第六章、その2

 山森喜代彦は微笑みながら教室の窓の外を見下ろす。あいつ、男の顔になったな。

 知り合ったばかりの頃は大人しくて暗い印象だったけど、草薙夏帆が転校してきてから変わった――いや、本当の自分を見せるようになったと言うべきか?

 校門を出て消えていった優の背中を見送ると授業のため、席に着こうとした瞬間だった。

「山森君!」

 ミミナの凛とした声が教室に響くと再び生徒たちの視線が集中する、彼女の目は真っ直ぐ喜代彦を貫かんばかりに見つめて言い放つ。

「こんなことしてる暇あるの? 私たちも行くよ!」

「行くって……もしかして」

「当たり前よ! 授業と友達、どっちが大事なの!?」

 ミミナに強く諭される、どっちも大事だがそんなのは優柔不断な奴の答えできっと聞きたくないだろう、香奈枝や凪沙だってそうだろう。喜代彦は溜め息吐いて微笑み、頷いた。

「そうだな、追いかけるか」

 喜代彦は自分の机から鞄を取り、ついでに優の席からも置いてった鞄も取って教室を出ようとすると授業のため教室に入ってきた担任の赤城先生と鉢合わせした。

「山森君、潮海さん? どこへ?」

「すいません、草薙さんが目を覚ましたので俺と水無月君と潮海さんは早退します!」

 喜代彦がそれだけ言うと返事を聞く間もなく廊下に出て昇降口に急ぐと、香奈枝と凪沙が待っており、凪沙は待ちきれない様子で急かす。

「急いで急いで二人とも! 水無月君行っちゃうよ!」

「いや凪沙、多分もう優は汐電に乗ってると思うよ」

 香奈枝の方は比較的落ち着いた様子だ。

「大丈夫! 校門に迎えの車を呼んでるから!」

 流石は電鉄グループ会長のご令嬢だ。喜代彦はミミナをアニメに出てくるお嬢様キャラみたいだと思ってたが、草薙夏帆が転校してきてからはおしとやかなお転婆娘だと考えを改めていた。

「さっすがミミナ! 行き先は夏帆の病院ね!」

 凪沙の心から明るい笑顔を久しぶりに見た気がする、校門まで走ると待機していた黒い高級車の後部に乗って座り、助手席に座ったミミナが使用人の運転手に告げる。

森川もりかわさん、敷島市立総合病院まで!」

「はい、かしこまりました。皆さんシートベルトをお締め下さい」

 運転手の森川さんに言われるまでもなく進行方向右から喜代彦、凪沙、香奈枝がシートベルトを締めると病院に向けて出発した。



 終点南敷島中央駅汐電を降りると優は扉が開くと同時に走り出し、一度改札口を抜けて敷島電鉄に乗り換えると運良く快速急行に乗って出発、敷島電鉄敷島駅に到着すると市営地下鉄に乗り換える。

 地下鉄を降りて地上に続く長い階段を全速力で駆け上がった瞬間、外は厚い雲に覆われていて優はスコールが降ると確信して外に出た瞬間、全開にしたシャワーのように一気に降り始める。

 構うな! 短時間で止む! ここから病院まですぐだ! 一分でも一秒でも早く草薙さんに会いたいんだ! 雨水に濡れたコンクリートの地面を踏み締めると何度も滑って転びそうになる、横断歩道の青信号が点滅しても構わず走り抜け、優は叫んだ。

「草薙さん!」

 一キロ以上を全力疾走して全身のあらゆる器官が悲鳴を上げるほど酷使する。

 辛い! 苦しい! だけど足を止めるな! 草薙さんに会いたいんだろ!? だったら走れ!!

