飛行機雲 その1

 ポケットの中でガラケーが振動した。あまりにも小刻みなので膀胱が緩みそうになる。急いで取り出すとメールが届いていた。彼女からだった。

 今日本に帰った。すぐに行く。

 やっと帰ってきてくれたのか。彼女は高校1年の時に僕と付き合い、その2か月後に海外留学に行っていた。それから約2年と半年がたち、今日本に戻ってきたようだ。

 今どこにいるの

 メールを送り、次の駅で降りることにする。ブラウザで調べると次の駅に着くのはどうやら15分後のようだ。温かい車内。しかし彼女を意識すると心が冷えているのを再び感じる。冷たいが、感覚を失うほどではない寒さ。心が恐らくあるはずの心臓を中心にして、その周辺の皮膚が内側から冷えていく。それに伴って鳥肌が立つ。実際に寒いわけでは無いのにこうなるのだから本当に心というものはよくわからない。

僕は着ている上着の胸ポケットからお守りを取り出した。これは彼女が空港を発つ前にくれたものだ。




・・・

 蝉の声と彼女が引くキャリーケースの音が絶えず聞こえている。流れてくる汗を手で拭いながら空港の中に入った。中は冷房によって寒いぐらいに冷やされていた。どこからか吹いてくる風は僕たち二人の体に付いていた汗を拭き去った。あれほど威勢の良かった蝉の声もここではアナウンスに取って代わられている。

「少しどこかで休憩しない?」

時刻は10時20分。彼女が飛行機に乗り込むまではまだ少し余裕があった。

「いいよ。喫茶店とかないかな」

近くにある地図で確認すると、2階に1つあるみたいだった。難しい漢字ばかり並んだ店名で何と読むのかは分からない。

「それじゃあ行こう」

僕と彼女はその店に向かった。




 ドアを開けると着いていたカウベルが心地よい音を立てた。内装はいかにもという感じの喫茶店だった。座席やテーブルは木でつくられており、その上に吊るされた大きなライトはあたたかな光を放っている。僕と彼女は窓際の席に座った。彼女はSNSにアップするためか写真を撮影し始めた。窓から外を見ると、様々な人々が忙しそうに歩いていた。スーツを着込んだ男性、家族連れ、大きなトランクを引いている女性……。

 机の上に載っているメニューを二人で見る。どうやらコーヒーを売りにしているようだったので、それと軽い物を注文した。注文を取りに来た店員はいかにも適当な態度で、それにうつろな目をしていた。一度来たらもう二度とこないであろう小さな喫茶店。何度も来るリピーターが着かないことを悲しく思って、無気力になっているのだろうか。

 別れを前にすると何を見ても感傷的になってしまう。彼女との日々は想像以上に僕の心の大部分を占めていたようだ。




 20分ほど経って食事が運ばれてきた。僕と彼女はコーヒーと、それぞれサンドイッチ、ハニーバタートーストを注文していた。彼女は店員が持ってきたはちみつの容器を受け取ってトーストにかけ始めた。トーストには切れ込みが入っており、落ちたはちみつはその切れ込みに流れ込んだ。お風呂のタイル状の床が思い浮かんだ。

 彼女の写真撮影が済んだ後に食べ始める。サンドイッチの中にはレタスや肉、卵があふれるほど入っていて美味しい。食べ始めると意外にもお腹が減っていたようで、すぐに食べ切ってしまった。彼女の皿もすでに空になっている。コーヒーを飲んだ。苦味しか感じなかった。

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