御影城の戦い 6

「しかしなんだあれ、すげぇ速度で走ってるぞ」



 二人が見下ろしているのは、ここから高さにして10メートル程下段に広がるエリアです。花見の季節には数百人の宴会客が集まる開けた広場、その中央に立つ大男めがけ、一つの影が疾走していきます。


 少女です、長い黒髪の、恐らく少女でした。


 メクルが暗視スコープでみる限り、報告通り衣服らしきものは着用していません。腰布代わりにでしょうか、タオルらしき物を腰に巻いているだけに見えます。



「女だな、あのおっぱいは」


「セクヒロ、うーん、でもただの変態さんじゃないかも、本当に人間かな、



 いくら身軽な格好とはいえ、その速度が人間離れしていました。

 

 まるで地面すれすれを飛翔するツバメです。

 

 月明かりを切り裂くように飛ぶ黒い鳥。

 

 飛燕ひえんの翼を広げるように長い黒髪をなびかせて、桜木の月影を縫いながら疾駆する、その速度。



「すげぇな、もしかすると俺より早えかもよ、だったら人間じゃねぇな」


「驚いた、ヒロがまだ自分のことを人間だと思ってただなんて」


「おっと言うねぇ、さすがは化け物集団のリーダー」


「冗談だよ、あ、接触するよ」


「おっ」



 燕は減速する事無く、放たれた矢の如く大男目がけて飛びかかりました。

 

 そして手にした棒状の何かを男の首めがけ振り抜きました。

 

 キァンっ、と甲高い音を城壁に反響させながら、男の背後へと着地した少女が返す刀で更に打ち込みます。背後からの一撃、振り返りもしない男にこれを避ける術は無い、誰もがそう思った時、

 

 ――、と再び鈍い音がします。

 

 必中と思われた少女の攻撃が男の脇へと逸れたのです。



「なぁ、あれよう」


「女の子が持ってるのは、あれ木刀だね、お土産にある奴」


「そっちじゃねぇよ」



 少女は攻撃の手を緩めること無く、打ち込み続けています。


 息も尽かせぬ木刀による連打、真向、逆風、袈裟、逆袈裟、右薙ぎと振り抜く速度も尋常ではありません、しかしそれ以上におかしな事が起こっていました。少女の攻撃、それがただの一度も当たらないのです。



「……男の周りを飛んでやがる」



 いつになく真剣なヒロの声、メクルは彼女の戦闘回路が動き出したのを感じます。



「なにかって?」


「こっからじゃ、ちと遠くて見えねぇな、だけど何かが攻撃を防いでるのは確かだ」



 確かに、打ち込み続ける少女の猛攻に対して男は身じろぎ一つしていません。


 飛んでくる連撃は男の身体に届くことなく何かに弾かれ続け、まるで打ち込んでいる少女の方が直前でわざと軌道を変えているようにしか見えませんでした。


 猛攻を受け続けながら男はただゆっくりと振り返り、荒れ狂う竜巻の如く木刀を振る少女をただ静かに見下ろしました。



「ああ、それは、悪手だ」



 ヒロがそう呟くのと同時でした。少女が突きの構えをとり、男はそれに合わせるように腰を右に切るようにゆっくり動かしたと思った瞬間、男の右足が。目を離さないように見ていたはずのメクルには、黒髪の少女が唐突に後方へと吹き飛ぶ姿だけが見えました。


 まるで事象を無視して、結果だけが現れたような錯覚。


 少女の身体のくの字に折れ、白砂利の上を水面に投げられた平石のように跳ね、べしゃりと地面へと落ちました。


 メクルの目にも見えない程の神速の脚撃が生身の少女の腹を撃ち、撥ね飛ばしました。


 少女の脚力も人間離れしているのなら、男の蹴りは怪物そのもの。


 どうみてもそれは致命けっちゃくの一撃。



「ヒロ」


「わかってんよ、――、



 二人の考えている事は一緒でした。


 広場の二人は確かに尋常ではありません、この世ならざる人外の域に位置する“何か”です。


 何らかの異常な存在、これが異世界であれば、何を起こすか分からない対象者はまず成り行きを観測し、情報を収集し、適材適所を宛てがい100%の勝算をもって事に当たるのが生徒会が推薦する異常者確保のセオリーです。


