料理と彼女

 電車に揺られながら彼女の事を思い出す。これまでに寝た女性たち。例えば今回の前歯の主張が激しい女性や、前の耳の形が左右で違う女性、胸の下にカビが生えていた女性やモナ・リザの微笑のように常に奇妙に笑っていた女性。彼女は彼女達とは違う。あの健康的なおでこをした彼女は僕を深く愛していた。僕は今では前時代の物になってしまったガラケーを開いた。メールを開き、彼女との過去のやり取りを見た。やはり彼女だけだ。彼女こそが本物なのだ。




 電車の中には、いつまでも吸っていると病気になりそうな空気が蔓延していた。見渡してみると、乗客は僕以外誰もいなかった。これ幸いと窓を開ける。辺りの生暖かい空気は外に流れ出していき、入れ替わりに針の先のような鋭さを持った冬の寒さが入ってくる。体が冷えると、それに伴って心も冷えていくような感覚にとらわれる。


 実際には元から冷え切っているだけなのに。


 この心を温めるには誰かに愛してもらうしかない。もしくは何かに熱中して忘れるかだ。

 その点セックスは良かった。愛のようで違う、言葉に言い表せない物を感じ取ることができたし、人によってそれぞれ微妙に違う変化に熱中することができた。

 でもそれももう終わりだろう。彼女達は僕のことが好きで行為をしているのではなく、ただ己の肉欲を満たすためだし、僕も行為自体にも熱中できなくなっていた。今日がいい例だろう。行為そのものではなく、朝浴びるシャワーの方が好きな自分に気付いてしまった。何か他に熱中できるものを探すか、それとももう一度彼女に会うかだ。




 電車が止まり、そして動き出した。今度の発射音は何か分からなかった。曲ではなく、ただの電子音の集合体なのかもしれない。

乗り込んできた客がこちらを睨んできたので、窓を閉めた。再び車内は熱に包まれ、窓はその温度差で結露ができた。電車の振動で流れ落ちていく水滴たち。それらを見つめる。




・・・

 彼女の家の窓も水滴が良くできていた。僕はダイニングテーブルに着きながら、窓脇に生えた黒カビを見つめる。部屋の中にはラベンダーの匂いが充満していた。匂いの元は彼女が部屋に干している洗濯物だった。

「お待たせ、できたよ」

彼女は手に持った食器をこちらに向けて言った。皿には少し黒くなったハンバーグと申し訳程度に添えられたサラダが載っている。朝起きた時に何かを叩きつける音と内臓をかき混ぜているかのような音を聞いたが、あれは肉をこねていたのか。それを僕の前に置き、彼女は僕と向かい合う位置に座った。今日もポニーテールだったので、その健康的なおでこが良く見えた。ニキビやシミが無く、陶器のように白い肌。顔のように目や鼻などのおうとつが無いので、ホワイトボードのような印象を与える。緩やかなカーブを描く三角形。

「君の分はどうしたの?」

「私はいいのよ」

 僕は箸を手に取った。


彼女はそれを見つめる。


ハンバーグを切り分ける。


彼女はそれを見つめる。


口に入れた。


彼女はそれを見つめる。


 口の中で違和感を感じた。舌を動かしてそれを出すと毛だった。黒色で短く、癖の強い毛だ。

「毛が入っていたんだけど。これ多分君のだよね」

「食べて」

「え?」

「いいから」

 彼女の瞳は零れ落ちんばかりに見開かれている。口は横に結ばれ、顔には一切の表情が無い。拒否できる雰囲気ではなかった。

 それを再び口の中に入れ、水で流し込んだ。彼女の体の一部は今僕の喉、食道、そして今胃に落ち着いているんだろう。


ああ、なんて僕は愛されているんだろう。


 彼女は僕がそれを呑み込んだことを確認すると安心したように目をいつもの大きさに戻した。懐からカロリーメイトを取り出して食べ始めた。そういう女性だった。

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