店の夫婦に用があるという裴世清を残し、妹子と大和はその場をあとにした。どこか足元がふらついた心地がして、咄嗟に妹子の手を握り込む。その微かな温もりがざわざわとした寂寥感を和らげてくれた。妹子はちらりとこちらを見たものの、特に何も言わずに大和の手を引いて帰路につく。西に傾き始めた日差しが二人の背中を照らし出していた。

 裴世清はそれを見届けると、再び店内へ足を戻した。調理場にいる夫婦に頭を下げると、彼らには声をかけずに奥へ進む。そして先程大和たちと離していた席の横、二つのお茶だけが乗せられたテーブルに迷いもなく腰をかけた。

「お待たせしました」

 裴世清はそこにいた一人の青年に声をかける。それは洛陽や蘇威たちと親しくしていたあの長髪の男であった。

「お前箸の持ち方教えるの上手いな」

 彼は裴世清を見るやいなや微笑ましそうに苦笑する。裴世清はそれを聞くと、「ついこの間親戚の子に教えたばかりなんですよ」とほかほか笑った。

「お前相変わらずだよなぁその性格。楽観主義というかなんというか、子供ん時から変わってない」

「そうですか? 覚えてないというか、今でも自覚はないんですけどねぇ」

 裴世清はゆるりと首を傾げてみせる。その仕草に軽く笑うと、青年は本題に入ると言わんばかりに身を乗り出した。テーブルに置かれた茶杯がカタリと鳴る。

「で、どう? 大丈夫そう?」

「ええ、恐らく役人のふりをすれば普通に船に乗り込もうと怪しまれないかと。主上に許可はとったのでしょう?」

「ああ。思いのほかすんなり了解してくれたからびっくりしたけど」

 青年の茶杯が持ち上げられ、お茶が一口啜られる。裴世清は「そうですかぁ」と身体を弛めると、「でも」と不思議そうに眉を寄せた。

「今回はあまりお役に立てないかもしれませんよ」

 突然発せられた言葉に青年は顔を上げる。裴世清は青年を見つめると困惑するかのように首を傾げた。

「読めないんです、蘇因高さん」

 そのたった一言に、青年の指がピクリと固まる。

「読めないって······心が、か?」

「ええ」

 裴世清は戸惑いの残る顔で、それでいて興味深そうに口をゆるめる。

「初めてです、心が読めない人。普通なら横にいた大和さんみたいに流れ込んでくるですよ。お腹すいたなぁとか、箸持ちずらいなぁとか、心の中に入ってくるんです。でも蘇因高さんは何も無かった。どれだけ探ろうとしても何も掴めないんです。重い木箱を開けたら何も入ってなかったかのような······彼は絶対に深い考えを持っているだろうに、何も伝わってこない。まるで偽物の木箱でも見せられているかのようです」

 裴世清は面白い、と深く息をついた。青年は「そうか」と長いまつ毛を伏せて考え込む。

「昔から人の心が読めたお前がねえ······」

 茶杯に残った琥珀を飲み下すと、青年は微笑みながら立ち上がった。

「なおさらついて行きたくなったな」

 そう言って目を細め、裴世清を促して店を出る。

「それにしても、なんでわざわざ隠れてるんです? 今は不在だと嘘までついて。別に悪いことしてるわけでもないのに」

 慌てて追いかけてきた裴世清がそんなことを問う。少し考え込むような仕草をすると、青年は裴世清の方へ視線を流した。

「お前はさ、お偉い役人と同じ空間にいる時、友人と接するみたいに気を緩めたりするか?」

 その言葉に軽く戸惑いを見せたあと、少し考え込んでから裴世清は首を横に振る。

「いいえ。多分ヘマをやらかさないように大人しくしてますね」

「それだよ」

 その答えを待っていたかのように、青年はニヤリと笑った。

「相手の本質を見たいのなら、気を緩められる場を作らなくてはならない。もし船を共にするのが俺だと知ったら大和はどこか緊張するだろう。そしたら表面だけいいように見せて心の内を見せないかもしれない」

「随分自信満々な発言ですね。自分の方が立場上ですから、みたいな」

「実際そうだろ。彼らを育てるのがこの国の都たる俺の役目だ。ってかせめて建前とやらはねぇのか。お前無意識にヘマやらかす人種だなこれは」

 赤裸々な言葉にため息をつくと、青年は苦笑しながら前を向いた。裴世清はにこにことした笑みを浮かべると「やだなぁ」とその背に言葉を返す。

「貴方には昔からお世話になってますもの。もう十分気を許せる相手だと思ってるからこそ素直になっているだけですよ、 長安ちょうあんさん」

 その言葉に、耳の下でまとめられた青年の髪がサラリと鳴る。そうやって振り返りながら、隋の都である長安は可笑しそうに微笑んだ。

「お前、普段絶対人に憎まれないだろ」

「そうですかねぇ」

 自覚がないのかピンと来ない表情で首をひねる裴世清に、長安は今度こそ吹き出した。










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