 しかしそれでは、間に合いません、少女の命は恐らく長くはありません。


 二人が思ったのは、ただシンプルに『』それだけでした。


 それが女の子なら、なおさらのこと。


 ヒロはショートパンツのお尻のポケットからスマホを取り出し、何度か操作し始めます。



「どう? 新作動画の調子は」



 メクルの問いに、ヒロは満面の笑みで返します。



「リアルタイム視聴者数、全世界で900人、再生数三万ちょい、へへ愛してるぜ、おめぇら、そのままちゃんと俺の事を見ててくれよ」


「久々にHEROのが見られそうだね」


「おうともよ、見せてやるぜ、最高にイカした英雄登場だ」


「さっきまであんなにお化けだなんだって怖がってたくせに、足があってよかったね」


「うるせっ」



 ヒロがスマホをメクルに投げました。

 メクルが受け取ると同時に、二人が立つ渡櫓に風が巻き起こりました。


 風、空気、熱、空間を構成する物質がヒロを中心に渦を巻き始め、その身体に紫電が瞬き、雷光を纏うヒロが不敵な笑みと共に、唱えます。




「雷猿、黒狼、紅竜、……――、“来い”」



 三つ、唱えて拳を握る。

 変化は全て同時に起こる。


 紫電しでんの瞬きと共に、ヒロの足場から砂鉄のような粒子が吹き上がりました。

 

 謎の物質ダークマター、ヒロの異能の力に呼応して現れる黒い砂。


 砂はヒロの身体を取り巻く紫電へ引き寄せられるように渦を巻き、放電にスパークを繰り返しながら、包み、飲み込み、やがて黒く巨大な楕円を形成しました。


 巨大な黒い卵です。


 卵は紫光を点滅させながら胎動し、殻にヒビが入ると、粉々に砕けて落ちました。



 再びヒロが現れた時、その『』は完了していました。



 粒子が集まり硬質化こうしつかし、太股から、膝、足先を覆う黒い装甲そうこうのグリーブ。

 ただの脚甲、足甲ではありません。言うなればそれは漆黒の強化外骨格きょうかがいこっかくです。

 

 速き者、風すらも追い越す脚力を与え、大地を自在に駆動くどうする獣の足。

 

 狼脚ろうきゃく、名を『黒狼こくろう


 同じく粒子が集結し高質化を遂げた両腕は黒狼とは毛色が違います。


 指先まで覆った赤黒い砂により肥大し、構成された両腕はドラゴンの外皮のように黒と赤の鱗が輝く手、獲物を押さえ込み、肉を掻き毟る獰猛さを形にしたような禍々しい指先。


 今にも暴れ出しそうなその凶悪な両手を白銀のガントレットで押さえつけ、赤黒い包帯で無理矢理に縛り付けています。


 

 たけき者、岩を砕き大河を穿うがつ、仇なす者を握り潰す竜の腕。

 

 くだ竜腕りゅうわん、名を『紅竜こうりゅう


 

 四肢の変身を経て、ヒロは不敵に笑いました。



「よし……って、雷猿らいえんの野郎やっぱり来なかったか、黒狼と仲わりいからなぁ、あいつ」



 その変身を終えたヒロは不満げに唇を尖らせると、禍々しいその両手を胸の前で組みました。

 両手と両脚、変化したのはそこだけです。

 

 背甲冑と兜を着忘れた不格好さで、少女の見てくれがまだ見える分、ずいぶんとチグハグとした不完全なヒーロー姿でした。



「ヒロ、待ってる時間は無いよ」



 暗視スコープで下を覗くメクルには、地ベタに這いつくばったまま動けない少女へと歩き出している大男が見えています。



「わかってるよ、まぁこいつらがいれば充分だろ」



 そう言って、ヒロはなぜか小窓のついているコンクリートの壁を拳で軽く叩きます。



「道順は大丈夫だね、あ、歴史的文化遺産なんだから、くれぐれも」



 言い終わる前に、ヒロは拳を握り込み、弓を引き絞るように構えていました。



「まっ」



 て、とメクルが言うより、ヒロの手の方が早かったようです。


 まっすぐに拳を壁へと打ち込むと鉄筋コンクリートで補強されているはずの壁にあっさりと拳大の穴が空きます、まるでクッキーに指を突っ込むかのようにゴシャリと壊れて拳が埋まっていました。



