雨虹の敵

 貴帆とメリアの声がした後、剣のぶつかり合う鋭い音が炎の壁の向こうから聞こえた。炎の向こう側がどのようになっているかは全く分からず、轟々と燃える音が頭の芯を揺さぶる。


 貴帆は強い。魔王一族のレネッタも勇者のナオボルトも認めるであろう強さを持っている。それは剣の筋云々ではなく、信念の産物だと雨虹は直感していた。

 しかしそうであるとしてもまだ剣を握ってひと月にも満たないのであり、万が一の事態で彼女をここで死なせる訳にはいかないのだ。死んでしまうと二度と彼女の世界に戻れないばかりか……。


 この状況の打開に全力を投じるべきだと頭を切り替える。この炎の壁を突っ切れば大火傷はもちろん、即死も有り得る。気を揉んでいると炎の向こうからゆらりと人が現れた。


 リュートだった。彼はやけにニコニコとしながら、胸に光るネックレスを揺らして剣を抜く。


「あんた執事なんだってね。……ねえ、俺が勝ったらうちで働くってのはどうよ?俺ん家一応この地方の名家なんだ」


「はい?私が貴方の下で働く理由など微塵もありませんが」


 雨虹の返した言葉をリュートが鼻で笑う。


「あっれ、わかんない?あんた達はここで負けてあの女も仲間にならない。ただ時間を無駄にしただけ。そんでもって領主を助け出せずクビだよ。だから俺が雇ってやろうってことなんだけど」


 甘い顔立ちを歪めるリュートを見て雨虹は優しく微笑む。少しだけ、殺意を混ぜて。


「では私が勝ったら貴方達を雇った方が誰かを教えてくださいね」


 そう言った雨虹の顔を、リュートは見つめた。何故バレたのだと言わんばかりの、驚ききった顔だ。雨虹は呆れながらリュートを見て、静かに暗器を袖から滑らせる。


「領主のタカホ様を助けることは話していませんよ。それなのに知っているなんて、この事情を知っているどなたかと繋がりがあるとしか思えない」


 雨虹は襟元を緩めながら、さらに続ける。


「それにその方がタカホ様の誘拐に携わっている中枢人物であることだって、少し頭を働かせればわかります。だから貴方達が足止めと妨害を兼ねて送り込まれたのでしょう?」


 つまりリュート達はタカホの誘拐に関わる人物に雇われ、足止めだか妨害だかの何かしらを言い渡されたのだ。雇い主を聞き出せれば、タカホに少し近づけるかもしれない。そんな考えを巡らす雨虹をあほ面で見ていたリュートが、大きく笑いだした。


「はは、まじかよ。あんた恐いわ……」


「お褒めに預かり光栄です。しかし……少々無駄なお喋りをしてしまいました」


「あんたが勝つなんてありえない。だから仮にボスがいても、その名前もわかる時なんてもう一生来ないんだよ?だから大人しくうちでこき使われればいいさ」

 

 リュートはそう答えると、炎の壁のギリギリまで下がった。軽くジャンプをしてから、短剣を真っ直ぐ雨虹に向ける。


「召使い風情は屋敷でじっとしてればいいのにな。その阿呆らしい忠誠心を書き換えてやんよ」


 リュートのそんな魅力のない口説き文句を、雨虹はやんわりと断った。


「残念ながら私の一生は主のタカホ・ルノワード様、及びそのツヴィリングの貴帆様に捧げると決めています。他の方を当たってください」


 見えない火花を散らし、雨虹とリュートは向かい合う。しばらくの睨み合いの末、リュートが先に駆け出した。


「あんたに選択権なんてねぇんだよ!」


 真っ直ぐ向かってくるリュートを、雨虹は心配と忠誠心を胸に迎え撃つのだった。

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