第5話 夢と現実と約束

 小学四年生の頃、クラスの人間に、全員何かしらの賞をつけよう、という授業があった。


 足の速い子や服装がおしゃれな子、顔立ちの整った子が次々と美しい名前の賞を受賞し、賞状をもらう中、私がもらったのは『優しい人で賞』という賞状だった。

 

 同じ名目の賞状をもらった子供は、他に四人いた。

 

 私は別段得意な物があるわけでも無いし、そういう結果になることは初めから分かっていた。


 私はクラスの子供達が、ランドセルの中で折れないように、賞状を大切に手に持って帰っていく中、何の躊躇も無くそれを四つ折りにして、赤いランドセルに突っ込もうとした。

 

 その時、隣から声がした。


「あ。仲間。」 

 

 横を向くと、泥だらけの顔をした、先週このクラスに転校してきたばかりの男の子が、自分の賞状を四隅も揃えず乱雑に折りながら、こちらを指差していた。


「……あ……。」

 

 私は、転校してきてすぐに、初日の挨拶で面白い事を言い、クラスの中心人物になったこの少年の事が苦手だった。

 

 四年生になっても一緒に帰る友達の一人すらいなかった私とは、正反対の存在だったからだ。


「お前、だれだっけ?」

 

 私が突然話し掛けられた事に緊張し、声を出せないでいると、教室の外から彼を呼ぶ声が聞こえた。


「仁ー!早く行こうぜー!」

「おー。」

 

 仁は傷と砂にまみれた汚いランドセルを颯爽と背負い、廊下にいる男子達の方へ駆け寄った。クラスの男子が、不思議そうに仁に話し掛けた。


「何やってたんだよ。」

「えーと」

 

 仁はちらりとこちらを見て、私にも聞こえる程大きな声で言った。


「なんかかっこいーヤツ居た。」


………


 その後、仁と私はほとんど話はしないまま、夏休みに入ると同時に、仁は転校して会えなくなった。

 

 仁が私の事を覚えていなくても、何も不思議な事では無かった。


「ごめん。俺あんたのこと何も覚えてないんだけど、誰だっけ?」

「ええと……」

 

 私は仁の問い掛けに、はっと我に返った。

 同じクラスに居た当時ですら、仁は私の名前を知らなかったのだ。一体この状況で、自分の事を何と説明したら良いというのだろう。

 

 しばらくの間、ああ、とか、うう、とか、声にすらなっているのか分からない様なうめき声を上げながら、私はようやく、


「ごめん、別に接点は無いけど、仁くん目立ってたから、一方的に知ってただけなの。仁くんは私を知らなくて当然だから、気にしないで。」

 

 とだけ説明した。

 隣の席だった事と、話し掛けられた件は言えなかった。

 その出来事すら仁が覚えていないとしたら、私は正直今座っているベンチから立ち上がれ無くなるような気がした。

 

 仁は私の説明でとりあえず納得はしたようで、口を尖らせながらふーんと言った後、

「ところでお前が大丈夫?」

 と言ってこちらに身を乗り出してきた。

 

 違うベンチに座っているから距離はあるはずなのに、仁は風貌に威圧感がある為、私は思わず身を引いた。


「な、なにが?」

「いやお前、俺に向かって、大丈夫ですよとか言ってたけど、その直前にクッソ泣いてたじゃん。お前が大丈夫じゃねーだろってずっと思ってたぞ。」

 

 仁の長い指に指差され、私は思わず自分の顔を両手で覆った。


「見てたの?」

「おう。やべえ奴の隣に座ったなってずっと思ってた。絡んできた時は終わったと思った。」

「それはちょっと言い過ぎ……。」

「女の子に対して言い過ぎでしょ。仁くん?」

 

 突然聞き慣れない声がし、顔を上げると、いつのまにか一人の少年が立っていた。真っ黒な学ランに、艶やかな黒髪。長いまつげと血のように赤いくちびる。その顔は、まるで芸術作品かコンピュータのグラフィックかの様に整っていた。


「遅いんだよ、蒼真。とっくに役所の用事終わってずっと待ってたんだぞ。」

 仁は手に持っていた封筒を指で弾き、ため息をついた。

「あ、これ持ってたせいか。お前が大丈夫かとか聞いてきたの。俺この町に来たのは一年位前だから、落ち込む時期とかとっくに通り過ぎてんぞ。」

 

 仁にも落ち込んでいた時期などあったのか、と内心驚いていると、蒼真と呼ばれた少年が、ためらいもなく私の隣に座り、「こきたない大猿がごめんね。」と言ってこちらに身を寄せてきた。

 

 突然世界で最も美しいダイヤモンドを顔に近づけられたかのような感覚だ。眩しさに目を思わず細めそうになる。


「おい、お前こいつに騙されるなよ。こいつこう見えて俺達の数倍年上だぞ。」

「え!?」

 驚く私に、蒼真はにっこりと笑いかけてきた。

「大猿の鳴き声なんか聞く必要無いよ、お嬢さん。こっちの世界じゃ何年経っても歳は取らないから、この大猿が何を言おうと僕は見ての通り十六歳のいたって凡庸な学生なんですよ。この猿も汚い不精ひげを剃って、髪を整えればこんなに人に威圧感を与えずに済むのにね。こいつの方がむしろ、今年300歳ですって言われても納得できてしまうよね。」

 

 一瞬笑いそうになったが、蒼真の美しい顔をぐっと近づけられると、とたんに何も言えなくなった。恋愛感情だとかそういう物では無く、人間は現実離れして美しい物を見ると、言葉が出なくなってしまうものらしかった。


「渡る世間はクソばかりだな。まあいいや。お前、今日来たばっかりなら、明日の夜は当然ヒマだろ?」

 頭を豪快に掻きながら、仁がこちらを指差した。


「え、う、うん……。」

「じゃあ明日の夜八時にこいつの店に集合な。場所教えるから番号教えろ。」

 

 仁は当然の様にケータイを取りだし、慣れた手つきで操作し始めた。慣れない操作に四苦八苦しながら番号を教えると、「よし。今店の場所送ったから後で見とけよ。」と言ってケータイをポケットにしまった。同時に私のケータイの液晶画面が光り、メールが届いた。


「というか、こいつの店って……?」

 いつの間にかひざ枕の体制でこちらを見上げていた蒼真がこちらを見上げて「僕、僕。」と美術品の様な顔を指差して笑った。


「とりあえず今日はさっさと帰って寝ろ。明日は死ぬ程飲ますからな。」

 

 そう言うと、二人は公園を後にし、繁華街らしき方向へと消えて行った。

 

 一度に色々な事が起こりすぎて、頭は半分夢の中の様になっていたが、いつの間にか、家に帰りたくないという感情は消えている事に気がついた。

 

 家路に着き、アパートのドアを開けようと、冷たいドアの分に触れた瞬間、ふと、これは本当に現実なのだろうかと不安になった。

 

 私はどうやら、自分で思っている以上に仁と再会ができた事を喜んでいるらしかった。

 こんなに嬉しいことが、本当に現実に起こっている事なのだろうか。

 

 なぜなのだろう。この町に足を踏み入れた時も、見たことの無い花や食べ物を目にしたときも、それが現実であることを疑う気持ちにはならなかったのに。


 嬉しい事が起きた途端に、こんなに不安になるなんて。

 

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