「お、なんか言ったか?」


「……いえ、なんでもないです、後で怒られてきます、続きをどうぞ」


 後で三原さんになんと怒られるのだろうと考えるだけで憂鬱になるメクルを余所に、ヒロはにっこり笑って、今度は両手拳を腰へと引きます、空手の正拳突きの構えです。


「人の命に比べりゃ歴史の遺物なんて安いもんだ、ろっ」



  

 牙瓦牙瓦牙瓦ガガガガガガ牙瓦牙瓦牙瓦牙瓦牙瓦ガガガガガガガガガッ!!

 


 ヒロの両腕がメクルの動体視力では追いつけない速度で瞬き、火花を散らします。電動の掘削機くっさくきが同時に何十機も現れたのかと思う程の大量の掘削音が櫓の中で反響します。

 

 竜の拳による高速の連打。

 

 ハイスピードカメラでも無い限りヒロの拳は恐らく見えません。

 岩も砕く拳速と、鉄をも穿つ硬質の皮膚と爪、そして身体能力の向上。

 それらはヒロが救った異世界『ラプアップ』で授けられたチート。


 能力名は『英雄像』


 自身の事を思い浮かべてくれる人間の数に比例して基本身体能力の向上、

 さらにヒロ自身が異世界にて従えた『神獣』達を身体へと宿す、身体能力フィジカル系のチートです。



「よし、それじゃいってくるぜ、バックアップよろしくぅ」


「はいはい、あ、ヒロ、今度の新曲は何系にしたの?」


「バリバリロック! でも今回は時間なかったからカバー曲だぜ、ちゃんと許可もとってる」


「へぇー、タイトルは?」


 壁にできた人が通れるサイズの楕円にそって入れられた、空いた穴からは月明かりが漏れています。

 そんな月明かりの中、ヒロはこう答えました。



「“サンダーガール”」



 ご機嫌そうに笑みを溢しながら、ヒロは壁から少し離れました。



「ヒロ、わかってると思うけど、駄目だよ」


「わかってんよ、んじゃちょっくら輝いてくるぜ」


「はいはい、いってらしゃいませ、獣神の英雄様えいゆうさま



 とメクルの言葉に気を良くしたのか、ヒロはにししと楽しげに笑い、飛びました。


 足場にしていた木製の廊下が砕け破片が飛び散った時、ヒロの姿は消えていました。


 脚撃しゅうげき、黒狼により強化された脚力、それをもってしての飛び蹴りはミシン目をいれてあった壁をぶち抜き、厚さ20センチ、重さにして600キロはあろうかコンクリートの塊を外に蹴り出すと共に、ヒロは出撃しました。



「サンダーガールか……またヒロっぽい曲だね」




 稲光のように出撃したヒロを見ながらメクルも自分の仕事をしようと空いた穴へと駆け寄ります。手にしていたグレネードランチャーのストックを肩にあて固定、そして空めがけてトリガーを三連続で引きます。


 シュポン、シュポンとイカつい見た目からは想像もできない可愛い音と共に、シリンダーが回転、撃ち出された三発の弾は空中にて破裂し、赤い閃光を放ちます。


 メクルが装填しておいた弾、赤色照明弾が夜空にパっと花開くと、辺りを鮮やかに照らしました。


 ちょっとした花火みたいなものです。


 そういえば今年の夏は奥付君と一緒に肩を並べ、夜空に向かって叫ぶつもりだった言葉を思い出し、ついでに叫んでおきました。




「たーまやっーー!!」




 溜まった鬱憤も吐き出すような、やけっぱちの乙女の雌叫びでした。

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