 病院に到着してロビーに入ると、驚きの顔を見せる職員や他の面会者の視線に構わず、夏帆のいる病室へと向かう。エレベーターは待ってる時間を考えれば階段の方が早いと優は駆け上がる。

 六階の辿り着くと窓の外のスコールは止んでいた。

 優は夏帆が入院してるフロアに入ると肺や心臓、筋肉に酸素を行き渡らせて息を整える。

 汗臭いかも? タオル持ってこればよかったと思いながら今度は別の意味で心臓の鼓動が速まり、ドキドキさせながら一歩一歩踏みしめながら個室の前に立った。

 この中に目を覚ました草薙さんが……優は一歩一歩踏み締めて入った。

 その先にはベッドの上で上半身をギャッジアップして窓の外、視線の先には軌道エレベーターアマテラスに向けている夏帆の横顔と、黒い髪が見えて心の底から安堵する。

 よかった……草薙さん、本当に目を覚ましたんだ。

 だが、同時に抱え込んでいた罪悪感と自責の念に足取りが徐々に重くなる、すると微かな足音と気配に気付いたのか夏帆は振り向いて優と目が合い、そして見つめ合う。

「あっ……」

 夏帆は静かに驚いた眼差しでほんの一瞬の間だけ時間が止まると、次の瞬間にはゆっくりと澄み切った笑顔で迎えてくれた。

「いらっしゃい水無月君、目が覚めたばかりでまだ動けないから……窓、開けてくれる?」

 まるで何事もなかったかのように夏帆は頼み事をすると、優は「うん」と窓際に立って窓の鍵を外して開けた途端、南国の潮風が穏やかに吹き付ける。

 振り向くと夏帆は黒髪を靡かせて気持ちよさそうに微笑み、優を見つめている。

「ありがとう、学校は大丈夫なの?」

「そ……早退するって……言ってきたから」

 優は何を話せばいいかわからず、傍に置いてあった手近な丸椅子に座ると夏帆は訊いた。

「ミミナちゃんは大丈夫だった? あたしのこと凄く心配してたでしょ?」

「うん、一番心配してたけど一番心を強く持ってたよ」

「強いねミミナちゃん……多分あたしたちの中で一番気が――ううん、心が強いと思うよ」

「磯貝さんも……中野さんも……喜代彦も……みんな違った強さを持ってたよ――」

 言葉が出なくて俯く、あの時自分が早く気付いていれば、こんなことにならなかったかもしれないと目が覚めた時の一刻も早く会いたいという気持ちは、どこへ行ってしまったんだろう。

「――なのに……僕は……」

「いいのよ、水無月君は何も悪くないわ……二度も――ううん、今度も助けてくれたから」

「今度も?」

 優は思わずゆっくり顔を上げると、夏帆は母性さえ感じる温かな笑みでポンポンと膝を何度もゆっくり叩いて招く。

「水無月君、こっちにおいで」

 優は恐る恐る躊躇いながら身を寄せると、夏帆は身を乗り出して両腕を伸ばし、優の背中に回して抱き寄せられ、気付いた時には優は夏帆の胸の中で心臓の鼓動と柔らかな乳房の温もりを直に感じ取り、思わず困惑する。

「く……草薙さん?」

「眠っている間にね、暗い夢の中で水無月君の声が聞こえたの……それでこれは夢なんだって気付いて目が覚めることができたの。だからあたしを、辛くて、苦しくて、怖い夢から救ってくれて……ありがとう、優君」

 夏帆にギュッと強く抱き締められて優は長い長い一週間もの間、ずっと抱え込んでいたモノからようやく解放されて夏帆との繋がりを実感し、両目から今まで心に溜め込んでいた自責の念や罪悪感を洗い流すように抑えきれない涙が溢れてきた。

「草薙さん……僕……」

「泣いていいのよ……優君は強い子だってよく知ってるから」

「……うん……うう……」

 優は頷き、夏帆の胸の中で大粒の涙を流して泣いた。温かい……最後に泣いたのはいつだろう? 兵予学校に落ちた時も、草薙さんが事故に遭った時も泣かなかった……その分まで優は泣いた。



