健康的なおでこの彼女

普川成人

ホテルにて

 僕は目を覚ました。同じベッドの上で寝ている女性を見る。髪を茶色に染め、耳にピアスを点けている。前歯の主張が激しい顔をしていた。合コンで出会ったときは、そこそこきれいだったのに、寝顔は見れたものではない。口でするのが妙に上手く、騎乗位の好きな女だった。名前は、何だっただろう。




 ベッドの脇にある小さなテーブルからスマートフォンを取り、時刻を確認する。朝の7時だった。チェックアウトは10時なのでまだ少し時間に余裕がある。ベッドから出て隣の浴室に向かった。寝ている女を起こさないようにドアを開けシャワーを浴びる。幸いなことに僕もあの女も服を着ながらセックスをするのが好き、という奇妙な性癖では無かったのでそのままシャワーを浴びることができた。

 体を打つ容赦のない熱湯は僕の意識を瞬時に覚醒させてくれる。この瞬間がたまらなく好きだ。変化に乏しい生活の中での数少ない生を実感させてくれるからだ。

 シャワーを浴び終え、服に着替えた。机の上にホテルの代金を置いていく。全く僕に愛を注いでくれなかったが、金銭的なトラブルは避けたかった。それに数時間だが、悩みから解放してくれた。その素晴らしい──満足ではないが暇つぶしにはなる──セックスのお礼でもある。




 ホテルから出て、近くの駅に向かって歩き始める。冬の寒さは全身を襲い、息を吐くと白くなっていた。ふと、右太ももの辺りに違和感を感じポケットを探ってみるとパンティが出てきた。紫色のレース。一緒に寝た女性が履いていた物だろう。なぜこんなところに入っているんだろうか。僕は立ち止まり、それを見ながら記憶をさかのぼる。ああ、確か昨日は酒が入っていて、彼女からはぎ取ってポケットに入れたんだった。アルコールが入った自分の痴態をしらふの自分が思い返すと言うのはなかなかキツイものがあった。案外暇つぶしでも楽しんでいたようだ。だが満たされていない。誰か僕に溺れるほどの深い愛をささげてくれる女性はいないのだろうか。




 駅に着いた。通勤通学の時間だが、この駅から乗る人は少ないのか人の数はまばらだった。僕は電車を待つ列に並ぶ。ふと思い立って、手でもてあそんでいたそれを鼻に持って行った。

スン、スンスン。

洗剤の匂いがした。強いラベンダーの匂いだ。この匂いは確か、彼女からもしていた。

 これまでに僕を最も愛してくれた彼女。

 電車が来たので、持っていたパンティをゴミ箱に放り投げた後に乗った。車内は暖房によって温められている。席に座ると異常なまでのぬくもりが尻を包んだ。窓から外を見ると、捨てたそれがゴミ箱に引っかかっていた。それをぼうっと見つめる。なぜかセンチメンタルな気持ちになって来た。さっきの洗剤の匂いのせいだろうか。

 ニュルンベルクのマイスタージンガーが流れた。扉が閉まり、景色が後ろに流れていく。僕は離れていくパンティーをずっと見つめていた。


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