第六章、その4

澎湃ほうはいする海原の~大波砕け~散るところ~」

 父とのわだかまりが解けた優は清々しそうな表情で車椅子を押しながら凛々しい声で歌う、吹き付ける潮風を感じながら夏帆は微笑みながら水無月大佐に訊く。

「優君が歌ってる曲って、海軍の軍歌ですか?」

「ええ、海軍兵学校の校歌ではないんですが、事実上の校歌です。私が休暇でたまに部下や兵学校時代の同期や先輩後輩を連れて家に遊びに行き、酒に酔った時に必ず歌って、幼い優もよく一緒に歌ってましたよ」

 水無月大佐は懐かしそうに微笑みながら話すと、優も話しに加わる。

「子守唄は父さんの軍歌だったんだ、今でも軍艦マーチとか海行かばとか、歌詞を見ないで歌えるよ」

「優君やっぱり海軍の子ね、そりゃカッター部からも勧誘されるわけだよ」

 夏帆はクスリと微笑むと、水無月大佐が興味を示す。

「カッター部? カッターボートだな、優はカッター部に入らないのかい?」

「入れないし入りたくないよ、放課後アルバイトや古武道の稽古、週末にはタクトレもあるんだから……それに入ったら朝から晩まで週末は勿論夏休みまで休日返上で練習、まさに現代の月月火水木金金だよ」

「優が忙しいなら仕方ない、勉学に励み、鍛練を積んでるのなら何も言わん」

 水無月大佐は少し残念そうに溜め息吐く、優君のお父さんって厳しそうに見えて案外甘かったりしてと思っていた時だった。三笠公園を一通り回って来た道を戻って海沿いを歩くと、見覚えのある二人組の女の子が周囲を見回しながら歩いてる。

「えっ? 嘘……まさか」

 屈んで目を凝らして見るが間違いない、一目でわかった。

「美由ちゃん……それに――」

 一人はキャスケット帽を被り、紺色のショートボブで両耳の上にトレードマークとも言える二対の赤い髪留め。猫のような愛らしくも凛々しい目鼻立ちに、キュッと結んだ桃色の唇が目を引く女の子――真島美由だ。

「――妙ちゃんも」

 もう一人は幼顔に小柄な体格、栗色の長い髪で小学校高学年にしか見えず、見た目も性格も仔犬のように明るく誰とも仲良くする人懐っこい性格で、いつも美由と一緒に行動していた女の子――井坂妙子だ。

 夏帆は座っていると気付いて貰えない気がした。

「優君、止めて!」

「どうしたの草薙さ――ってどうしたの!?」

 強く言う夏帆に優は車椅子を止めると、ブレーキをかけて車椅子から立ち上がった。

 今見つけてもらえなかったら二度と会えなくなる気がしたのだ。

 一週間昏睡していただけで一歩一歩踏み締める足と、それ以上に体が重く感じる。リハビリの先生によればすぐ歩けるようだが、車椅子にしておいて正解だった。

 鉛でできた靴を履いてるかと思うほど重い足取りで精一杯叫ぶ。

「美由ちゃん! 妙ちゃん!」

 二人の女の子は声に反応してこっちを向いた! 遠くて表情はよく見えないけど、周囲を見回しながら歩いてることからなんとなく自分を探してるのは間違いない、だから力の限り叫んだ。


