っている三人。


 「ファン!」

 その蹲っている三人をひょいと跳び越え、駆け寄ってくるのはさっきの声の主。


 「よかった~!帰ってきてくれたんだね!あのさ、あの…フガッ!?」


 満面の笑みを浮かべていた顔が半分見えなくなる。クロムの手で。

 「や、やめてよ!クロム!なんでぼくの頭を鷲掴むのぅ!?い、痛い!本気で痛いいい!」

 「この程度の雑魚、自分で始末できんことを嬉しそうに報告するな」

 クロムは、指先さえ掛れば、そこから自分の体重を持ち上げられる男である。つまり、握力もすごい。


 「クロム!」

 ち、と露骨に舌打ちして、クロムはペイっとつかんだ頭を捨てた。結果、当然ながら蹲っているのは四人になる。


 「大丈夫…じゃないよなあ…立てるか?ヤクモ」

 「もう!何でアレがモテてぼくがモテないの!こんなの絶対おかしいよ!」


 クロムが掴んでいた場所が指の形に赤くなっている…ぷんぷんと涙目で怒りながら、うちの最年少メンバー、ヤクモは立ち上がった。

 悪い顔立ちじゃない。

 ただ、この二言目には「モテたい!」というのと、悪くはないんだが、いわゆる「可愛い」に分類されるので、女性受けが悪いんだ。


 ヤクモはアステリアの北西、シラミネ国の出身だ。


 俺も文献でしか読んだことのない国で、500年ほど前、アスランの南の海に浮かぶヒタカミ諸島から戦乱を避けて移り住んだ人々が暮らしている国だ。

 それからずっと鎖国していて、交易とも呼べない規模の商人の往来がある程度。

 文化圏や人種は完全に東方諸国のもので、言葉もほぼヒタカミ語という、実に興味をそそられる国。


 ただ、ヤクモは子供のころ、シラミネの隣国、ナハト王国に拉致されてそこで育ったので、シラミネの言葉より西方共通語の方が不自由なく話せる。

 そのため、シラミネのことはうっすらとしか覚えておらず、俺の知りたい文化風俗、歴史などは俺の方が詳しいくらいだ。


 冒険者になって初めて受けた仕事で知り合って、何となくパーティに加わってくれた。ちなみに「戦士 剣士 男」。


 「改めておかえり。ファン。仕事あった?」

 ぴんぴんと跳ね散らかっている黒髪に、赤に近い蘇芳色の瞳。顔の作りは彫りが浅く全体的に小さめにまとまっている。


 「おう。ナナイから仕事受けたぞ。前金も貰った。で、ほんとに大丈夫か?ヤクモ」

 「頭すっごい痛いけどね!これは死守したよ!」


 きらきらと目を輝かせながら差し出してきたのは、いい匂いのする布包みだった。

 パンを買う時に俺が持っていく布だ。こんもりと膨らんだそれは、食欲をそそる匂いを漂わせている。


 「おなか減っちゃって、ふたりで荷物を大捜索したらさ、小銀貨一枚と銅貨が二十枚入っている袋が出てきてね!」


 うん。俺がそっと隠しておいた非常用の小銭入れだな。


 「これ買ってこれたんだ!」

 いそいそと布をほどくと、中から細長いパンが表れる。近くの露店で売っている、腸詰入りのパンだ。確か一本銅貨三十五枚。四本あるから、お金足りないな…


 「なんか、少し焦げたのでいいならっておまけしてくれたよ~」

 よく見ると、確かに少し焦げている。だが、味に全く影響はなさそう。これはまた、買いに行かなきゃな。ちゃんとした値段で。


 「ほう」

 ひょいと手が伸びて、一本消える。


 「あー!!!駄目だよクロム!何で一番最初に取るの!」

 「誰が最初に取ろうと、一本ずつなんだろ」


 「そうだけど!」

 「そうだ!」


 ヤクモの声にかぶせるように、くわん、と大声が路地に響く。


 「俺とヤクモが買い、ならず者より守ったものをなぜお前が一番最初に…あむ」

 すまん。ややこしくなるからバッシュさせてもらうわ。


