第21話 好きの理由

「…………はァ?」


 そんな声を漏らしたのは鳴滝先輩だった。

 眉間にしわを作り、思考を巡らせた結果――、

 僅かなタイムラグの後に、今の茜川の発言がでっち上げであることに気付いたようだ。


「てめェ、ふざけんなよ……っ。

 この期に及んで嘘を吐いてんじゃねェッ!」


 と先輩は言うが、俺たちからすれば先輩の言葉も本当か嘘か判断できない。


 少女Aのことを知るのは茜川だけだし、教師のことを知るのは鳴滝先輩だけだからだ。


 ……茜川の本来の性格が、ショックの許容範囲を越えて歪んでしまったことで、

 茜川の発言の真偽も判断がつかなくなってしまった。


 十中八九、茜川が嘘を吐いたのだろうと思うが、

 しかし十中八九でしかない。完全なる嘘とは言えない。


 こうなると、少女Aの情報を持つ茜川から引き出した情報も、

 簡単に鵜呑みにするのもまずいな……。


「わたしはうそついてないよ。根拠はなに? 

 そっちだってうそついてるんでしょ? だったら、お互いさまじゃん」


 お互い様……ぐうの音も出ないな。

 果たしてこの学園で嘘も吐かず全てを晒け出している生徒がどれだけいるだろう。

 俺が知る限り、裏表がないのは茜川だけだった。


 だが、彼女も現実を知り、こっち側に上がってきた。

 ……そう、上がってきたのだ。


 落ちたのではなく。


 茜川が嘘を吐き始めたことを、俺は破滅に向かっているとは思わない。

 これは成長だろう。


 彼女は今、自分で考え、情報を出すか出さないかを計算し始めている。


 虚実を入り混ぜ他人を惑わし、どう展開を転がすかと頭の中で巡らせている。


 望めば手に入り、敵がいない真っ平らな道を甘やかされながら歩いてきた彼女には今、

 見渡している世界はどこもかしこも凸凹で、泥だらけで、そしてゴールが見えていない。


 聞いたら教えてくれる人の言葉が、信用ならないことも理解している。

 であれば、彼女は自分で開拓していくしかないのだ。


 自分の手で……口で。

 傷つくことを恐れず手を出して、自分の足で。


 茜川は足掻いて、そして、進もうとしている。

 用意されたものを受け取るだけの、お嬢様ではもうない。


「楽しそうだな、茜川」

「あんたもでしょ」


 離れた席にいる高科が、俺の表情を見てそう指摘した。


「その気持ち、分からないでもないけどね」


 そう言う高科の口の端も、無意識に吊り上がっている。

 考えていることは同じだったようだ。


 ゲームにおいて純真無垢は枷でしかない。

 正直者が実は嘘吐きだった、くらいの裏があったら面白いが、

 しかし茜川は自他共に認める印象と本性が揃った生徒だった――。


 そんな彼女がメンバーにいては、ゲームも中々、加速してくれない。


 だけど、茜川が機能し始めた以上、ゲームはここから一段階、ギアが上がるはずだ。


 絶対に面白くなる。

 だったら、肩の荷を下ろすのはまだ早い。


 そして、俺はまず、核心に触れる質問を茜川にした。


「――茜川、少女Aがアイドルになったのは、俺を見返すためか?」



 俺、と言ったが、もちろん少女Aの親友の女子――その兄のことだ。

 親友の兄に好意を抱いていた少女Aは、一度、その兄に振られている。


 当時はまだ、少女Aはアイドルではなかった。


「……そうだよ、好きな人を見返すためだった。

 いざ、もう手に入らないと知ったら、

 好きな人が自分を手に入れようとしてくれるんじゃないかって少女Aは思ったから」


 彼女にとって、マネージャーからのスカウトは渡りに船だったのだろう。

 それがなければ自分からオーディションを受けるしかなかった……。

 いや、違うか、展開が逆だ。

 アイドルにならないかとスカウトされたから、これに乗じて親友の兄を見返そうとしたのだ。


「じゃあわたしもはやしだに聞くけど……少女Aのこと、どう思ってるの?」


 つまり、一度振った後で、少女Aがアイドルになったことで、

 彼女の狙い通りに俺は少女Aを恋愛的な意味で意識するようになったのか……?


