第44話
どこか夢見るように、ふわふわとしていた彼女の視線が定まり、彼女はルーフェスを見つめた後に、そっと目を閉じて俯いた。
「わかっているわ。レナート様はもう、わたくしに会いに来てはくださらない。わたくしを許さない。あの方の最愛の女性を、奪ってしまったから……」
涙が零れ落ちて、冷たい床の上に小さな染みを作った。
こんなにも悲しげに泣いているのに、彼女に後悔しているような素振りはなかった。
罪を悔いているのではなく、自分の境遇を憐れんでいるのでもない。
「どうして、エリーレを殺した?」
ルーフェスの問いかけに、マドリアナはすぐに答えなかった。
沈黙が続く。
サーラはそっと、ルーフェスの背に手を添えた。
自分の妹が殺されてしまった理由を知るのは、とてもつらいだろう。
「……許せなかったの」
どのくらい、時間が経過したのだろう。
やがて彼女は、ずっと秘めていた思いを吐き出すように、強い口調でそう言った。
「わたくしがどんなに望んでも得られなかったものを、簡単に手にすることができるのに。それを、あの子は素直に受け取ることもせずに頑なに固辞していたわ。それが、どうしても許せなかった……」
マドリアナの瞳に、深い絶望が宿る。
それはあまりにも昏く深く、見ているだけでその闇に引きずり込まれてしまいそうだ。
「エリーレが、いったい何を」
ルーフェスは困惑していたが、サーラにはわかってしまった。
彼女がエリーレだけではなく側妃まで毒殺しようとした時点で、何となく気が付いていたのだ。
「それほど、愛していたのですか?」
マドリアナは、サーラの呼びかけに何度も頷いた。
「……ええ。愛していました。レナート様を、誰よりも」
レナートにとって、マドリアナは政略結婚の相手に過ぎない。
本当に愛していたのはルーフェスの妹エリーレで、彼女のことだけが大切だった。
でもマドリアナは、そんなレナートを愛していたのだ。
その手を地に染めてしまうほど、深く。
「もしエリーレが、レナート様のことを愛していたら。レナート様に愛されるという喜びを素直に受け取っていたら、わたくしもここまであの子を憎むことはなかった。でも、エリーレは……」
マドリアナが切望し、そして得られなかったもの。
レナートの愛を一身に受けたエリーレは、それを辞退し続けていた。
後ろ盾がないという、ただそれだけの理由で。
「……罪を、認めますわ」
言葉をなくして立ち尽くしているルーフェスの前で、マドリアナはぽつりとそう言った。
「エリーレとリアンジュに毒を盛るように指示したのは、わたくしです。
侍女は、わたくしの指示に従っただけ。父も、関係ありません。覚悟はできています。どうかわたくしを、死罪にしてくださいませ」
マドリアナとの面会を終えたサーラとルーフェスは、地下牢から宮廷内にある宛がわれた部屋に戻った。
あんな話を聞いたあとに彼をひとりにする気にはなれなくて、サーラは自分の部屋ではなく、ルーフェスの部屋に一緒に行くことにした。
俯き、ソファーに座り込んだままのルーフェスに、そっと寄り添う。
妹の死因が他殺だったというだけでも衝撃的なのに、仲良くしていた相手に憎まれて殺されてしまったのだ。
エリーレが、レナートと婚約しなければ防げた悲劇。ルーフェスはそう思って、自分を責めている。
レナートもきっと同じだろう。
同行した騎士が、マドリアナの証言をすべて彼に報告しているはずだ。
(でも……)
サーラは思う。
エリーレは本当に、ただ義務だけで耐えていたのか。
そしてマドリアナから向けられる悪意に、まったく気が付かなかったのだろうか。
自分と違って、エリーレは婚約者にも家族にも愛されていた。
もし彼女が本気で嫌がっていたら、レナートもルーフェスもそれを強要することはなかったはずだ。
王国と帝国の差はあるかもしれないが、妃教育もかなり厳しい。
ただ義務だけで、それに耐えていたとは思えない。
それに、マドリアナから向けられた悪意に、まったく気が付かないほど鈍感な女性ではなかったように思える。
(私は彼女を知らないから、予想でしかないけれど……)
マドリアナに憎まれていることも、周囲から勝手に期待され、また勝手に疎ましく思われていることも、すべて受け入れていた。
そして自分の意志で、レナードの傍にいることを選んだ。
そう思えてならない。
エリーレもまた、レナードを愛していたのではないか。
だが、確証もないのに故人の想いを勝手に代弁することはできない。
今のサーラにできるのは、ただルーフェスの傍にいることだけだった。
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