 パンを大きく開いた口に突っ込むと、むいむいと食べ始める。もう一本手に取って、ヤクモに差し出すと、あーんと口を開けてかぶりついてきた。


 「一気に食うなよ。さすがに詰まるぞ」

 腸詰にたどり着いたあたりから、パンが飲み込まれていく速度が上がった。

 結局、全部のパンが消えるのに十数える間もなかったな…。もっとゆっくり食べなさい。


 「んで、あの人たちはどうしてあんなことに?」

 「俺の食事を奪おうとした。だから叩いた!それだけだ!」

 にかっと笑って拳を上から下へ振り下ろす動作をしてみせる。


 オリーブ色の髪に褐色の肌。大きな瞳は今の空と同じような色をしている。

 アスランではこういう青を天色と呼ぶのだけど、その瞳の色に負けない、整った顔立ち。


 残る一人。「戦士 槍使い 男」のユーシン。


 クトラ王国の隣国、キリク王国の出身で、武者修行に出ると言って家出したのは良いものの、路銀が尽きて行き倒れているところを発見。回収した。

 俺とは親同士が知り合いで、ナナイのように親が集まるときには俺と兄貴で面倒を見ていたもう一人の弟分でもある。

 ごろつきを拳骨一発で黙らせた通り、戦士として俺たちの中で一番強い。

 十三歳で初陣に立ち、十五歳になるころには戦士として名を挙げていたという、いわゆる天賦の才の持ち主だ。


 基本的に素直で直情的。そして、とにかく顔がいい。


 女性冒険者のみならず、近隣の女性陣がわざわざコイツを見に来るくらいだ。どこぞの国の王子様という説も流れているらしい。


 クトラやキリクの人たちは、目に特徴がある。瞳が大きいのだ。その目をぱっちりと開けていると、特に本人たちがそうしていなくても潤んた瞳が見つめているように思える。


 ユーシンの場合は実際に潤んでいるとしたら欠伸の直後だし、凝視していることは多々あれど見つめていることはあまりないんだけどね。


 なにせ本人はカケラほども女性に興味がない。

 色気より食い気。色恋沙汰より戦いに血を滾らせる戦士なのだ。

 うん。そろそろ女性に興味持った方がいいと思うけどな?


 「ユーシン、ヤクモ。仕事をもらってきたから、飯作りながら話すよ。あと、これは頑張った二人へのお駄賃な」

 自分の分のパンを半分に割って、一つずつ二人に渡す。


 「ずるいぞ」

 自分の分を平らげたクロムが、口をとがらせて抗議してきた。


 「俺たちはナナイにお茶をごちそうになっただろ」

 だから腹は減ってないよと二人にパンを食べるように促す。

 「ありがたくもらおう!」

 ぱくぱくぱくとユーシンの口の中に消えていくパンを見て、ヤクモもパンにかぶりつく。

 「ありがとぅ~」


 ユーシンは十八歳、ヤクモは十七歳だからな。まだ子供なんだからたくさん食べないと。アスランでは男は十五歳で成人とみなされるけど、だからって大人になれるわけじゃない。まあクロムも十九歳だから大して変わらないけども。


 仲間たちに宿へ行くよう指示してから、まだ涙目で頭を抱える少年たちに向き直る。

 音は一回しかしてないと思ったんだが、きっちり三人とも指の隙間からぷっくりと膨らんだこぶが見えた。


 「次に喧嘩を売った相手がたんこぶだけで済ませてくれるとは限らないからな?ギルドに行けば冒険者以外の仕事も斡旋してくれるから、聞いてみるといいぞ?」


 返答は、うるせえと言わんばかりの睨みあげる視線だった。

 …まあ、余計なお世話だものな。


 今の俺には彼らの未来を救うような余裕はない。逆上して殴りかかってこられたら、もっと後味の悪いことになる。

 痛みでひるんでいる隙に、さっさと俺も宿に向かうことにしよう。


 俺たちが根城にしている宿、『樫の木館』は、一階が共有スペース、二階が客室になっている。ベッドは一泊小銀貨五枚。部屋で借りるなら一部屋一泊二十五枚。俺たちは部屋で借りている。