「あたしは……ここよぉっ!」


 その瞬間的、二人の女の子が感極まって泣きそうな顔で駆け寄って来る、ああ間違いない……美由ちゃんと妙ちゃんだ。夏帆は確信した瞬間、膝が曲がって崩れ落ちる。

「夏帆ちゃん! いきなり立っちゃ駄目よ!」

 気付いた妙子が叫びながら走り寄る、妙子と美由の動きがスローモーションに引き伸ばされて両膝を付く。

「二人共……会いに来てくれたの?」

 一緒に両膝付いて視線を同じ高さにした美由が安堵と嬉しさに満ちた笑みで頷く。

「うん……目が覚めたって訊いたから……来ちゃった」

「いても立ってもいられなかったのよ、美由ちゃんったら昨日今すぐ会いに行こうって」

 妙子も嬉しそうに微笑みながら頷く。でもどうして? ここまで来るのに大変だったはずだ。夏帆は突然の再会に受け止めきれなかった。

「……美由ちゃんが?」

「うん、言い出したら聞かないのは相変わらずよ」

 妙子は誇らしげに言うと、美由も首を縦に振りながら暴露する。

「妙ちゃんったら夏帆ちゃんが目覚めたって一報が来たら大泣きしたのよ」

「ちょっと美由ちゃん! それ恥ずかしいから言わないでよ!」

 妙子は恥ずかしげに頬を赤らめると、美由は夏帆の瞳を真っ直ぐ見つめて笑う。

「ふふふ……やっと……夏帆ちゃんの顔を見れてよかった、写真で見た時に凄くいい顔をしてたから」

「じゃあ……どうしてわざわざ?」

 夏帆はずっと胸の奥底に突き刺さってる痛みが強くなるのを感じながら訊くと、美由は凛とした眼差しになる。

「あたしも妙ちゃんも、オンラインやリモートで顔を見たって安心しないわ……離れていても繋がってるなんて言葉、あたし大っ嫌いなの――」

 そう夏帆もあの世界で強く感じていた気持ちだ。

「――だって、どんなに強く繋がっても……会いたい時に会えないんじゃ、何の意味もないから!」

 その瞬間、ずっと夏帆の胸に引っ掛かっていたものが離れ始める。

 そうだよね、どんなに遠く離れていて強く繋がっていても、会いたい時に会えないんじゃ何の意味もないもんね……。

 それが離れてやがて消えて行くと、同時にずっと溜め込んでいたものが外へと流れて行く。

「美由ちゃん……妙ちゃん……ごめんね……あたしあの時、二人が手を差し伸べてくれた意味がやっとわかったわ――」

 それは涙となって溢れだし、温かく頬を伝って流れ落ちる。

「――あたしね……一年でさよならしちゃうのが……凄く寂しくて、お別れの時が辛くなるのが怖くて……冷たくしちゃったの」

 そう、あの時二人が差し伸べてくれた手を払い除ける選択肢だってあったはず、だけど夏帆は少なくとも二人の手を払い除けなかった。美由は温かい笑みで頷く。

「うん……知ってた。夏帆ちゃん本当は寂しがり屋さんだって」

「それに冷たくなんかなかったよ、ただ……ほんの少し怖がってただけ」

 妙子はポケットからスマホを取り出して見せると、内地にいた頃の写真を見せる。

 その写真は一緒に三人でどこかへ出掛けた一枚で、明らかに隠し撮りしたものだった。

「これって……」

 写真の夏帆の横顔は、心から笑っている笑顔だった。妙子は悪戯してやったっという笑みになる。

「えへへへ……こっそり撮っちゃった、夏帆ちゃん笑うと凄く可愛いんだね」

「他にもいっぱいあるよ、そりゃあ数え切れないくらいね」

 美由も悪戯っ子のように笑う。ああ、そうかあたしはちゃんとあの時、心から笑ってたんだと夏帆は安堵すると同時に今ここで伝えるべきだと決意する。

「美由ちゃん……妙ちゃん……あの時……手を差し伸べてくれて……友達になってくれて、本当に……ありがとう!」

 夏帆は泣きながら満面の笑顔で一番伝えたかったことを言葉にした。

 涙を拭って心が一層晴れやかになって顔を上げると、美由が右手を伸ばす。

「立てる? 夏帆ちゃん?」

「あたしたちが支えるから」

 妙子が左手を伸ばす、夏帆の心はようやくこの後悔と決別する時だと両手をゆっくり伸ばし、二人の手に触れると繋ぎ、それを支えにして立ち上がった。


――やっと……本当の意味で心を繋ぐことができたんだ。


 夏帆は二人の素敵な友達との繋がりを実感してると、優がゆっくりと車椅子を押しながら歩み寄って来ると美由と妙子に一礼した。

「草薙さん、大丈夫?」

「うん、大丈夫よ優君……紹介するね」

 夏帆は美由と妙子に介助されながら車椅子に座る。

「内地の友達、真島美由ちゃんと――」

 美由は「初めまして」と優と水無月大佐に一礼する。

「――井坂妙子ちゃんよ」

 妙子の方はニヤニヤを堪えてる様子で交互に夏帆と優に視線を向ける、優の方は車椅子のハンドルを握ったまま一礼する。

「初めまして、水無月優です」

「優の父です」

 水無月大佐も本物の紳士そのものの気品ある一礼を見せると、堪えきれくなったのか妙子はニヤニヤしながら夏帆に迫って訊いた。

「ねぇねぇ夏帆ちゃん、もしかして水無月君と……付き合ってるの?」

「ええっ!? いきなりどうして!?」

「だって……水無月君のこと、名前で呼んでたじゃない!」

 妙子に言われて夏帆はやってしまった! と今更気付いた。

「そうなの夏帆ちゃん!?」

 美由は裏返った声で訊く、しかもお父さんの前で! 優も思わず頬を赤くして俯くと、水無月大佐は興味津々の眼差しで訊く。

「それは本当なのか優?」

「いや……その……付き合ってるってわけじゃないけど……」

 優は愛らしい女の子のように頬を赤らめて目を逸らすし、左手側面を唇に当てる。

「私はいいと思うぞ」

 水無月大佐は穏やかな笑みでそう言って夏帆の前に出て片膝着き、見つめる。

「夏帆さん、あなたは本当に気立てのいい素晴らしいお嬢さんです……もしよろしければ、高校か大学を卒業したら――」

 水無月大佐は一呼吸置いて、夏帆に告げた。


「――水無月家に、嫁いで来てくれませんか?」


 一瞬、なんて言われてるのかわからなかった。

 その一瞬が長い時間に引き伸ばされ、嫁いで来てくれないか? ってそれって夏帆は困惑する。

「それって……優君と……」

「はい、水無月家の長男――いいえ、優の妻になってくれませんか?」

 止まっていた時間が動き出し、優、美由、妙子、夏帆の四人は声を揃える。


「「「「えええええーっ!?」」」」


「と、父さん! 何言ってるんだよ! もうそういう時代じゃないんだよ!」

 優は顔を真っ赤にしながら声を上げると、水無月大佐は立つ。

「わかっているさ、だけど優……こんな素敵なお嬢さんを逃すのは勿体ないと思うぞ」

「わ、わかってるよ……く、草薙さんそろそろ病院に戻らないと看護師さんたちが心配するから! 行こう」

 優はそれだけ言うと顔を仄かに赤らめて目を逸らしながら車椅子を押す、その帰りに妙子は明らかに優にも聞こえる声で訊いた。

「ねぇねぇ夏帆ちゃん、水無月君ってどんな子?」

「妙ちゃん、今は訊かないであげて」

 返答に困る夏帆の代わりに美由が咎めるが、水無月大佐が豪快に笑って答える。

「はっはっはっはっ! 私の自慢の息子だ、立派な皇国男児こうこくだんじのお手本と言っていいぞ」

 水無月大佐の言うことには古臭さを感じるが、優君は強くて優しい男の子なのは確かだった。

 きっと前世では絶対に出会えないだろうな。

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