健康的なおでこの彼女

 電車が停車した。僕は駅員に定期を見せ、ホームを出た。太陽が出ていたが、気温は寒かった。辺りでは多くの人が歩き回っていた。その人混みを見渡しながら、彼女に電話を掛ける。耳元でコール音が続く。僕は彼女が出るのを、お守りを左手でいじりながら待つ。彼女はどうなっているのだろう。見た目は変わっただろうか、あの健康的なおでこは今も健在だろうか。背後でコール音が聞こえ、肩に手を置かれた。彼女だ。僕は少し微笑みながら後ろを向いた。

「ごぷっ、えっ」

 僕の体にナイフが刺されていた。刺したのは彼女だった。一体どうしてなんだ。血がナイフを伝い地面に落ちていく。

「あなた、他の女と寝たでしょう。なんで、どうして。私はあなたの事を愛してたのに」

 僕は後ろ向きに倒れた。背中でアスファルトのごつごつとした感触を感じる。彼女は僕に馬乗りになり、刺したナイフを抜くと再び刺した。気持ちが言葉と共にナイフにものっていた。それを引き抜きまた刺す。刺す、刺す、刺す。血が辺りに飛び散る。それは彼女の顔にもかかった。久しぶりに見る彼女の顔だが、その表情は苦痛に満ちていた。周辺にいた客は悲鳴をあげて逃げ出した。ここにいるのは僕達だけになった。

握っていたお守りが手から落ちた。地面にぶつかると、紐が緩んでいたのか中身が出てくる。黒色をした小さな機械。恐らく彼女はこれで僕の居場所、もしかすると映像や音を把握していたのだろう。

「これを持っていたら樹は私の事を忘れないでしょう。それに持ってさえいれば私はあなたの愛を感じることが出来る」

 彼女が言っていたのを思い出した。愛を感じることが出来る。言葉通り僕が彼女への愛を依然として持ち続けていることを感じることが出来るのだろう。


 ああ、僕は本当に愛されているなあ


 血が流れ出すぎたのか、もうほとんど何も感じない。僕をこれまで苦しめていた心の冷えも感じなかった。やはり愛でしか解決できなかった。

 僕は彼女の腕を掴んでナイフを止めさせた。

「違う。僕は君の事を本当に愛してる。君がいない間他の女性とも寝たけど、それは君からの愛の分を補おうとしただけなんだ。だから寝た女性の数はイコール君への愛の大きさなんだ」

彼女は理解できない物を見たような顔をした。

「何言ってるの。そんなの信じられるわけないでしょ。都合のいいことばかり言って、実際は私の事を捨てただけでしょう」

違う。何で信じてくれないんだ。僕はこんなにも君の事を愛しているのに。

「なあ、話を聞いてくれ。……あ」

彼女の名前が分からない。なぜだ、愛しているのに。どれだけ頭をひねっても、健康的なおでこをした女性であることしか分からない。思い出だって電車の中で思い出した分しか分からない。2カ月も一緒にいたのだからあれだけしか思い出が無いわけがない。

 考えていて気付いてしまった。




僕は彼女ではなく僕自身を愛していたのか。




 愛は行動で示さなければならない。そうしないと信じることが出来ないからだ。だから僕は彼女と付き合い、愛を受けて、誰かに愛されている自分を愛していた。それで、ただ愛を確かめるための手段でしかなかった彼女の名前を知らなかったし、愛を感じることができたエピソードしか覚えていなかった。それに愛してくれるなら誰でもよかったから、他の女性と寝た。ただこれまでで一番僕の事を深く愛してくれて、おでこが印象に残っていたから、彼女の事を覚えていただけだった。

 結局のところ彼女は僕にとって健康的なおでこをした女性であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 以前別れた女性は僕に

「本当に私の事見てるの」

と言ってきたが、彼女は恐らく気づいていたのだろう。僕が自分しか見ていないことに。

 一体僕は、なんて気持ちの悪い人間なんだろう。こんなものが僕が求めていた愛だったのか。

「うわあああああ」

 彼女は叫び、僕にナイフを突き刺し続ける。次第に意識が薄れていく。




1月23日付新聞記事

『駅前で無理心中か  昨日22日志伊良駅前にて二名の少年、少女の死体が発見された。目撃者の証言によると二人は会話の際に口論になり、少女Aが佐藤樹(18)を殺害し、その後自害したとみられる。警察は引き続き事実確認を急いでいると発表している』

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健康的なおでこの彼女 普川成人 @discodisco

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