第六章、その1

 第六章、あの世界にさようなら


 医者の先生の話しによればアマテラスアースポートシティで事故に遭い、この敷島市立総合病院に搬送されて約一週間昏睡状態だった。無人警備車両USVに跳ねられる寸前に庇った水無月優は軽傷で済んで、思わず安堵したが心配だった。

 あの優しくて責任感の強い優君のことだ、きっと自分を責めてるに違いない。

 そしてお昼になると汐ノ坂から両親が駆け付けてきた。

 病室に入るなり血相を変えた父親が白衣姿のまま駆け寄ってきた。

「夏帆! 大丈夫だったか!?」

「夏帆……よかった……あなたったら……本当に無茶をして」

 看護師の母親もナース服姿のまま安堵に満ちた表情で夏帆を抱き締め、嗚咽する。

「よかった……よかった……あなたがこのまま目覚めなかったらどうしようかと」

「お母さん……お父さん……ごめんなさい」

 夏帆はあの世界にいる両親にも向けて謝る。理不尽に夢を奪われ、友達を亡くした苦しみを味わったと同時に自分より先に子供が死んで行く絶望をあの世界の両親に与えたのだ、父親は微笑みながら首を横に振る。

「いいんだ、夏帆が目を覚ましてくれた……それだけでいい」

「そうよ夏帆……何か欲しいものとかある?」

 母親に訊かれると夏帆は少し考える、とりあえず一週間昏睡状態だったからお風呂に入りたいけど……みんなに会いたい――スマホで連絡すれば来てくれるだろうし、考えた末に夏帆の頭に過る。

 それは前世で引き離され、最後を看取ることができなかったキジ猫のツナギだ。

「そうね……猫……飼いたいわね」

「猫? 猫か……俺はいいと思うけど、どうする母さん?」

 いきなり難題を突きつけられたかのように父親は困った顔になると、母親も困ったように微笑む。

「そうね……どんな子がいいの? ベンガル? 黒猫?」

「どんな子でもいいわよ……元気な子ならね」

 夏帆は自分がこの世界に再び草薙夏帆として生まれてくることができたように、ツナギもこの世界に生まれてきたらきっと素敵なことだろうと思いながら告げた。



 あの日以降、水無月優の瞳に映る世界は灰色に色褪せてしまった。

 自分のせいで夏帆は生死の境を彷徨っている、もう意識が戻らないんじゃないかと思うと食事も殆ど喉を通らなかった。


――優、こういう時こそ温かくて美味しいものを食べてしっかり寝ろ、でなきゃ心と一緒に体も悪くなってしまう。


 父親の言うように人間の生きる活力である食事が喉を通らなければ、当然日課である放課後の古武道の稽古やアルバイトにも身が入らず、特に古武道の稽古では殆ど食べてなかったせいで倒れてしまった。


――水無月君、しばらく休みなさい……稽古中に取り返しのつかない怪我をする前にね。


 師範に諭されてしばらく稽古も休み、叔父からもしばらくアルバイトを休むように言われた。


――優、今のお前にバイトは駄目だ……銃なんか持ったらそれで自分を撃ち抜きそうだ。


 それで一週間以上を過ごした火曜日の日、クラスメイトたちの同情の視線を浴びながらこの日の授業も上の空で午前中が終わり、いつものように教室で一人でお弁当の味も感じないまま胃に送る作業を終える。

 心配した様子の喜代彦が優の席まで歩み寄って声をかける。

「今日はちゃんと食べたんだな優」

「……うん、ただ噛んで飲み込むだけだから」

 優はそれっきり何も言わない、夏帆が事故に遭ってからは屋上庭園で女の子たちと食べずにいた。

 屋上庭園でスマホでSNSを見てると、凪沙に無理矢理会話の輪に引き摺りこまれてお喋りしながら過ごすが、今はスマホを見る気もしなかった。

 喜代彦は前の空席から椅子を借りて逆向きに座り、両腕を背もたれに乗せる。

「優、香奈枝も、磯貝さんも、潮海さんも、みんな心を強く持ってるんだ……お前が強く持たなくてどうするんだ?」

「僕は僕だよ……みんながみんな……強いわけじゃない」

「そりゃそうだけどさ、放課後みんなでお見舞いに行こうって香奈枝が言ってたぞ」

 お見舞いに誘われると、いつもなら行くと即答で頷くが行っても目が覚めないままになるかもしれない。先週もバイトと稽古を休み始めてからは毎日放課後すぐに電車で一時間近くかけて面会時間ギリギリまで滞在して帰る日々を過ごしていた。

「お見舞い、今日は――」

 行かないと口にしようとした時、教室の外から慌ただしく走る足音が聞こえて扉が勢い良く乱暴に開くと、クラスメイトたちの視線が集中する。

 視線の先にはミミナが息を切らして汗で髪を乱し、叫ぶように伝えた。

「水無月君! 山森君! 夏帆ちゃんが――」

 ミミナは一呼吸置くその一瞬、クラスメイトの視線が集中してるにも構わず告げた。

「――目を覚ましたわ!」

 目を……覚ました? 草薙さんが……目を覚ました!?

 教室がざわつくその瞬間、優の瞳に映る灰色に色褪せた世界が一気にカラフルな美しい輝きを取り戻し、反射的に席から立ち上がってミミナを見つめる。

 優の瞳から光が戻る。もう一度草薙さんと会って話しができる、笑顔を見ることができる、一緒に遊びに行ける、オープンフェスティバルに誘える、何よりも……好きだって気持ちを伝えられる!

「草薙さん……」

 優は今すぐ会いに行きたいという衝動でいっぱいになり、一歩踏み出すとそれに待ったをかけるかのように予鈴のチャイムが鳴ると二の足を踏むが、喜代彦も立ち上がってポンと優の背中を叩く。

「行け、優。俺の方から言っておくから、だから迷うな……走れ、水無月優」

 芽生えそうになった迷いや躊躇いを振り払うのに十分過ぎる言葉だった、優の眼差しは決意に満ちたものに変わった。

「ありがとう、喜代彦」

「気にするな」

 喜代彦は頼もしく微笑む、優は友に感謝しながらスマホと財布だけを持って躊躇いや迷いを置き去りにして教室を飛び出し、生徒の殆どが授業のため教室に入ったのか静かな廊下を全速力で走る。

「コラッ! そこの二年生! 教室に戻りなさい!」

 制止したのは生徒指導でカッターボート部顧問の先生だ。

「すいません早退します!」

 優は構わず昇降口でスニーカーに履き替えて暑い太陽が照りつける外に出ると、俯いていた顔が前を向いていて校門へと走る。

「はぁ……はぁ……はぁ……草薙さん――」

 今行くから! そのまま汐電汐ノ坂高校前駅に向かって坂道を駆け降りる。

 全身から汗が吹き出して既に心臓や肺、筋肉が悲鳴を上げるが古武道の稽古に比べればどうってことないしシューティングレンジのタクティカルトレーニングで重い装備を身に付け、重い銃を持って走り回ることに比べれば遥かに身軽で楽だ。

「はぁ……はぁ……はぁ………まだまだだな……俺」

 だけど優はもっと鍛えなきゃと痛感しながらも、自然と微笑みが溢れる。幼い頃から鍛練の大切さを説き、自分を鍛えてくれた父に心から感謝した。

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