「いいや、なんとも」

「ほんとうに?」


 茜川からの疑惑の目に、自然と笑みがこぼれてしまう。


「アイドルにスカウトされるようなとびっきり可愛い子から告白されて、

 なんとも思わなかったの? そんなわけないよ。

 できることならその気持ちを受け取りたいって思ったと思う。

 でもできなかった。だってはやしだには、できない理由があったから」


 俺というか、少女Aの親友の兄、な。

 もうごちゃ混ぜになってもいいけど……。


 茜川は、まるで俺が持つ設定を見抜いているかのようだ……、

 実際に見抜いているわけでなくとも、あいつは分かっているのだろう。

 なぜなら俺は兄で、茜川は妹だから。


 設定が強く、絡まってしまっている――。


「わたし、ブラコンだから。

 お兄ちゃん(はやしだ)が少女Aと付き合い出したら、なにするか分からないよ?」


 妹の友達に手を出すわけにはいかなかった。

 なぜなら二人の絆を壊すことになってしまうからだ。


 だが皮肉にも、それを防ぐために少女Aを振ったというのに、

 アイドルになったことで新たな事情が生まれ、二人の絆が今、壊れかけている。


 共通する友人である男子の一人を巡って、だ。


「……ブラコンなら、おかしくないか?」


 友人の男子役である高科が、いま明かされた設定と過去の情報の矛盾に気付いた。


「少女Aに惚れた友人の男子。そいつに好意を持つ親友の女子……、

 そういう図式だったはずだろ。

 その親友の……、ああもう、役柄で言うのはめんどうだな――」


 序盤ならまだしも、ここまでくれば誰がどの役柄なのか、大体は頭に入っている。


「茜川はブラコンだ。なのに、どうしてあたしに好意を持ってる?」


 茜川と少女Aが喧嘩をしているのは、高科を巡って……と言うと、

 取り合いにみたいに感じるが、少女Aからすればひたすら迷惑でしかない。


 だから邪険に扱っている。

 たとえば好意的だったとしても、茜川からすれば面白くないのだろう。


 しかも、これまで特に目立っていなかった少女Aが突然、

 手が届かない場所にいってしまったのだから、裏切られたと思うのも無理はない。

 自分の好きな男子を、誘惑して奪い取ろうとしていると思い込むのも同じように。


 しかしブラコンとなると前提が崩れる。覆る。

 少女Aと喧嘩をする理由がなくなってしまうではないか。


 ブラコンなら高科に好意を向けることもないのだから、

 彼が誰をストーキングし、好意の矢印が自分に向いていなくとも、なんとも思わないはずだ。


 誰かが嘘を吐いていた。

 最初から全員が正直に情報を言っていたとは思っていなかったが……。


 じゃあなんだ? なにが崩れた?


 少女Aと喧嘩をしているのは、茜川だ。


 今の彼女に聞いて、素直に情報を言ってくれるとは思えない――。

 だが逆に言えば、これまでは素直に答えてくれていたと断言できる。


 つまり、覆されたと思い込んでしまいかけていた判断は、間違いだった。


 親友との仲違い。

 それは実際に起こっているし、理由も同じだ。


 だから注目するべきは、ブラコンなのに他人を好きになった、理由になる。


「忘れるために、他に意識を向ける……ブラコンだからこそ、

 他人を好きになろうとしたと思えば……まあ、分からないでもないけど」


 意外にも、高科が答えた。


 実感が込められた声音だったが、同じような体験があるのだろうか。


 思わず忘れかけてしまうが、高科も女子だ。

 しかし、ブラコンではない……、兄や弟がいるとは聞いたことがないが……、

 ブラコンでなくとも、血の繋がった相手を好きになってしまった、

 叶わない恋を忘れるために、別の人間関係の中で誰かを好きになる努力をする――、

 という意味合いなら、自分に重ねたのも分かる。


「ただの推測だから、深読みはするなよ」


 高科から釘を刺され、「お、おう……」と返事をする。


 高科とは互いに秘密を打ち明け合った仲だ。

 全てを包み隠さず、ってわけではないのだから、

 俺の知らない爆弾を抱えていることはあるだろう。


 無理に聞き出すことはしない。

 時期がくれば、あいつから笑い話として話してくれるはずだ。


 そもそも実感が込められた、と感じたのは俺の目から見ただけで、

 実際になにもない可能性もある。


 自分のことでなく誰かに相談されて、

 身に覚えがあっただけかもしれないのだから。


「うん、正解」

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