第45話
ロードリアーノ公爵家の当主であるルーフェスが帰国し、皇太子妃であったマドリアナが罪を認めたことで、宮廷は急に騒がしくなったようだ。
身元は伏せていても、いつサーラが、帝国と対立状態にあるリナン王国の公爵令嬢であることが知られてしまうかわからない。
いくら身分を捨てたとはいえ、あのエドリーナ公爵の娘であることは変わらないのだから、サーラに敵意を向ける者がいる可能性もある。
そう危惧したルーフェスの提案で、サーラは彼が帝都に所有していた屋敷に移ることになった。
長い間放置されていた屋敷だが、レナートの命令で綺麗に保たれていたようだ。
ここには彼の最愛の恋人、エリーレが住んでいた場所である。
朽ちていく様子を、彼が見ていられるはずもない。
だから、ルーフェスが失踪した当時のまま、庭に至るまで、手入れが行き届いていた。
昼は宮廷にいるルーフェスも、夜にはこの屋敷に戻ってきてくれる。
ひとりでも大丈夫だと思っていたが、レナートは屋敷に数人の侍女と護衛騎士を派遣してくれた。
ルーフェスも心配してくれているようだし、皇帝陛下からの好意を辞退するわけにもいかない。
それを有り難く受け入れることにした。
昼の間、ルーフェスは宮廷に赴き、そこでレナートと話し合いを続けているようだ。
おそらく、話し合いの内容はマドリアナの処遇についてだろう。
今までは彼女自身がけっして罪を認めず、帝国内の権力者であった彼女の父、ピエスト侯爵も娘の無罪を訴えていたこともあって、皇帝の暴走ではないかと囁く者もいた。
だが、マドリアナは罪を認め、エリーレの兄であったロードリアーノ公爵家の当主ルーフェスも帰国した。
状況は大きく変化したのだ。
マドリアナはおそらく極刑に処せられる。
そうなったら父であるピエスト侯爵も、事実はどうあれ、完全に無関係だったと逃げ切ることは難しいだろう。
その動向を察した貴族達が、ルーフェスの屋敷であるここにも押しかけてきて、サーラはレナートの気遣いに感謝することになる。
もし護衛騎士や侍女がいてくれなかったら、サーラが彼らの対応をしなければいけないところだった。
いくら貴族でも、皇帝陛下から派遣された騎士や侍女に強く言うこともできず、彼らは門前で追い返されて、中にサーラがいることにも気付かれなかった。
それを知ったルーフェスはさらに人員を補充してくれて、今では訪問も減り、こうして静かに過ごすことができる。
皇帝との話し合いは、長引いているようだ。
日に日にルーフェスの帰りは遅くなり、サーラは屋敷の中でひとりきりで過ごす時間が長くなった。
どの部屋を使ってもかまわないと言われていたが、彼にとっては亡き妹との思い出が残る大切な場所だ。あまり荒らしてはいけないと、初めてこの屋敷に来た日から、客間しか使っていなかった。
でもこの日は、以前この屋敷に仕えていたという侍女に図書室の存在を教えてもらい、そこに行ってみることにした。
帝国の本には、少し興味がある。
手渡された鍵を使って、図書室の扉を開いた。
「まぁ……」
中を見た瞬間、思わず声を上げる。
壁一面に本棚が並べられ、そこにはたくさんの本が隙間なく並べられていた。侍女の話によるとルーフェスの妹のエリーレは本が好きで、時間があればここに籠って本を読んでいたらしい。
(……お会いしてみたかったわ)
そっと本の背表紙を指でなぞりながら、そんなことを思う。
きっと美しく聡明で、心優しい女性だったのだろう。
帝国の歴史やマナーの本などを読みながら、サーラは静かな時間を過ごしていた。
そんな、あの日のことだった。
この日もひとりだったサーラは、図書室に向かい、そこで本を読んでいた。
そこでふと、興味を惹かれて手にした一冊の本。
タイトルが書いていないことに気が付いて開いて見ると、どうやら日記のようだ。
(日記……。誰の?)
思わず視線を走らせると、兄としてルーフェスの、婚約者としてレナートの名前が記されている。
今は亡きルーフェスの妹、エリーレの日記だった。
故人とはいえ、勝手に人の日記を読んではいけない。そう思ったサーラだったが、そこに書かれていたある文字に、思わず目を奪われる。
レナートを、愛している。
エリーレの日記には、はっきりとそう記されていた。
サーラの予感は、当たっていた。
エリーレは最初こそ戸惑っていたものの、真摯に愛を注いでくれるレナートに惹かれ、彼に相応しい女性になろうと、必死に努力していたのだ。
それをけっして表に出さなかったのは、仲良くなったもうひとりの婚約者、マドリアナもまたレナートのことを愛していると知っていたからだ。
もう少し仲良くなれたら、彼女にだけは打ち明けよう。一緒にレナートを支えていけたら、と書いてある文面を見て、胸が痛くなる。
マドリアナは、エリーレがレナートの愛を受け入れていないことが許せずに、彼女に毒を盛ってしまった。だが彼女はレナートを愛していて、それをマドリアナに遠慮して言えなかったのだ。
少しずつ何かが違っていたら、しあわせな未来が待っていたはずだ。
それを思うと、切なくなる。
レナートが彼女を婚約者として発表する前にはもう、エリーレは彼のことを深く愛していた。もしルーフェスが婚約を回避するために妹を連れて逃げようとしても、きっと拒んだだろう。
日記の最後には、最近体調が優れないこと。もし自分に何かあったら、兄とマドリアナにレナートを支えてほしい、と記されていた。
サーラはそっと、その文字を辿る。
『お兄様、迷惑ばかりかけてしまってごめんなさい。
私の我儘で、お兄様には苦労をかけてしまいました。
体調は良くなるどころか、ますますひどくなっているように思えます。
でも、もしこのまま回復しなくても、私は愛する人に愛され、お兄様に大切にしてもらって幸せでした。
どうかレナートを支えてあげてください。
私は彼を、とても愛していました』
「……」
もしこの日記が、彼女の死後すぐに発見されていたら。
ルーフェスは悲しむだろうが、そのときはまだ、マドリアナによって殺害されたことも知らなかったのだ。
妹が幸せだったと知って安堵したかもしれない。
だが実際には妹の死に責任を感じて、救えなかった絶望から国を出てしまったのだ。
でも、今からでも遅くはない。
エリーレが幸せだったと知れば、彼の後悔も心の傷も、少しは軽くなるのではないか。
そう思ったサーラは、その日記を図書室から持ち出して、彼の帰りを待つことにした。
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