第六章、その3

 目が覚めて二日後の木曜日、しばらくの間入院することになって昨日はみんなや先生、クラスメイトたちがお見舞いに来てくれた。

 昏睡から目覚めてからはリハビリが必要らしく、それまでは車椅子らしい。みんなが帰ると退屈に感じていて早く退院して学校行きたいと思っていた時だった。

「失礼します」

 知らない男の人の威厳のある声だ、誰だろう? 入ってきたのは真っ白な第二種軍装を一切の乱れなく身を包み、左手には脱いだ軍帽、腰には短剣を身に付けた海軍大佐――親睦会の時に見た水無月優のお父さんだった。

「初めまして、かな? 草薙夏帆さん、水無月優の父です」

「は、初めまして! 草薙夏帆です!」

 夏帆は思わず緊張すると彫りの深い威厳のある顔立ちで、以前見た時は凄く厳しくて怖そうな人だと思っていたが、優によく似た眼差しは鋭くも優しげで口調も凛々しくも穏やかだった。

「お怪我の方はもう大丈夫ですか?」

「はい、しばらく入院ですけど大丈夫です」

「よかったです。このたびは息子のために危険を顧みず身を挺して下さって、本当にありがとうございました!」

 水無月大佐は最敬礼する、軍人である以上に一人の父親として感謝してるのだろう。

「いいえ、水無月君――優君には何度も助けてもらいましたから」

「何度も……優は中学を卒業した後、周りの反対を押し切って敷島の叔父の家に住み着いて……私も優と向き合う機会も殆どなくなってしまいまして……海軍の任務が忙しくてなかなか家に帰れないというのもありますが」

 水無月大佐の眼差しと表情は海軍士官ではなく、息子との接し方に悩む一人の不器用な父親のだった。だから夏帆は切り出した。

「あの、優君のことお話ししますね」

 すると水無月大佐は嬉しそうに頷いて丸椅子に座る。

「是非、聞かせてくれますか?」

「はい、初めて会ったのは――」

 夏帆はまず最初に港湾地区でトラックに轢かれそうになった時、身の危険を顧みずに助けてくれたこと、偶然にも同じ学校でクラスメイトの幼馴染みの友達だったこと、二人になった時に水産高校の生徒に絡まれて守ってくれたことを話した。

 それを一通り話すと水無月大佐は鋭い眼差しを穏やかなものにして言う。

「そうだったんですね、私も人のこと言えませんが……全く無茶な真似をしおって……素行の悪い与太者から君を守って喧嘩したこと、全然話してくれないものでしてね……」

「でも、優君はお父さんのこと誇りに思い、尊敬してるって話してました……この前の臨海学校の時、同じ部屋の子達に海軍兵学校の五省を教えてました」

「五省を? 優がクラスメイトの友達に?」

 水無月大佐は興味と一緒に密かに嬉しさが入り雑じった眼差しになる。

「はい、山森君から聞いたんですけど、優君お父さんの教えを忠実に守ってみんなにも話していて……だから同時に、自分を責めていたんです」

 夏帆は優と星空を見上げたの臨海学校の夜を思い出すと、水無月大佐はその先を訊く。

「……責めていた?」

「はい、兵予学校の受験に失敗して家族みんなの期待――特にお父さんの期待を裏切ってしまったって、いたたまれなくなって敷島に来たって話してました」

 夏帆は話しよかったのだろうかと思ってると、水無月大佐は懐かしそうに思い出を話す。

「そうだったんですね、実は私も昔……普通の高校に行きたくて兵予学校の面接官にそれを見抜かれて不合格になったんです。血は……争えないか、まあ無理もありません、兵予学校は体力は勿論中学校でも成績トップな成績優秀スポーツ万能な子でもなかなか難しいですものから」

 成績優秀スポーツ万能の子という言葉に夏帆は何となく喜代彦を思い出す、普通の高校に行きたかったのは優も同じだった。夏帆は優と出会ってから今日までのことを思い返しながら話す。

「でも、それであたしは優君に出会えた。とても優しくて、強くて、笑顔が眩しい……優君は本当に素敵な男の子です」

 そう言うと水無月大佐は夏帆を何かを見抜いたかのように見つめると、やがて微笑む。

「夏帆さんこそ、あなたは本当に素敵なお嬢さんです……もっと聞かせくれますか? 優のことを」

「はい」

 夏帆は転校してから今日までのこと時間を忘れて話した、やがて一時間ぐらい話すと水無月大佐の顔はすっかり穏やかで優しい父親の顔になっていた。

「優は……妻に似て大人しくて争い事を好まない子でしたが、こんなにも強くなっていたんですね……さて、私もそろそろ基地に戻らないといけませんので……また明日、お伺いしますね」

「あの! 明日も来られるなら――」

 夏帆は一つ、水無月大佐に提案した。



 翌日の放課後、優は夏帆からLINEで散歩の許可を貰ったから車椅子を押して欲しいというメッセージが来ていた、優は快諾してすぐに敷島市内に向かう。

 到着すると、すぐに散歩の用意をして辛うじて動ける夏帆は少し申し訳なさそうに言う。

「ごめんね、急に呼び出して頼んで」

「気にしないで、部屋に籠ってばかりじゃカビが生えるからね」

 優は慣れない手付きで車椅子を用意すると夏帆はベッドから車椅子に移る、水色のパジャマの上にサマーカーディガンを着て麦藁帽子を被ると、優は訊いた。

「お父さんやお母さんじゃなくてよかったの?」

「診療所の仕事も忙しいからね……三笠みかさ公園までお願いしていい?」

「うん、勿論」

 優は慣れない車椅子を押して病院を出ると、結構凸凹するんだなと思いながら車椅子を押して歩く、交通量の多い幹線道路を渡ると街路樹の下を通って敷島湾に面して静かな緑溢れる三笠公園に入る、芝生に囲まれて舗装された道を歩きながら優は訊いた。