 一部屋にベッドは四つ。

 しかし、ベッドを使う以外に、小銀貨一枚でこの宿で一夜を明かす権利を買うっていう選択肢もあって、部屋で借りていないと容赦なくこの一番安い床借りの人々を突っ込まれる。


 空き部屋に入れたら勝手にベッドを使われてしまうから、そりゃ埋まっている部屋に入れるんだけど、当然床借りしている人たちはお金に困っている。

 そんな人たちと一緒に寝るのは、かなり気を遣う。こっそりと寝ずの番を交代でしなければいけないし、ベッドに入って寝ずの番は、真冬の野宿より厳しい。


 それならかなり割り増しでも、一部屋借りていた方がいい。


 『樫の木館』はその名の通り、大きな樫の木が目印だ。

 両隣も同じような冒険者の宿になっていて、あまり広くはない庭には、野宿中の冒険者たちがぐったりと過ごしている。


 門は噂によれば、フルプレートメイルを着込んだ冒険者がすっころび、破壊してしまってから取り付けられておらず、名残りの蝶番だけが風に吹かれて揺れていた。


 向かうのはまずは一階のキッチン。キッチンと言っても竃があり、粗末なテーブルと椅子があるだけで、他には何もない。

 夜になれば、床借りの連中が転がる日もある。

 土間だからかなり寝苦しいとは思うが、野宿組よりはましなんだろう。


 庭から直接入れるので、ガタが来ているドアを開けて、竃の傍、一応調理をするスペースとして用意されている場所に買ってきた品物を置く。


 竃はあるけれど、使っているのはごくわずかだ。

 というか、俺くらいだ。燃料になる薪や木炭はもちろん、鍋や皿も自分で用意しなければいけない。

 その為の金を払うなら、近くの食堂や酒場で飯を食った方が確実にまともな食事にありつける。それが大半の冒険者の考え方だ。


 実際、一人ならそうだろう。だが、うちは四人。しかも三人はまだ食べ盛り。

 なるべく安く買って自炊して、食費を節約しなければならない。

 大体、食べに行くと飲み物代がかかりすぎる。特に酒場に行って飲み物なしはさすがに失礼だし。


 「部屋から鍋とってくるから、クロムは説明初めててくれ」

 「わかった」


 誰も座っていないテーブルに陣取り、面倒くさそうにクロムが説明を始めたのを見ながら、二階への階段を上がる。

 階段はここと、正面玄関の横にある。キッチンの階段は狭くて、人ひとり上り下りするのがやっとだ。

 二階に上がると、人の気配がした。俺たち以外の冒険者だろう。


 この宿は主人一人で経営しているので、女中さんとか小間使いとかは一切いない。

 その分当然掃除やなんかは適当で…というか常連の部屋はやらない。

 共用部分も掃除しているの見たことがない…だけど安くもないというひどい宿だ。


 ただ、ひどいなりに利点がある。

 人気がないので部屋が開いていることが多く、客が少ない。

 美人女将がやっている美味しい食事と清潔なベッドが売りの宿なんかは当然人気で、常連客が住んでいる。


 そんなところにクロムを入れたら、そのうち殺人が起きそうだ。

 常連同士の連帯感は良いことだと思うんだけど、クロムはそういうの大嫌いだからなあ…。


 俺たちの部屋は、二階の正面玄関側階段から見て突き当り、台所側階段のすぐ前だ。


 鞄からカギを取り出し、ちょっと引きながら押し開けるというコツを掴むまで苦労したドアを開けた。


 それほど広くもない部屋に、ぎっしりとベッドが詰め込まれている。

 なんとか歩いてそれぞれのベッドに辿り着ける通路があり、ありがたいことに備え付けの狭いクローゼットもある。


 クローゼットの中には俺たちの荷物が整然と置かれている…んだが、今はユーシンとヤクモの鞄が引っ張り出され、それぞれのベッドの上に放り出されていた。

 お金を探した経過がよくわかる散らかりっぷりだ。

 小銭入れは共有の荷物入れに隠しておいたから、あの中からは何も出てこなかったんだろう。今度、はぐれた時用に小銭を仕込んでおいた方がいいかもしれない。


 クローゼットから石製の鍋と、食器、包丁セット、まな板、油壷と調味料をひとまとめにした箱と、小麦粉の入った袋と朝の食べ残しのパンをとる。味がないと平気でパンを残すのだ。アイツらは。


