第六章、その5

 それから数週間後の朝、自分で歩けるようになって退院した夏帆は長い黒髪を編んでエメラルドグリーンの帯を巻き、水色を基調とした赤と白のツツジの花で彩られた浴衣姿になり、下駄を履いて巾着袋を提げて出掛ける。

「それじゃいってきます!」

 今日は待ちに待ったアマテラスオープンフェスティバルだ、汐電山海駅でミミナや凪沙と合流して南敷島中央駅に向かって喜代彦と香奈枝と合流、その辺りから敷島市辺りに向かう人で溢れていた。

 スマホでネットの生中継を見ながら特別快速の臨時列車で敷島市に行くと、この前優やミミナと三人で出掛けたアースポートシティへと今回は地下鉄で向かう。

 既にオープニングセレモニーのテープカットも終えて軌道エレベーターアマテラスも一般客で賑わい、一〇〇〇メートルの展望台や一七〇〇メートルの空中回廊も満員で凡そ四時間待ちらしい。

 満員電車並の地下鉄を降りるとスペースライナーに乗り、窓の外を見ると歩道は大勢の人でひしめき合っていて喜代彦は静かに驚きの声を上げる。

「うわぁ……初めて来るけど滅茶苦茶多いんだな」

「なんたってオープンフェスティバルだからね! この前はどうだった?」

 テンション高めな香奈枝が訊くとミミナは感慨深そうに答える。

「この前も混んでたけど、今日は別格ね……なにしろお祖父様たちが三〇年の歳月をかけて作った軌道エレベーターだから」

「そうね、この人だかりだとこの前のがスカスカに感じるわ」

 夏帆は思わず一女が生前興味を示していた東京ビッグサイトのイベント――コミックマーケット(通称:コミケ)みたいだと思いながら窓の外を見る。優は内地から遊びに来た家族と四人で過ごして、花火の時間が近づいたらに合流するという。

 すると凪沙が興味津々の眼差しで顔を出して訊く。

「ねぇねぇ夏帆、水無月君よくお見舞いに来てくれたんだって?」

「えっ? う……うん、来てくれたわ」

 夏帆は思わず明後日の方向を向きながら頷く、入院中優は頻繁にお見舞いに来て車椅子押してくれたのは確かだ、すると凪沙は夏帆の浴衣を一瞥するとニヤける。

「夏帆……ツツジの花言葉って知ってる?」

「えっ? ええっ? な、なんのことかなぁ?」

 夏帆は全身から汗が噴き出してはぐらかすと、ミミナがこそばゆい声で言う。

「ふふふ……夏帆ちゃん、白いツツジはね、初恋――」

 夏帆はドキッとする。

「――そして赤いツツジは……恋の喜びだよ」

 ミミナはまるで自分のことのようにキュンキュンしてるようで、夏帆はそれ以上に心臓バクバクだった。

 スペースライナーを降りてみんなとアースポートシティの一大イベントを心の底から楽しむ、どこもかしも人・人・人の三拍子でみんな笑顔で瞳を輝かせ、三密とかソーシャルディスタンスなんて頭にないんだろう。

「……よかった、帰ってこれて」

 夏帆はあの世界のことを思い出しながら口にすると、オープン記念に皇国空軍の練習機T4で構成されたブルーインパルスと、皇国海軍の練習機T45Jで構成されたホワイトアローズのアクロバットチームがスモークを焚きながら上空を通過する。

 思わずみんなで「おおーっ!」と歓声を上げる。みんなで集まって、大声でお喋りして、お互いに触れ合って、ありのままの笑顔を見せて繋がりを感じ合う。


 もう、あの世界にはできないことだ。


 夏帆は今、自分が暮らす前世から見て限りなく現実に近い異世界に転生できた理由はわからない。

 だけどこの瞬間を楽しもう、精一杯。

 夕暮れの時間になると軌道エレベーターの真正面にあるコンベンション・センター、アマテラス・セントラルモール前にある広い防災公園の噴水広場にあるベンチで休憩も兼ねて優と待ち合わせする予定で、あと一五分ほどだった。

 防災公園の噴水広場で待ち合わせに利用してる人たちは少なく見積もっても一〇〇人以上は確実で、スマホの時計を見る凪沙は不満げに唇を尖らせる。

「遅いなぁ水無月君、遅くても二〇分前には着いておかないとね」

「そうよそうよ、ねぇ喜代彦!」

 香奈枝はまるで絶対首を縦に振るように! と言わんばかりに眼光で喜代彦に視線を向けると、彼は棒読み気味だった。

「そ、そう……だね……近くで迷子になってるかも?」

「それなら探してみよう! 夏帆ちゃん、ここのベンチから動かないでね!」

 ミミナがそう言って立ち上がると、夏帆はみんなに言う。

「それじゃあ、優君来たら連絡するね!」

「頼んだよ!」

 そう言って凪沙は走り去るがみんな同じ方向だ、大丈夫だろうか? 

