帰国


 夏四月。遣隋使たちは約一年留守にしていた倭国の地を踏んだ。錨を下ろしたのは今の北九州にあたる筑紫つくしの地だ。

 大和は恐る恐る船からおりるとそっと地に足をつける。ふわりと感じた草木の香りに、どこかじんと胸が熱くなる心地がした。


「ここが倭国ですか。なんだか海が近い気がしますねえ」

 後ろから聞こえた声に振り向くと、裴世清はいせいせいが楽しげに周りを見渡している。どこまでも好奇心の強い男だ。誰よりも満足そうな顔をしている。対する妹子は彼を見つめると、港なのだから当たり前だろと言いたげに眉を顰めている。こちらはどこまでも浪漫がない。もう少し柔らかくなっても良いだろうに。


 そんなことをしながらも、一行はひとまず筑紫に落ち着いた。倭国に帰ってきたとは言え、ここに住んでいる者の多くは隼人はやとと呼ばれる人々である。北の蝦夷えみしと南の隼人。彼らは独自の言葉や文化を持ち、都の人間とはやはりどこか距離があった。遣隋使の一行に向けられる好奇心と警戒混じりの不思議な視線や、まるで異国語にしか聞こえない独特な言葉。その圧倒的な力強さに大和は少々しり込みする。


 そんなある日、妹子が誰かに声をかけられた。懐かしい大和ことばの響きと鮮やかな朝服。都から派遣されたという出迎えの使者だった。名は吉士雄成きしのおなりというらしい。彼は妹子や大和に礼をすると、人の良さそうな声で伝言を紡ぐ。それによると、難波に新たな迎賓館を造っているとのことだった。とりあえずそれの完成を待つことにして、一行はしばらく筑紫にとどまった。そして都からの指示を待ち、六月に難波に到着した。


「やぁ、いらっしゃい」

 新築の迎賓館につくと、すぐさま妹子は顔を顰めた。自分を出迎えた相手に対し万物を凍らせかねない視線を向ける。

 一方、相手は飄々と笑うと背後の大和に目を向けた。そして「これはこれは大和殿。隋はどうでした? お気に召すものはございましたか」と軽快に肩を揺らす。

「久しぶりやなぁ、河勝かわかつ。お出迎えおーきに」

「いえいえ、たまたまこちらに来ていたのですが、せっかくなら使節を出迎えろと声をかけられましてね。いやぁ人気者は辛いですな」

 はっはっは、と愉快そうに笑うと、倭国の豪商・秦河勝はたのかわかつは妹子を見た。その細い目の先に愉悦を漏らすと、「で、なんか君とんでもないことやらかそうとしてない?」と肩をすくめる。

「言っとくけど僕はこれ以上何もしないからね。バレて首飛ぶの嫌だもん」

「ええ結構ですむしろどっか行ってください」

「ひどいなぁ。誰の援護のおかげで新羅と百済通過できたと思ってんの?」

 妹子はそれにケッとそっぽを向く。どうもこの二人は馬が合わないらしい。いや、妹子が河勝を毛嫌いしていると言った方が良いか、同族嫌悪と言った方が良いか······。腐れ縁らしい二人はいつも何やかんやと口喧嘩をしていた。

「ところで、ちょっと話したいことあるんだけどいい?」

 河勝が妹子に問いかけた。妹子は嫌そうな顔をしたものの、重要事項だと言うので渋々着いていく気になったらしい。大和はそんな二人を見送ると、客室に通されている裴世清の方へと向かう。

「凄く綺麗ですねぇ。やっぱり隋とはまた違うというか······ここまで来るのに通ってきたかわがとても澄んでいて驚きました」

 椅子に座った裴世清が楽しげに笑う。どうやら瀬戸内海の話をしているらしい。まあ、あれだけ広い河を持つ隋からすれば瀬戸内海も河に見えるのか。

 大和があれは海だと言うと、裴世清は驚いたようだった。面白そうに目を輝かせ、倭国を旅してみたいと言い出す。

「裴世清さま、さすがにお勤めがありますので······」

 そう彼を咎めたのは付き添ってきた楊汀洲ヤンテイシュウだ。その言葉にあははと苦笑すると、裴世清は「残念」と肩を竦める。

「まぁとりあえず、おもてなしの宴会があるのでそちらでやまとの様子を感じてもらえればええなあ」

 大和がそう言うと、裴世清は「それは楽しみですねえ」とにこにこ眉を下げる。宴会が行われたのはその日の夜のことだった。

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