 まあ、安かったからと一昨日焼かれたパンを買ってきた俺にも責任はあるので、あまり追求しないことにする。既にぼそぼそしてたからなあ。

 だが、硬くなったパンにも大事な役割があるんだ。それを全うさせてやろうじゃないか。


 キッチンに戻ると、クロムが満月花について説明していた。

 時折質問を挟むヤクモと違って、ユーシンは腕を組んで聞いているだけだ。いや、耳には入っていても、聞いているかどうかはわからんな。アレは。


 さて、まずはパンを砕こう。まな板の上にパンを置いて、包丁でそいでいく。

 その後は綺麗な布に包んで、耳に入れているだけのユーシンに持たせ、揉むように指示をする。これで良し。


 ボウルに小麦粉を入れて、玉子を一個。さらに水と塩。ぐいぐいと捏ねて一塊になったら完成。


 続いて玉ねぎは薄切りに、じゃがいもは皮をむいて千切りにして、皿に移し、塩を振っておく。

 もう一つのボウルに小麦粉を水で溶いて、残りの玉子を投下。よく箸で混ぜて、と。


 袋に入ったままの細切れ肉に塩を振り、よく混ぜて塩味を付ける。

 そこからを半分取り出して、更に細切れにしてジャガイモと玉ねぎに混ぜる。

 調味料セットから唐辛子の粉を取り出してふりかけ、均等になるようさらに混ぜる。混ぜる。混ぜる。


 鍋に油を入れ、ナナイから安くもらえる固形燃料と、仕事帰りに拾い集めて戻る木の枝を竃に入れて点火。


 アスランじゃ油と言えば羊の油だけれど、アステリアではオリーブオイルが主に使われている。かなり安く手に入るのが嬉しい。

 アスランじゃ高級品で、こんな風になんでもない日に揚げ油として使うなんてできないからなあ。


 ユーシンからバリバリに砕かれたパン粉を受け取り、ボウルに移す。

 ひとつまみ鍋に入れて、油の温度を見つつ、細切れ肉をぐっと握って塊を作ってまな板に並べていく。


 全部並べ終わったら、小麦粉と玉子を溶いた液に漬けて取り出し、パン粉の入ったボウルの中へ。


 十分にパン粉がついたら、いざ油に投下!


 じゅわーっと気泡に包まれているのを見て温度が間違っていないことを確認しつつ、練っておいた小麦粉をちょうど手のひらに収まる程度に引きちぎる。

 まな板に置いて掌底でくるりとつぶして伸ばした上に、ジャガイモ、玉ねぎ、肉の具を置いて半円に閉じて、と。


 それを繰り返しているうちに、いい具合に揚がってきた。


 マハ・ホグショル。

 こちら風にいえば、肉の包み揚げ。

 アスランでは豚はあまり食べないけど、大都では割と屋台で売られている料理だ。

 そのまま食べてもいいし、パンにはさんでもいい。

 アスランのパンは薄い発酵させないで作るパンなんで、挟むというより包んで食べる。


 いったん油から上げて、皿の上に置いておく。

 ものすごく視線を感じるが、少し余熱で火を通した後、もう一度揚げて完成だから待ってろっての。


 その間にもう一つの料理、ホーショルを揚げていく。

 ホーとは小麦粉で作った生地で具を包む料理のことで、ショルは揚げ物。

 朝に作って袋に詰めて遊牧に出かけ、腹が減ったら取り出して食べる。そんな料理だ。

 お祝い事に作るときは皮の包み方が変わって、上にギュッとひねり上げる。

 幸せが逃げないようにっていう意味を込めて。


 今日は別になんでもない日なので、半円形だ。

 きつね色に色づいて、ぷっくりと真ん中が膨れたら出来上がってきた合図。

 豚肉はしっかり火を通さないと怖いが、細切れ肉はすぐ火が通るのがいい。


 ぷっくりと膨らんだホーショルを油から上げて、かわりに再度ホグショルを油の中へ。今度はごく短時間でさっと取り出し、完成!


