エステラを救う方法



 マウカの街は今日も賑わっていた。

 王宮の窓から市場を見下ろし、ため息をつく。

 さっとムルシエラゴ皇帝からの警告書を取り出し、もう一度読んだ。


 警告


 エステラを我らに還すのだ。

 そもそもこの世界の始まりは熱い雨が降り注ぐ「地獄」であり、エステラのような「理想郷」や「天国」とは程遠かった。つまりは元々、この世界は、厳しくいつ死んでもおかしくない世界で生き延びてきた我々のものなのだ。平和ボケしてのうのうと暮らしているお前らは砂糖のように甘やかされて育ち、しまいには我らの世界を奪った。

 憎き神の双子の血を引き、憎きライナスより続くフェルナンデス家九百九十八代目のお前……アネラ・アンナ・フェルナンデス。

 今すぐにエステラから出て行け。さもないとエステラを侵略し、国民、友、娘、最後にはお前を殺戮しに向かう。

 お前の人間関係は全て把握済みだ。隠しようがない。

 もう一度言う。エステラを我らに還すのだ。


     デスグラシア・ムルシエラゴ・エリオット


 まあなんという残虐な人。

 しかし、こんな輩の娘があのソフィアだなんて。信じられない。

 手紙を折りたたんで小箱の奥に入れたとき、ドアが叩かれた。

 あたしはさっとカーテンに包まれた椅子に座る。

「入りなさい」

「失礼します!」

 入ってきたのは、何やら慌てた様子のクロエ。目に涙まで浮かべている。なにが起きたのだろう。

「あっ、あの! ……今から途轍もなく不幸なお知らせを致しますが、よろしいでしょうか」

 不幸なお知らせ。何となく察しがついたあたしはゆっくりと頷いた。姿はみえないけど」

「アリナ様のことなのですが、昨夜何者かに水晶玉を粉々にされたかと思われます……」

 水晶玉を——粉々にされた——

 はっきりと「亡くなった」という表現を使わないことに優しさを感じるが、かえって悲しい。

「そう……」

 自分の母親が亡くなったことが耳に入って最初の言葉がこれである。

 何を言ったらいいか判らなかった。人とはショックを受けたりするとまともな判断ができなくなるらしい。結果、あたしみたいに「そう……」とかいうそっけない返事をしたり、大怪我した後、病院で目を覚ましたときの第一声が「仕事行かなきゃ」だったりする。

 あたしと母親は、似ても似つかない。何故なら、アリナは本当の母親ではないからだ。

 あたしの生みの親は今は亡き第一王妃だ。あたしが二百の時に亡くなってしまったため、写真での姿でしか記憶してないが、本当にあたしにそっくりである。ただ唯一違うのは、右目が猩々緋色でないというだけ。

 アリナは第二皇妃。一夫多妻制のため、第八皇妃までいる。

 クリーム色の髪の毛。緑色の目。色素の全部を目に集めたようなあたしには似ても似つかず、国民からはよく怪しまれた。

 第一皇妃が亡くなったことは王家総動員で隠蔽。何故かは判らないが、大人の事情だろう。

「……クロエ、今すぐにあたしの前から立ち去りなさい。——今は一人にしてほしいの」

 あたしはできるだけ冷酷にそう告げる。今、あたしの心は壊れそうなくらい繊細だということを、はっきり伝えなくてはならないのだ。

 少し震えてしまった声。もう嫌なのだ。この生まれ持った宿命を放棄したいのだ。

「……っ」

 苦しそうに息を飲み込んだクロエ。ごめんね。でも、本当に今は放っておいてほしいの。

「わ、判りました……申し訳ございません」

 ガタン、とドアが閉まる。

 黄昏時のマウカの街。その美しさにまた、哀しくなるのであった。


 あれから数週間。

 あたしも心の整理ができて、なんとか人と話せるようになった。

「失礼します」

 クロエが部屋を訪ねてきた


「あ、アネラさま、お客様がいらっしゃっております」

 来客か。まああのバカップルだと思うから訊くまでも無いと思うが、一応訊いておこう。

「誰?」 

「えーと、雷雷姫様とアナソフィア・ムーン・エリオット様でございます」

 やっぱりね。こいつらは何かあることに来るんだから。

「上げて」

「かしこまりました」

 部屋を出ていくクロエを横目に、あたしは箒を取り出した。そして椅子から立ち上がり、部屋の掃除を始める。

 そして紅茶をいれて、ソファに座って待った。

 バン!!

「アネラァァァ!!! 久しぶり!!!」

 とんでもない音を立ててドアを開けた挙句、大声上げて無断侵入してくるなんて。ソフィア、こんなキャラだったかしら。

「アネラ、久しぶり」

 と、そのあとに静かに入ってきた雷姫。 

『アネラ』『久しぶり』と、同じ単語なのに言葉の抑揚やボリュームで全然違うイメージに捉えられてしまう。ああ、言い方って怖い。

「はいはい、いきなりどうしたんですか、お二人さん」

 あたしが呆れ気味に言うと、雷姫が一枚の紙を差し出してきた。

「何? これ」

「神話。あたしたちはエステラを救うために召喚された。アネラは海のような表情の豊かさを護る『海のペガサス』、あたしは味気ない日常に雷の様な衝撃や抑揚を護る『雷神の子』、ソフィアは人の表面、裏面を蝙蝠のようにひっそりと見守って護る、『悪魔の狼娘』としてエステラにいる」

