裴世清から案内された店は気の良い夫婦が経営する食事処であった。差し込む日差しが柔らかく木造の室内を照らしている。カラカラトントンという料理の音が心地よく鼓膜を揺らしたかと思えば、焼き物の香ばしい香りがふわりと漂ってきた。そんな五感に訴える食事の気配に大和のお腹が小さくなる。

「あはは、先程からお腹すいてますもんねぇ大和さん」

 裴世清がゆるやかに笑う。大和が照れたようにはにかめば彼も同じ様に笑って見せた。

 何故だろう。その言葉にほんの少し違和感を覚えたが、それも爪の先をひっかけた程度のものであった。にこやかな顔につられるように、大和も裴世清のやさしい雰囲気に飲まれる。やはりマイペースな男のようだ。こちらまで巻き込むような包容力がある。

 のんびりとした空気を感じながら席に座っていると、しばらくして料理が運ばれてきた。焦げ目のついた薄い焼き物。これはビンというらしい。倭国のもちを薄く潰して焼いたかのような形をしているが、これは米ではなく小麦粉を練って出来ているそうだ。このビンこそが後々麺となってゆくのだが、彼らがそんなことを知る由もない。魚や鶏肉が運ばれる中、大和はちまっと餅をつまみ上げると刺すような熱さに慌てて指を離した。

「ほら、熱いですから手で触らないでください」

 妹子が母のように言う。そちらを見ればため息でもつきそうな呆れ顔が見えた。こちらを心配するかのような色も見えるが、それも裴世清がいるから演技をしているだけなのだろう。先日彼の部屋で蝋燭に触れてしまった時は一寸の心配もしてくれなかった。

 大和は不満げに妹子から目を逸らすと再び裴世清の方を見つめる。彼は「お手手冷やしますか?」と水の入った茶杯を差し出してくれていた。大和はありがたく茶杯に指を添えるとじんじんと痛む指を冷やす。全く、妹子もこのくらいの配慮をしてくれればいいのに。

 そんなふうに唇を尖らせると大和は茶杯を裴世清に返す。それを受け取ると、彼は「そういえば」と口を開いた。

「倭国では箸を使わないそうですね。普段どうやって食べ物を召し上がっているんですか?」

 その問いに妹子が眉を寄せた。「倭国は遅れている」と言われたようなものだ。やはり国の代表としては気に触ったのかもしれない。

 しかし妹子はあくまで人の良い笑みを保ち続けると、「普段は匙や一本箸、手などですかね」と落ち着いた声で言った。

「へぇ。それは興味深いですねぇ」

 裴世清はこちらに食事を促しながら箸を手に取る。彼の質問に悪意は見えない。どうやら純粋に好奇心が強いだけのようだった。

 妹子は紛らわしい、と言いたげに目を細めると同じ様に箸を手に取った。持ち方は習得したようだが、やはり慣れないのかまだぎこちない使い方をしている。まぁ、大和は物を掴むことすら出来ていないので人のことは言えないのだが······。

「箸を持つ位置、もう少し上にしてみたらどうです?」

 ふと、裴世清がそんなことを言った。二人が顔をあげれば、彼は魚をぱくりと口に入れた姿勢のままこちらを見ている。

「持つ位置?」

「ええ、あまり下の方を持ちすぎても掴みずらいかと」

 きょとんとした妹子を見て、裴世清が向かいの席からこちらに移動してくる。そして妹子の手に自分の手を重ねると、「こうです」と箸を持つ位置をずらしてみせた。次いで大和の方に来ると、裴世清は同じ様に手の位置を正す。「大和さんには長すぎますかねぇ」と言って、子供用の箸を取ってきてくれた。

「本当ですね。持ちやすい」

 妹子は感心したかのように言った。先程までポロポロと食材を落としていた彼が、今は器用に小さな豆を摘んでいる。相変わらず要領のいい男だ。裴世清のアドバイスを聞いて、もうコツを掴んだらしい。大和はそれを眺めつつ、少し短めの箸を構えて見せた。持ち方を裴世清に確認してもらいながら、鶏肉の欠片を挟んでみる。

「おお、出来た」

 先程よりも扱いやすい箸に、思わず頬を紅潮させた。相変わらず手つきはぎこちないが、もう食べ物をボロボロと崩すことは無い。大和はその達成感を楽しむかのようにふんふんと食事を口に運ぶ。腹が減っていたこともあってか、倭国のものとは違う香りを感じながらあっという間に自分の分を食べ終えてしまった。

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