 試しに一つホーショルを割ると、ちゃんと豚肉は火が通っていた。

 よし、と頷いて人数分の皿に盛りつけて、取りに来るよう声をかけるために振り向くと、その瞬間三人とも立ち上がる。


 「ちゃんとミルク持ってきたからね!安心して!」


 ヤクモが朝の残りのミルクが入った水筒を得意げに掲げる。

 どうやら説明は終わり、部屋まで飲み物を取りに行く時間があったらしい。


 「このメニューなら酒だろうが」


 そうのたまうクロムの手には酒が入っている素焼きの瓶。いつの間に…部屋にあったっけ?それ?


 「とにかく食うぞ!イダムよ、ターラよ!照覧在れ!」


 イダム、ターラとはキリク王国で信仰されているラヤ教の神様だ。

 自分の後ろにいて、常に見守っている男神イダムと女神ターラに、他の命が自分の命へと変わるのを見せるという祈り。

 ユーシンがこれをやるときは、目の前の料理が好物である証明だ。


 俺も自分の分をテーブルに置き、右手を軽く握って心臓の上に置く。

 今生きて、食べる立場であることに感謝を。

 いつか草原の中へ帰る日まで、この鼓動が止まらぬように。

 クロムも同じように右手を心臓に当てている。

 いつか、草原に。今は遠い、アスランの草の海を想う。


 「いただきまーす!んで、ファン、何がいるか、予想はついてるの?」


 ぱくりとホーショルにかぶりつきながらヤクモが問うてくる。あっつい~と嬉しそうに悲鳴を上げつつも、あっという間に一つ食べきる。いい食いっぷりで作った俺も嬉しいよ。


 「それはまださっぱりだな。行ってみないと何ともわからん」

 「満月花のある場所は分かるのか?」

 「知らないけど、見つけようはある。なんにせよ、満月花の傍に、今回の原因もいるはずだ。気を付けて行こう」

 「うん!」

 夜はかなり気温も下がるから、野営の準備もしっかりしなきゃな。念のための解毒薬とそれこそ麻痺治しも持っていきたい。前に買ったのがまだ残っているはずだから…


 「出発は明日の朝だ。今晩も肉料理にするから、食って寝て、明日はちょっと強行軍で行くぞ」

 「任せておけ!肉はちゃんとたくさんあるのか!?」

 「お前が満腹になるくらいには」

 よし!とユーシンが気合を入れた時、その向こうにあるドアが開いた。


 にょき、と出てきたのは、この宿の主人の眠そうな顔。この人が溌溂としているのを、いまだかつて一度も見たことがない。


 「おー…お前ら」


 「なんでしょう?宿代はちゃんとありますよ?」

 「明日も泊まるなら、明日の朝持って来いよ…べ、別に出てったっていいんだからな…」


 顔を赤らめないでほしい。今のやり取りのどこに頬を染める要素あるの?


 「で、さっきギルドから連絡が来て、大神殿に行くようにとよ」

 「大神殿に?」

 「断る」


 「俺に言ってもどうしようもねぇよ。確かに伝えたからな。その。お前らと話がしたかったとか、そういうんじゃ…ねぇから…」


 …うん。伝言を伝えてくれただけです…それ以上の要素はないですよね…?


 なぜかバタバタと足音を立てて、宿の主人は去っていった。

 あの人は時々こうした奇行を見せる。

 俺たちより前からこの宿を使っている人に言わせると「世界一無駄なツンデレ」だそうだ。


 「クロムが断ったが、どうするんだ?ファン」

 「行くしかないだろうなあ…ギルドからの連絡だし」


 直接神殿に呼ばれたなら、仕事が控えているからで行かない手もあるけれど。

 晩飯が胃にもたれるような話じゃなきゃいいけど。


 とりあえず今は、目の前の食事に専念することにした。

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