 優君ってこんなに泣くんだと、夏帆は慈しむ眼差しで見下ろす。

 思う存分泣いた優はやがて、泣き疲れて膝枕にしたまま目蓋が重くなってそのまま眠ってしまいそうで、夏帆は可愛いとそっと優の頭に手を撫でる。

「潮風が気持ちいいね……優君」

「うん……温かい、ずっとこうしていたいな」

 今の優はまるで母親の膝元で安心しきった小さな子供みたいに思わず笑う。

「ふふふ……甘えん坊さんね」

「膝枕してもらうの……いつ以来かな? ねぇ……草薙さん」

「うん?」

「草薙さんのことさ……」

 優が何かを言おうと口を動かそうとした瞬間、一斉に雪崩れ込んできた。

「夏帆ぉぉぉぉぉっ!! 目が覚めたかぁぁぁぁ!!」 

 切羽詰まった顔で凪沙が真っ先に殴り込みするかのように病室に入ってきた。

「ちょっと凪沙ちゃん、病院では静かに! ええっ!?」

 ミミナの凛とした声が響くと彼女は二人を見た瞬間、歓声とも悲鳴とも言える短い声を上げて両目を見開いて顔を赤熱させ、口許を両手で覆う。

「お待たせ優、道路が渋滞して――」

 次に入ってきた喜代彦と目が合ってしまって病室内の空気が一瞬で凍り付き、状況を認識した他の二人も長く感じる一瞬の間に香奈枝が最後に入ってきた。

「みんなどうしたの? 固まって……」

 香奈枝が部屋を見渡し、優は動きたくても動けないようで夏帆は顔を真っ赤にしてると凪沙は改まった表情で「オホン」と咳き込んで踵を返す。

「夏帆、水無月君、日を改めてまた来るからごゆっくり」

「そ、そうね……今見たことは秘密にしておきましょう」

 ミミナは滅多に見られない貴重なシーンを間近で見られ、興奮を抑えたくても抑えきれないのか、裏返った声になりながら反転すると香奈枝は構わずニヤニヤしながらスマホで写真を撮ろうと構える。

「あらあら目が覚めて早々お熱いじゃない、この分なら大丈夫そうね」

「香奈枝」

 喜代彦は制止する口調になってカメラのレンズを手で遮ると、香奈枝は一瞥して「はいはい」とスマホを下ろすと優は起き上がってみんなにアイコンタクトした瞬間、凪沙は一瞬で泣きベソかいて夏帆に抱きついた。

「夏帆ぉぉぉぉぉっ! よぉぉぉぉがっっだぁぁぁぁぁっ!!」

「凪沙ちゃん、ごめんね心配かけて……ミミナちゃんも香奈枝ちゃんも」

 夏帆は凪沙を抱き締めながら二人に微笑むと、ミミナは嬉しさいっぱいで細い人差し指で涙を拭った。

「夏帆ちゃん、目を覚ましてくれてよかった」

「ホントよ退院したらアマテラスオープンフェスティバルに行こう、勿論みんなでね!」

 香奈枝の言う通りだと夏帆は頷くと、ふと香奈枝は何かを思い出したかのように夏帆に訊いた。

「そうだ夏帆、覚えてるかな? 臨海学校の時にオープンフェスティバル誘うって……」

「えっ? ああ……あれね――」

 夏帆は臨海学校の時、自分の方から優を誘うと言っていたのを思い出すが断言できることがある。

「――あたしの方から優君に誘われちゃった」

「えっ? いつ誘ったの?」

 ベッドの端に座ってる優は心当たりがないようだった、だから夏帆は優の片手を両手で包むように握って見つめ、みんなに目を行き渡らせる。

「あたしが眠ってる時にね、夢の中で聞こえたの……みんなでアマテラスオープンフェスティバルに行こうって……だからあたしも、みんなと一緒に行きたい!」

 夏帆の言葉にみんなは勿論と言わんばかりに頷く。

「そうだね……僕もみんなも同じ気持ちだ、草薙さん、目を覚ましてくれて……この世界に帰ってきてくれて、ありがとう」

 喜代彦が安堵の眼差しで感謝の気持ちを述べると、香奈枝が冷やかす。

「なんだよ喜代彦! この世界って異世界転生とかじゃあるまいし!」

「異世界転生? それって人生うまくいってないおじさん達が大好きな、前世で悲惨な人生を送った主人公が異世界でチートな力を持ってハーレム作る奴?」

 凪沙がさりげなくディスって言うと夏帆は思わずドキッとしてあたしがそうなんだよねと、思わずベッドから跳び上がりそうだった。

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