 何億年も前、この世界に確かにいたあたしたち。

 別世界との間(はざま)でムルシエラゴと闘った時のことは、今も鮮明に覚えている。

 彼奴は巨大すぎて、目には見えない。目に見えない敵を殺すことは思った以上に困難だった。

 盲目に魔術を使う術しかなく、それは永遠に終わらない闘いと化し、あたしたちは戦死。

 実は、あたしたちはここに生まれるまでにも一回転生している。

 ……確か、地球という星の、ヨーロッパってとこ。

 三十年に渡る戦争の末、あたしたちは死んで、またこのエステラで新たな生を授けられて、今ここにいるのだ。

「でさ、いないのよ」

 紅茶を飲みながらソフィアが言う。甘いローズの香が漂うが、そこには少しの緊張も混じっていたのであった。

「何が?」

「『星々の従者』が」

 目を伏せて、睫毛を湯気に揺らすソフィアの横で、雷姫がこめかみを抑えた。

「ムルシエラゴの脅威がだんだん近づいてきていて、人々の希望も失われてきている。だから、また呼び出さなくてはならないんだ」

 そこまで言って目をそっと瞑る雷姫。

「星のように明るい笑顔を振りまき、希望と願いを護る、『星々の従者』を……」

 神話上の人物をまた転生させるには、三人以上の神話上の人物の遺伝子が必要。つまり、それがあたしたちということだ。

 が、遺伝子を提供するには己の何かを犠牲にしなくてはならない。それは体の一部だったり、心だったり。

 正直言って、怖い。

「あたしは、何も怖くないよ」

 ゆっくりと震えた声を絞り出すソフィア。怖いのは伝わってくるのに、どこか頼りがいがありそうだった。

「ソフィア……」

「だって、あたしたちはエステラを救うために生まれてきたんだから。宿命を放棄することはできないもの」

 宿命から逃れることは許されない。

 正直、なんで宿命を自分が背負っているのか、他の人では駄目だったのか、と思うことはあるけど、あたしが「選ばれしもの」だからこそ、宿命とともに生きているのだ、と考えると気が楽になる。

「ええ。そう。あたしたちの宿命は、『選ばれしもの』だからあるの。きっと、神の双子が選んでくださったのよ」

 神殿でひっそりと眠る神の双子の為に、あたしたちは命を懸けてでも宿命を全うし、生まれた意味を見出さなくてはならないのだ。


 神殿は今日もやはり、独特な雰囲気を放っていた。

 家宝である宝石を祭壇に並べる。

「……こんな小さな宝石なんかで大丈夫かな」

 雷姫が不安げにつぶやく。

「この宝石はもともと大魔術に使われていたものだから、人なら簡単に出せる……はず」

 ソフィアもまた、不安げだ。

 それもそうだろう。何故なら召喚に失敗しても奪われるものは奪われる。だから、失敗はゆるされないのだ。

「さっさとやろう。日が暮れちゃうし……」

 召喚できるできないに関わらず、これは果たさなくてはならない使命なのだ

 腹を括ってやるしかない。

 あたしたちは宝石に手を触れさせて、魔力を送った。

 宝石はその単体だけでは力を発揮することができない。あたしたちの魔力があって初めて、眠っている力を引き出すことができるのだ。

 熱を帯びてくる掌。その手で、宝石をそっと包む。

 ここから生まれる星々の従者こそ、エステラを救うのだ。

 三人でアイコンタクトを取り、揃えて呪文を唱える。

「「「エステラ・ディオース!」」」

 かつて、星々の従者が使ったとされているこの呪文。この呪文こそエステラを救った呪文であり、星々の従者をまた呼び起こす魔法でもあるのだ。

 しかし……なんかふらふらするな……

「アネラ……?」

 雷姫が心配そうな表情を浮かべてあたしに近づいてきた。

「何?」

「アネラ、顔青いよ」

「顔が青い? いつものことじゃない」

 あたしは生まれつき肌と髪の色素がない。目の色素もとても薄い状態だ。だから顔色が悪いといつも心配されてきた。実際は元気溌剌としているから問題ないんだけどね。

「いや、青い」

 そう言って雷姫はあたしに鏡を向けてきた。

「……」

 本当に……青かった。

 白いを超越している。もしかして、ふらふらするのって……貧血だから? 

「つかよく考えたら二人も青いじゃん!」

 そう言って二人に鏡を向ける。

 なんでみんなこんな顔色になってんだ? 不思議でならない。

「あ、ほんとだ」

「確かに……じゃああたしたちが奪われたものって」

 ソフィアが不思議そうな表情をして言う。

 答えは一つしかない。もう確信している。

「「「血液」」」

 ほら、やっぱり。

 しかし、なんで血液を奪ったのか。そこが疑問だ。奪うなら他にもあったはずなのに、何故害がさほどない血液を選んだのか。

「判った!!」

 わああ。びっくりした。ソフィアよ、心臓止まりそうになるからそんな急に叫ばないでくれ。

「どしたの?」

「判ったのよ! 何故血液を選んだのか! だってさ、あたしたちの魔術ってほぼ百パー血液使うじゃん! というかまた気づいちゃったんだけど、神話の人物でまだ召喚されていない人、もう一人いるよ!」

 なぜかドヤ顔+キラキラお目目で話しかけてくるソフィア。

 しかし、確かにそうだ。血液は生きていくのに必要なもので、あたしたちの使う魔法ではこれを大量に消費する。今までは全然大丈夫だったからバンバン魔法使っていたけど、今度からは使う場面を見極めなくてはならないのか……それはちょっと厳しいかも。

 で、神話にまだ出てない人って、誰?

「神話にまだ出てない人! ズバリそれは……」

 それは、思いもよらない人物で――











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