僕の異世界 6


 

 僕は時間の停止を解いた。

 もうなにもかもが、どうでもよかった。

 時間が動き出し、一週間前と変わらぬ位置に立っていた彼女が、まず最初に声をだした。



「止めてんじゃねぇ! よって、お、っと? うぅわひっでぇ……」



 金髪ポニーテール女が最初に言葉を発した。

 一週間ぶりの人間の声に、思わず懐かしさすら感じてしまった。



「ゴキブリ人間の刑かよ……相変わらずエグい事するな、ピーシー」



 金髪ポニーテールは僕の背後に立つ少女に向けってそう言うと、悲惨な物をみてしまったと言わんがばかりに眉を潜めて少し悲しげな表情になった。



「…………たくさん、女の子、酷いことした、罰」



 どうやら最後に僕に触れた少女の名前がピーシーという名前のようだ。

 薄紫という異世界でも滅多に見ない髪色、マフラーで口元を隠したまま、軽蔑の視線で見据える少女、やはりこれは彼女の能力のようだった


 ゴキブリ人間の刑……なんて刑だ、そのまんま過ぎるが、効果は絶大だった。



「……お願い、します……もとに、僕をもとにもどして、ください、虫は、嫌なんだ、虫だけは」



 この一週間、滅茶苦茶に動く四肢を制御しようと努力した。

 だがどう動こうとしても、身体は言うことを聞かない。

 藻掻く度に傷ばかりが増え、体中から生えた手足は赤く腫れ、膿んであちこちが黄土色に膨れあがっていた。


 僕は自分の皮膚から範囲15センチほどの時間を自動的に動かせるようにしている、そうしなければ空気、酸素までもが空間に固定されて窒息死する。独学で学んだ力の使い方だったが、今回はそれが裏目にでた。


 動けば転び、地面に触れれば地面の時間停止は解かれる、自ずと土壌に生息する常在菌は活動を再開し、僕の身体に付着した。


 それが傷の化膿を早めた。


 今の僕は爛れて腐ったゴキブリのように醜い悪臭がしていることだろう。


 三人の内の誰かの時間を解いてから聞き出す事も考えた、しかしそれには同じように最低でも対象に触れる必要がある。


 なのに彼女たちに近づくどころか、身体は身勝手に動いて、彼女達から離れていく。


 立とうすれば転び、腕を動かそうとすると口が開き、立ち上がろうとすると放尿する。パターンを掴もうとも努めたが、最悪な事に身体への信号は不規則に入れ替わった。落ち着こうと深呼吸をしようとしたら、四肢が駄々をこねる赤ん坊のようにジタバタと動いた。


 彼女達に近づこうと離れる度に身体には無数の傷ができ、また膿んでは腐っていった。


 熱が出始め、時間の感覚が曖昧になり、もう何日も飲まず食わずだった。朦朧として死を覚悟した時、もうこれしか手がないと、全ての時を動かした。



 なにもかもが限界だった。



「よかった、ちゃんと時間停止を解いてくれて……ヒロ、ピーシー、なにもされてない?」



 僕へと近づいてきた最初の少女、そう、たしか名前はメクルだったか。

 この状況を予想でもしていたのか、安堵で微笑む姿に最初感じた冷たさはもうなかった。ただ申し訳無さそうに、僕を見つめている。



「見りゃわかんだろ、立ち上がってるのが精一杯っていうか……何日時間を止めたんだよ? 大丈夫か?」


 メクルにヒロと呼ばれた金髪少女が心配そうにこちらを見ると、


「立てるだけ、すごい、めちゃくちゃ、コピペ、ウィルス、流した」


 紫髪のピーシーは少し得意げに目を細めて胸を張った。

 が、そんなピーシーへ視線を上げたメクルが咎めるように言った。


「めちゃくちゃって、ピーシー、手足の接続を抜くだけって打ち合わせしたのに……、下手したら死んでたよ?」


「電源、マザーボード、弄ってない、簡単に落ちない…………はず」


「はずっておめぇ……あぁもう可哀想だから早く戻してやれよ」


「……拒否」


「うわぁガチギレかよ……この中でおめぇが一番怒ってよなぁ、ピーシー」


「遺憾、すごく、女の子、酷い事、いっぱいした」


「ピーシーの怒る気持ちもわかるけどダメだよ、私たちの任務、忘れちゃったの?」



 メクルはそう言って、散らばっていた銃とマガジンを拾い上げ、回収した弾を再装填を始めた。僕以外の時間は動かしていない、弾も一週間前のままだろう。



「…………不服」


「いやいや、この状態で連れて帰ったら、その場にいる生徒が泡吹いて倒れるぞ」


「またピーシーの記憶処理の仕事が増えるよ、あ、待って、まだ接続しないで」



 どうやらメクルが三人のリーダー格に当たるのだろう、弾を込め終わったマガジンを再装填して動作を手早く確認してからホルスターへと戻すと、今度は僕へと近づいてきて、爛れて醜い手を優しく握った。



