第六章:メイド誕生編

第29話 メイドはトッシュに雇われたい

 チュンチュン、チチチ……。


 小鳥の鳴き声が温かな陽差しに溶け合うようにして踊り、夢うつつなトッシュの意識をくすぐる。


「うーん。朝か……。あー。そうだ、ここ、俺が買った洋館だ。3日目でも軽く驚くな……」


 ぼんやりと天井を見上げて、自分が身の丈に合わないほどに豪奢な洋館を購入したことを思いだす。


 耳の裏をぽりぽりとかきながら部屋を出て、トイレへ向かう。


 その途中、人の気配を感じて炊事場を覗いてみれば、見慣れぬ姿があった。


 小柄なレインよりかは小さいが、シルよりは大きい。

 ちょうどふたりの中間くらいの背だ。


 長いスカートが裾に向かって広がっている。トッシュの知る異性は動きやすい服装を好む者ばかりなので、心当たりがない。


「おはよう?」


 いきなり誰何するわけにもいかず声をかけると、小柄な人物は振り返り、スカートを花のようにふわりと膨らませる。


「おはようございます。ご主人様」


 笑顔の眩しい少女だ。大輪のヒマワリのような笑みは、どのような相手でも一目で好意を抱くだろう。実際、トッシュは少女の身元が明らかではなくとも、悪い人ではないと確信した。

 見覚えはない。


 けど、すぐに心当たりに思い至った。


「あ、あー。もしかしなくても昨日のゾンビメイド」


「はい。ご主人様。その節は、私を救って頂き、誠にありがとうございます」


「あー。いや別に。これ、君が?」


 炊事場は壁やタイルがピカピカに磨かれて、まるでガラスで薄くコーティングしたかのように輝いている。


「はい。皆様に朝食をご用意しようかと思ったのですが、生憎と食材がなにもなく……。手持ち無沙汰で掃除をしておりました」


「あ、あー。ありがとう。でも、こんなことしてくれなくてもいいのに」


「メイドですから」


「メイドだからか」


 実はトッシュは、メイドが何かよく分かっていない。

 同僚のドルゴに連れられてメイド喫茶に一度行ったことがある程度の知識しかない。

 そのため、フリフリした服を着たフロア担当くらいの認識だ。


 とりあえず食材がないのは確かだから、トッシュは太もものポケットからキュウリを取りだす。


「キュウリと、あとは、粉チーズしかない」


「ど、どうして、ポケットからキュウリと粉チーズが……」


 微笑みをたたえていたメイドの表情が初めて崩れた。

 ご主人様に礼儀正しく尽くそうという心構えがあっても、いきなりポケットからキュウリを出されれば驚くのもやむなし。


「とりあえず、朝食はおいておいて、自己紹介。

 俺はトッシュ・アレイ。名乗るが遅れてごめん」


「私は、ミー・ルクティと申します。ミルクティを淹れるのが得意な、ミー・ルクティです」


「よろしく。ルクティ」


「はい。よろしくお願い致します。ご主人様」


「別に雇用関係にあるわけでもないんだから、ご主人様はやめてよ」


 トッシュが顔を洗うと、ルクティがさっとタオルを出してくれた。

 この辺りはメイドらしい気遣いだ。


「そのことなのですが、折り入って相談が……」


「ん?」


「私をこのお屋敷で雇ってください。トッシュ様、私のご主人様になってください」


「残念なことに人を雇うような金がない……」


「お給金はなくても構いません。私は人間になったばかりで、行く当てもないのです」


「あ、あー。そういうこと。なら、暫く部屋を貸すよ」


「ありがとうございます」


 ルクティの眦に大粒の涙が浮かぶ。


「ど、どうしたの」


「す、すみません……。わたし、何年もゾンビになってずっと彷徨っていて……。こうして、元に戻れて……。それで……」


 ルクティは嘔吐き始め、もう、声にならなくなってしまう。

 肩が刻みに震える。


「素敵なっ……。ううっ。ご主人様……。出会えて……。ひぐっ……。嬉し……。ううっ。ひぐっ、ひぐっ……」


「ルクティ……」


 トッシュは完全に善意100パーセントで、ルクティの背中をさすり始める。

 ちょうど位置的に、たまたま正面から抱きしめるような形で、背中に手を回している。


 不幸な事に、というか、数年間ゾンビ生活を送っていたという発言から察するに、ある意味当然のことなのだが、メイド服や下着はボロボロだった。


 だから、トッシュが背中を撫でたとき、耐久力が限界まで来ていたメイド服は裂け、ブラジャーもホックがぶっ壊れ、14歳とは思えない豊満な胸が躍り出て、ゾンビから人間に戻ったことを喜ぶかのような生命力の躍動が、ツンッと天井を指すように大きく揺れた、ちょうどその瞬間、「おはようございます、先ぱ、おぎゃあああああああああああああっ!」と、レインが現れた。


「きゃっ」


 レインの傍らでシルがビクッとして両耳を押さえた。


「せ、せせ、先輩、朝から、な、なな、何を!」


 もちろん、レインはトッシュを信じている。

 立場の弱いメイド少女を無理やりに襲うはずがないと。

 しかし、同性のレインでもつい、視線を吸い寄せられてしまうほどにたわわな胸が、まろんっと露出して、未だに弾けたときの余韻でぷるんぷるんと上下に優しく弾んでいる。


 ルクティは胸元を押さえ、すっと頭を下げる。


「おはようございます。奥様、お嬢様。

 私、本日から当家で奉公させて頂くことになりました、

 メイドのミー・ルクティと申します」


「奥様……?」


 その言葉の響きは、レインの心をドカンッと激しく揺さぶる。

 衝撃的な光景を見た直後とはいえ、レインは瞬時に頭をフル回転させて、つまり、このメイドはトッシュが旦那様で私が奥様、シルが娘だと思っている? あり! それはありですよ! と妄想の世界に突入。


「えへ、えへへ……。私、奥様……」


 腰をくねくねさせ始めた。


「レイン、動きが気持ち悪い……」


 ぽそっと、娘役がこぼした。

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