 

 夏帆は下駄を履いてる足をブラブラさせながら待ってると前世ではこんな楽しいことなかったと振り返る、ただ優君のクラス担任が赤城先生だったのは驚いた。さすがに前世のことは覚えてなかったが、優君が目に見えて落ち込んでいたと伝えてくれた。

「優君まだかな?」

 夏帆は深呼吸しながら宇宙まで続く軌道エレベーターを見上げる。

 マスクしないで吸う空気は美味しい、こうやってマスクせずにソーシャルディスタンスや三密も気にせず、建物に入る時もディストピア小説のように体温を監視されず、手指の消毒を促されて手荒れも気にしなくていいんだと思うと、不思議な解放感に満たされる。

「この世界にも……いるのかな?」

 夏帆は呟きながら視線を防災公園に戻すと、懐かしい横顔が見えた気がした。

「えっ……まさか……もしかして」

 思わず立ち上がってその背中を視線で追う、次の瞬間には人混みの中に消えて二度と会えなくなる気がした。夏帆は躊躇うことなく履き慣れない下駄で足を踏み出す、一瞬だけ顔が見えた気がする。

 人違いかもしれない、それでも確かめずにはいられなかった。

 浴衣では走れない、できるだけ足取りを速くして声が届く距離まで詰める。

「一女ちゃん……峰岸一女ちゃん!」

 夏帆は前世で自ら命を絶った友達の名前を叫ぶ、その背中が立ち止まって振り向くときょとんとした顔をしていた。黒縁眼鏡に童顔だが前世に比べて大人っぽく、髪も長くなっていていた。

 この世界の彼女にとって見知らぬ子に声をかけられたので、当然ながら首を傾げながら見つめる。

「えっ? えっと……」

「峰岸……一女ちゃん……だよね?」

「はい……そうですけど、どちら様ですか?」

 夏帆は躊躇しながら訊くと、一女が必死に過去の記憶を辿ってるような表情でゆっくりと頷いた瞬間、夏帆は嬉しさのあまりに涙が溢れそうだった。

 よかった、一女ちゃん生きてる……この世界でまた会えた! 夏帆は名前を口にする。

「草薙夏帆です」

「草薙……夏帆……ナギちゃん!?」

 一女は微かに思い出したかのような素振りを見せて夏帆は胸が高鳴るが、次の瞬間には「ハッ」として謝る。

「あっ、ごめんなさい……思わず出ちゃって私にもわからないの」

「ううん、昔……友達にそう呼ばれていたの」

 夏帆はせっかくこの世界で再会した友達に涙を見せまいと微笑み、一女も微笑む。

「不思議ね……なんだか、凄く懐かしい響き……初対面なのに草薙さんとはずっと昔から友達だった気がする……どこかで会ったかな?」

 友達だったんだよ、一女ちゃん……一緒に学校に通ってたんだから。

 一女が覚えてないのは当然だ。そして夏帆にはあの誰一人理解してくれない苦しみを思い出して欲しくない、だから自分との思い出と引き換えにこの世界でかけがえのない思い出で上書きして欲しいと願う。

「ううん、あたしのこと覚えてなくて当たり前よ……一女ちゃん、お友達できた?」

「うん、放課後にね……街で友達のみんなとワイワイするのが楽しみなの」

 無邪気に頷く、それは一女が前世に抱いていた夢の一つだった。

 夏帆は頷いて更に訊く。

「彼氏できた?」

「うん! 決してかっこいい人じゃないしクラスでは目立たないけど、素朴で優しくて芯が通ってる人だよ」

 一女の好きなタイプの男の子だ、きっと優みたいな子だろう。

「毎日楽しい?」

「勿論! あたし二年生になったばかりだけど高校入ってから毎日が楽しくて、彼氏や友達と一緒に大声で笑って、泣いて、時には怒ったり、喧嘩して……まだまだ夢のような日々が待ってるんだって思うと、ワクワクするの!」

「よかったわね一女ちゃん、夢が叶って」

「ナギちゃんは?」

「あたしはね――」

 興味ありげに微笑みながら訊かれると、夏帆の脳裏に敷島に来てあの世界を思い出した日のことが走馬灯のようによぎる。

「――一女ちゃんに負けないくらい楽しい毎日を送ってるわ、ずっと憧れてた青春アニメみたいにね」

「一緒だ! あたしもそうなの! ナギちゃんも彼氏できたの?」

「ううん、でもね……好きな男の子ができたの……これから一緒に花火を見るわ」

「そう、よかった。それじゃあ……そろそろ行くねナギちゃん」

「うん、頑張ってね……一女ちゃん」

「じゃあね」

 一女はそう手を振ると足早に人混みの中に消えていった、まるで最初から存在しなかったように。

 これでよかったのよ……だって自分と一緒にいたらあの辛い記憶を思い出してしまいそうだから、夏帆は踵を反して歩き出すと、指先が震える。

「……一女ちゃん、さようなら……」

 夏帆は別れの言葉を口にした瞬間、ずっと塞き止めいたものが決壊して涙が溢れ始めたが俯くことなく、振り向くことなく、前を向いて足を進めた。


 この世界で幸せに生きていくために、夏帆は二度も親友を失った。

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