「手荒な事になってごめんなさい、私達はこれから田中君を元の世界、それも君が異世界へ転送された直前にまで戻します、と同時に、それまで田中君が得てきた能力や記憶についてこちらで処理させてもらいます、その代わり、今後の学園における生活は絶対に楽しいものになるように私達が助けます」



 どこからか風が吹き込んできた。暖かい風だ。



「田中君がここに来た理由も私達は調べました。向こうでは逃げたくなる事が沢山あった事も知っています。誰も味方になってくれなかったことも、理不尽な事に押しつぶされて、押し出されて、こんな所に無理矢理呼ばれて……、そんな時になんかすごい力を渡されちゃったら、思わずハメを外しちゃうのも分かります、自由になれたって……うん、私も最初はそうだったから」



 僕の何を知っている……そう言い返したいのに、彼女の手の温もりが喉に詰まって、言葉にならなかった。そうだ、僕は最初この世界に来た時にそう思ったんだ。


 あんなクソみたいな現実から解き放たれて、ようやく僕の世界を見つけたんだと、そう思えたんだ。




「でも、田中君がした事は……その、やっぱりよくないよ、うん……この世界の事をよく考えずに力を使ったことも、その……女の子に無理矢理ってのもダメだし、時間を止めて勝手に悪戯しちゃうのもダメ、男の子として責任とれないことはしちゃダメだよ」




 確かに僕がやって来たことは、酷い事だろう、当たり前だ、自覚はあった。

 だけど、誰も僕を咎めることはできなかった。

 自由なんだと、思ってしまった。

 僕は、僕自身を止められなかった。



「これからの色々な後始末は私達がするから安心して、それに向こうの世界に帰っても今度は私達がいるから……大丈夫、ちゃんと力になるから」



 春の知らせを思わせる、少し冷たい空気、差し込む暖かな日差しを背に、メクルは微笑む。



「だから、一緒に帰ろう、田中君」



 嘘はない、ただ真っ直ぐな意志と気持ちだけが伝わってきた。

 身体が軽くなっていく、体中にくっついていた手足が消えていく。





「じゃぁ俺達は先に帰っとくぜ、あとはメクルだけでいいだろ、ほんじゃ」


「…………Ctrl+Z、元通り、メクル、お先」



 側面の手足が、背中の手足が、体中に生えていた手足が消えて、僕だけの手足だけが残った。恐る恐る手足を動かしてみる、思い通りに動く。


 動く……、動く……、動く。



「……動く、は、はは、やった、ありがとう、うん、ありがとう」


「うん、帰ろう、あの現実世界に――」



 もう、大丈夫だ、うん、ありがとうありがとう、



「帰るわけねぇだろ? それに僕は田中じゃない、まぁいいや、お前ら、“”」


 

 時を止める、全力で時間を止める、今度は一秒たりとも間も隙も与えない。

 すぐさまメクルの手を振り払い、後ろへと飛び退る。

 時は止まった、全てが止まった、今度こそだ。

 手足を確認しても大丈夫、ちゃんと手も足も2本ずつだ。




「………………は、はは、はああああ!!」




 思わず両手の拳を握りしめ、思わず丸まるようにしてから飛び上がって腹から勝利の雄叫びを上げた。





! ざまぁぁ!!」





 自由に走り回れる、足が今度は自由に動く、その喜びに思わず全力で走りながら僕は叫んだ。



「はっ、はぁぁ、バッカ過ぎるだろぉ! この馬鹿女共はよぉ!!」



 手放すわけない、僕がこの力を手放すわけないだろ!


 こんな素晴らしい力を手放して、あんなクソみたいな現実に帰るわけないだろ!


 なにが楽しい学園生活になるように力を貸すだ! あんな学園が! あんな現実が! どうにかなるわけないだろうが!




「……さぁ、使ってやるぞ、思う存分、使ってやるからな、お前ら!!」




 この一週間で膨らませた欲望を思う存分に突き入れて、汚して、満たして、そして味合わせてやる!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る