「どこへ行く、軌道エレベーターが見える所?」

「うん、そこの道を真っ直ぐ行って桟橋の方に」

 夏帆の視線の先には敷島湾に面した開けた場所で、海に向かい合う形で横並びにいくつものベンチが設置されてる。

 優は芝生に挟まれた広い道を出ると潮風を夏帆と一緒に受けながら左に曲がって歩くと、軌道エレベーターアマテラスより更に向こうの空と海の果てを見ている白い制服の海軍士官が、凛とした姿勢で立っていた。

 父……さん? 優にはすぐにわかった。

 車椅子を押して歩く足が重くなっていき、やがてすぐ傍まで来ると父親の水無月定道が海の方を見たまま独り言のように言う。

「いい潮風だな優……この風はいつも、安らぎと希望を与えてくれる」

「……父さん」

 優は思わず車椅子を止めると、父は車椅子を押してる優の方を向いた。

「待っていたぞ、優」

「どうして……ここに?」

 優が思わず口にすると、夏帆は凛とした声で明かす。

「あたしが呼んだの」

「草薙さんが?」

「うん、昨日お父さんが見舞いに来てくれてね。いろいろお話ししたの」

 夏帆はそう言って父の方を向くと、父も歩み寄る。

「優、昨日夏帆さんからいろいろと話しを聞かせて貰ったよ」

「うん」

 優は思わず目を逸らす。父さんの期待に応えられなかったのに僕は父さんを求めている、なんて図々しいんだろうと思ってると、夏帆の芯の通った声が響く。

「優君――」

 車椅子に座ってる夏帆は振り向き、優に背中を押す母親のように優しい眼差しを見せる。

「――目を逸らさないで……」

「草薙さん?」

「お父さんと……向き合ってみよう」

 夏帆に諭された優は目を逸らすのをやめて頷き、歩み寄って父と向き合う。

「……父さん」

「優……夏帆さんから聞いたよ。父さんの教え、きちんと守っているんだな」

「うん、でも父さんの期待に応えられなかった……兵予学校には行けなかった」

 優は両手の拳を握り締める、本当は普通の高校に行きたかったことやそれを面接官に見抜かれていたことも、話さないといけないと唇を噛むと父は軽く一息吐いた。

「それは父さんも同じだ」

「えっ? 同じ?」

 優は思わず訊くと父は頷く。

「話すのは初めてだな、父さんはお前くらいの頃……本当は普通の高校に行きたかった、それを面接官に見抜かれてしまってね……お前は違ったのかもな」

 父は悔恨の眼差しになって見つめられると、優は胸の内を明かした。

「父さん……実は俺もそうなんだ! 俺も本当は普通の学校に行きたかった! だけどそんなこと言ったら……父さんを裏切ってしまうんじゃないかって! でも、結局……兵予学校に行けず……父さんを裏切ってしまった」 

 もう父さんとの繋がりは持てないのかもしれない、そう思いながら父を見つめてると彼は歩み寄ってきてポンと肩に手を乗せる。

「私は気にしていなかったが……やはりお前は違ったな、兵予学校に行けなかったこと、私が思ってる以上に自分を責めていたことを……優……苦しかったことに気付かなくて、本当にすまなかった」

 父の表情と眼差しは後悔と自責の念が籠っていた、優は首を横に振る。

「父さんは悪くないよ……兵予学校には行けなかったけど……俺……毎日が楽しくて、充実していて……草薙さんが転校してきてから本当の自分としてみんなとの繋がりを持つことができたんだ! 俺……敷島に来て本当によかった!」

 これは断言できる、優は真っ直ぐ見つめると父は今まで見たことないほどの穏やかで優しい微笑みを見せて肩に乗せていた手を降ろした。

「安心したよ優、お前が高校卒業して海軍兵学校に行こうが大学に行こうが、どこかの会社に就職しようが……真っ当に生きてる限り、お前は私の自慢の息子だ」

 家柄なんか気にせずお前は自由に生きろ、父さんにそう言って貰えた気がして、とても嬉しくて思わず微笑みを返した。

「うん……俺、父さんにとって恥ずかしくない立派な男になるよ!」

「優、もし生きる道に迷ったら海軍に来い――」

 父は敷島湾の方を向いて二・三歩進み、茜色に染まった空と海の向こう側を見るかのように遠い目になる。

「――このどこまでも広がる空と海が、お前を導いてくれる」

 どこまでも広がる空と海が、だけど優は思わず笑う。

「それ、海軍じゃなくてもよくない?」

「そうだな、だが……この広い空と海が私の生きる道を示してくれたのは本当だ」

 父は微笑み空を見上げる。父は海軍兵学校卒業後に艦上戦闘機の搭乗員アビエイターになり、空母航空団司令になっても多忙を極める中の今でも腕を磨くため、F/A18戦闘機を乗り回してるという。

 どこかで聞いた話だが、海軍の空母艦載機の搭乗員は海の男であると同時に空の男であると話を聞いたことある、父さんはまさにそれだった。

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