第4話 “いい人”

 アパートから少し歩いた所に、小さな商店街があるらしく、そこへ行ってみることにした。


 子供のころにコロッケを買い食いした肉屋などが並ぶ昔ながらの商店街を想像していたが、たどり着いてみるとほとんどの店は洋風のカフェのような外観で、売っているものも様々な国の見たことも無い果物や、食べた事の無い惣菜だったり、花屋かと思ったら食用の花のみを扱っているという、今まで生きていた世界では考えられないような店ばかりが並んでいた。

 

 食材はまとめて買うと重いので、先に服を買おうと思い、店に入ると売っている服のほとんどが春物の淡く明るい色の服ばかりだった。

 

 これまで私は服というと暗い色のものばかりを選んでいたので、少し困ってしまった。この店には暗い色の服など一着も置いていないのだ。

 なんとか最も地味な紺色や白の無地のシャツやブラウスを見つけ出し、カバンは目に入った白いトートバッグを掴み、買い物かごにほうり込んだ。

 

 買い物をしていて、自分が全く化粧をしていない事に気がついたが、店員や他の客もほとんどがノーメイクか薄化粧をしている事に気づき、胸を撫で下ろした。

 

 店を出ると日が傾き、夕方になっていた。見たことも無い食材を料理することはできないので、商店街にあるパン屋でサンドイッチを買って帰路についた。

 

 すれちがう人々は皆先ほどの店で見た鮮やかな春色の服を身に纏い、小鳥の様によく笑っていた。

 その姿を見ていると、なぜだか激しい虚しさが胸を襲ってきて、先ほど買った服の入った左手の紙袋が、とても重く感じられた。


 なぜだかまっすぐ家に帰る気にならず、アパートの隣の公園のベンチに座り、サンドイッチの包みを開いた。

 

 サンドイッチにはやはり見たことの無い野菜がいくつか挟んであり、見知らぬ土地の見知らぬ公園で、見知らぬ食べ物を前にしている現状を思った瞬間、静かに涙が流れた。

 

 いくら拭っても次々にこぼれ落ちて来るため、サンドイッチのパンにいくつも水滴が染み込んで行った。

 

 死にたくなかったわけじゃない。

 

 逃げ出したかった日々の中から、完全に戻れない所まで逃げ出すことに成功したはずなのに、なぜ涙が出てくるのか、考えるいと間すら与えてくれないまま、涙が次から次へと落ちて行った。

 

 その時、見覚えのある封筒が目に飛び込んできた。隣のベンチに座っている男性だ。擦り切れたボロボロのスウェットに、膝に穴の開いたジーンズ。

 

 手には私が今日病院を出るときに受け取ったのと全く同じA4サイズの封筒を持っている。彼は地面をじっと見つめたまま、びくりとも動かなかった。


「あの……。大丈夫ですか?」

 泣いていた事を悟られないよう、咳ばらいをしながら、わざと鼻と口元を押さえながら男性に話しかけてみた。男性はこちらを見ると、一瞬不思議そうな顔をして、きょろきょろと周囲を見渡した。

 

 そして、「俺?」と言って、泥だらけの自分の顔を指差した。


「ずいぶん、落ち込んでいらっしゃるようだったので……。あの、私も今日この町に来たんです。」

「あー……。」

「なんか、びっくりしちゃいますよね。でもきっと大丈夫ですよ。こんなに綺麗な町なんだし、きっと良いことがあると思うので……。」

「そうですかねえ……。」

 

 男性はちょっとだけ困ったような表情で、眉間に薄くしわを寄せながら口角を上げた。私はなんだか不思議と、その表情をどこかで見たことがある気がした。


「あんた、ずいぶんいい人そうですね。」

 男性は自分の膝に頬杖をつき、いたずらっぽい表情でこちらをじっと見てきた。顔には不精ひげがちらついているが、長い前髪から覗いている瞳は力強く、漆黒で、なぜか全てを見透かされているかのようだった。


「そんなことは無いですよ。」

「いいヤツって、いいヤツって言われるのを嫌うよな。」  

 男性は目を閉じ、再び呆れたように小さく笑った。

 

 次の瞬間、私はその笑顔の持ち主をはっきりと思い出した。


「あなた、もしかして、仁くん?」

「は?」

「楓丘市の東小で、四年一組に転校してきて、すぐまた転校して行った、仁 優一君じゃないですか?」

「……ああ。そうだけど。」

 

 仁は戸惑ったように目をキョロキョロとさせた。困った時に右の頬を掻く仕種も、当時と全く変わっていなかった。

 彼の名前は、仁優一。


 短い間しか同じ学校にいなかったのに、彼はいつも友達に囲まれ、人気者で、どこにいても全ての中心だった。

 

 引っ込み思案だった私は、そんな様子を、遠くから眺めている事しかできなかった。

 

 時々勘の良いクラスメイトが、私が仁の事を好きなのだろうとからかってきた。

 そして私は本心から、それをはっきりと否定していた。

 

 私は当時、仁という少年に、

 ただただ憧れていた。


 

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